芸術と商品(あるいは芸術表現と広告表現)。二つの共通性とは何か。この問いへの賭金とは、現代における芸術の使命の一つが「芸術」を「商品」といかに区別するかあるいは区別できるのかの問いにある。
おそらく誰もが異論なく指摘できる共通点の一つは、物神性・呪術性(フェティシズム)である。芸術も商品もいずれも「有用(必要)性」を超えたものを備えている。必要性を超えた過剰な存在としての「芸術と商品」。ところで、フェティシズムに関してはこれまで二つのアプローチが知られている。一つは言うまでもなく、精神分析学(フロイト)がいう「フェティシズム」。そしてもう一つがマルクスによる商品の「物神的性格」である。
精神分析学がいう「フェティシズム」とは周知のように、本来の性的対象を身体の一部分(足、髪、臀部等々)あるいはそれに付随する物(靴、櫛、下着等々)で代用することである。フロイトによれば、代用対象となる究極的な対象とは「母親のペニス」らしい。母親の「不在のペニス」をめぐってのドラマ(葛藤)。それが去勢コンプレックスを説くフロイトにとっての核心である。しかし、フロイトの「フェティシズム」をめぐる論述の重要性は、代用対象が母親の「不在のペニス」かどうかよりも、その心的メカニズムにある。つまり、「不在の対象」をあたかも存在するかのように仮想し、その代用として別なものを欲望してしまうという心的メカニズム。事実上は存在しないもの(母親のペニス)をあたかも存在するかのように思い込むことでの、断念と否認の葛藤。したがって、「フェティシズム」は“否定神学”のように、母親のペニスという「無の存在」を否認すればするほど、その存在を喚起し、肯定することになる。否定を通じての現前。フェティシズムのパラドックス。「この対象はまさしく、それがとらえられないというその在り方によって、人間の必要性を満足させるのである」(ジョルジョ・アガンベン)。
では、マルクスにおける商品の「物神的性格」とは何か?マルクスは『資本論』第1章で商品あるいは貨幣の謎に挑んでいる。マルクスにとって資本主義的生産体制を読み解く最初のキーワードが商品であった。資本主義のメカニズムを読み解く記念すべき書物『資本論』の冒頭は、「資本主義的生産様式が支配している社会の富は、「膨大な商品の蓄積」としてあらわれ、個々の商品は、その富の基本形態としてあらわれる」から始まっている。「その特性によって人間のあれこれの欲望を満たす」物(使用価値=自然という素材を人間にとって有用な物に変形にすること)が、「商品」という形をとるやいなや別な物に変質する、とマルクスは説く。人間の労働によって生産された「使用価値」は、貨幣による売買行為を介することで、いわゆる「交換価値」に変貌するのだ。もちろん、使用価値がなければ交換価値は発生しない。しかし交換価値(商品という価値)には、「一原子の物質も入り込んでいない」。商品は本質的に非物質的で抽象的な財となる。商品の二重性。これが商品の「物神的性格」である。商品という価値の秘密は、貨幣による交換過程がもたらす「財の蓄積」にあるのだ(商品としての労働もまた、その生産過程で剰余価値を生み出すだろう)。商品とは自然なもの(使用価値という人間と物の透明な関係)から逸脱した過剰な存在なのである。
ジョルジョ・アガンベンはその著『スタンツェ』のなかで、詩人リルケや挿絵画家グランヴィルを例に、19世紀に起こった「人間と物との関係」の変化について言及している。リルケによれば「人間らしさ蓄えていた物」が「アメリカ的な均一で空虚な物」に変質してしまったと(このリルケの言述は、今でも骨董品あるいは古い物を愛でる人たちがよく口にする。写真においても同様に、記憶あるいは時間をおびた物への愛着としてしばしば表現されているものだ。たとえば、石内都の母親の形見を撮った写真と、安村崇の『日常らしさ』における物の写真あるいは小林のりおの「デジタルキッチン」における物たちを比較せよ)。グランヴィルの挿絵『人生の些細な悩み』では、人間に反抗する、悪意をもった物が描かれている(グランヴィルはさまざまな場面で物に翻弄される人間を描いている。そういえば、ジョナサン・クレーリーもまた『知覚の宙吊り』のなかで、マックス・クリンガーの版画について、「注意」という観点からその神経症的なイメージについて言及していた)と。そして物の変化を典型的に表わしているのが万国博覧会(1851年のロンドン万博)である。
万国博覧会とはまさに、それまで単なる道具であったものが芸術品と化した場であり、マルクスが言う意味での商品となった場でもある。「商品(道具)が無垢な対象であることを止め」たのだ(たとえば、柳宗悦の民芸運動とはまさに、それまでの道具を芸術化することであったと言える。さらに言えば、明治以前の「日本美術」はすべて道具の装飾=付属物である。屏風、襖等々のパレルゴン。日本美術とはパレルゴンの分離と自律化の過程である。そして民芸運動は道具を再び芸術化する。この道具の芸術化という問題は、ウォホールのポップアートや村上隆の作品とも決して無関係ではない)。「商品がひとたび、有用という隷属状態から日常品を解放すると、これらと芸術作品とを隔てていた境界は、ますます危ういものになるのである。ルネサンス以来、芸術家たちは、職人や労働者の「作業」に対する芸術的創造の優位性を打ち立てることで、飽くことなくこの境界を固めようとしてきたのであるが」(アガンベン)、もはや芸術作品も道具も区別がつかないものになる。商品の芸術化、芸術の商品化の始まり。
