旅する心-やまぼうし

やまぼうし(ヤマボウシ)→山法師→行雲流水。そんなことからの由無し語りです。

薄田泣菫「三びき猿」

2015-09-13 10:29:02 | 日々雑感
大分前のことになるが、奈良薬師寺元管主の高田好胤著『「観音経」法話』(大法輪閣)を読んでいた時、薄田泣菫の詩「三びき猿」を目にした。
著者は、この詩の紹介に続き、次のように述べている。
「つまり、他人の苦労の上にあぐらをかいてむさぼり食う、そんな怠け者、卑怯者に私どもが一人でもなれば、私たちの住む世の中はそれだけ滅びてゆきます。」(原文引用)

以来、この「三びき猿」が載っている詩集はどれか見つけられずに過ごし、ずっと気にかかっていた。

“晴耕雨読”ならぬ“晴登雨読”が我が今年のモットー。
先月から天候不順が続いているので晴登(山行)は諦め、せっかくなのでこの詩の載っている本探しをしてみた。

ネット検索をしていたら国立国会図書館蔵の『猿の魚釣』(1947年 比叡書房)を見つけた。
しかし、このタイトルの本は、宮城県図書館や仙台市民図書館には置かれていない。
ならば全集ではと思い直し、全8巻中4巻を県図書館から借りてきた。
(ちなみにこの全集は閉架図書扱いになっているので、開架図書のように直接手に取って事前に内容確認ができなかったもの。)

それは、薄田泣菫全集第二巻(1939年発行・1984年復刊 創元社)の『詩集 子守唄』の中にあった。

原典とはいかないまでも詩そのものを確認できたことでホッとする一方、この詩のさき・あとの物知らずお猿は“己にほかならない”と思い知らされてしまった。

   三びき猿

向う小山を猿がゆく、
さきのお猿が物知らず、
あとのお猿も物知らず、
なかのお猿が賢くて
山の畑に実を蒔いた

花が開いて実が生(な)れば、
二つの猿は帰り来て
一つ残さずとりつくし、
種子をばまいた伴(つれ)の名は
忘れてつひぞ思ひ出ぬ。


※薄田泣菫 すすきだきゅうきん
      本名 淳介。1877年(明治10年)5月19日 ~ 1945年(昭和20年)10月9日)。
      詩人、随筆家。

※高田好胤 たかだこういん
      奈良・法相宗総本山薬師寺の第127代管長。
      1924年(大正13年)3月30日 ~1998年(平成10年)6月22 日)。

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