19世紀に起こった、「人間と物との新たな関係」。「使用価値」と「交換価値」への分裂と二重性。こうした事態の到来を受けて、芸術はどのような反応を見せるのか、見せたのか。最もありがちな芸術側の反応=抵抗は、芸術と商品(物)とを徹底的に区別(否定)することだろう。芸術は単なる商品(物)とは違うんだと(この態度はマルクス主義者たちの素朴な「解放論」とも似ている。商品化された労働から、労働本来の神聖さを取り戻すのだと。あるいは性はもっぱら生殖に専念し、生殖に限定されるべきだという「性からの解放論」-笑)。しかし、芸術が商品を否定すればするほど、前述した「フェティシズムのメカニズム」や「否定神学」のように、商品の芸術化(それを支える幻想のメカニズム)を強固にすることになるだろう。ここで特異な抵抗の姿勢を取ったのがボードレールであったと、アガンベンは指摘している。と同時にボードレールの姿勢・方法こそが近代芸術が秘めていた可能性であったと。ではボードレールが取った方法・戦略とはどのようなものであったのか。
アガンベンによれば、ボードレールは「使用価値と交換価値の分裂を芸術作品にも導入し」、「価値の形式が完全に使用価値と合致する商品-絶対商品をつくろうとした」(このボードレールが目指した「絶対商品」は、マネが絵画を成立させる物質的諸条件をあらわにしようとしたことと符合するだろう)と述べている。「芸術作品の究極的な商品化とはまた、商品のもっともラディカルな廃棄でもあるのだ」。ポップアートもまた同様の方法をとったことは明らかだろう。いや、その方法は異なるとはいえ、近代・現代美術が、ボードレールの課題を引き受け、その応答の歴史であったことは明らかである。ボードレールによって「今日、芸術とは何か」という問いが初めて問われたのだ。おそらくこのことは、フーコーが述べている、哲学という領域にカントによって初めて「今日、私たちとは何か」という問いが生み出されたことと符号しているのではないか。
ボードレールの方法・意図の完璧かつ簡潔な実現がデュシャンの「レディ・メイド」である。デュシャンの「レディ・メイド」は、単に物のコンテクストを異動し、置き換えただけではない。日常品を芸術空間に置きなおすことで、日常品の意味性のヴェールを剥ぐと同時に、近代的な芸術空間そのものをも宙吊りにしたのだ。しばしば言われるように、日常品の意味性のヴェールを剥ぐことで「裸の物」を露出したのだとのみとらえてはならない。それでは、素朴に使用価値の回復を志向する「解放論者」と違わないだろう。むしろ「レディ・メイド」は、芸術空間に「使用価値と交換価値の分裂」こそを導入したのであり、近代的な芸術空間が商品空間そのものであることを暴露するとともに、その廃棄こそを目指したものではなかったのか(そもそも、あらかじめ近代的な芸術空間-具体的に言えば展覧会会場であり、ギャラリーであり、美術館-がなければ、デュシャンのレディ・メイドは成立しないのだ。デュシャンのレディ・メイドは位相幾何学的な構造を創出しているのだ)。
ここでわれわれは改めて、写真が担った役割(歴史)を再考することができるだろう。デュシャンの「レディ・メイド」は明らかに、「写真の論理」を背景としているに違いないと思われるからである。
周知のように、おそらく写真固有の論理を初めて明確にしたのは、『写真小史』や『複製技術時代の芸術作品』におけるベンヤミンである。これまた周知のように、ベンヤミンは写真という複製技術のなかに、それまでの芸術に備わる「アウラ」の消失を見出した。「アウラ」とは多木浩二が指摘するように、「事物の権威」「事物に伝えられている重み」、いわば集団的な幻想がもたらす「雰囲気」のことである。つまり、写真は従来の芸術を覆っていた「アウラ(雰囲気)」(芸術の意味性というヴェール)を引き剥がし、事物を裸にするということである。アジェやザンダー、シュールリアリズムの写真は「環境と人間化の疎遠化」をもたらし、これまでの知覚を「間化する」。ベンヤミンはさらに、『複製技術時代の芸術作品』のなかでは、集団的幻想としての「アウラ」を「礼拝価値」として、その論理を敷衍している。言ってみれば、この「礼拝価値」とは交換価値のことである。つまり、ベンヤミンは、写真のなかに「使用価値」がもたらす力の可能性を見出している。実際、『写真小史』と同様の主題を論じた「生産者としての作家」のなかで、「われわれが写真家に要求すべきことは、写真を当世風の変質からひきはがし、写真に革命的な使用価値をあたえる画像の説明を付与する能力である」。「革命的な使用価値」。ベンヤミンは、前述したマルクス主義者の「解放論」のように、単純に「使用価値」の回復を主張しているのだろうか。ベンヤミンは写真のなかに「使用価値(裸の事物)」の回復(別な言葉で言えば、現実の暴力的な介入とも言えないか)を見出し、そこに新たな芸術の可能性を見出したことは明らかである。しかしベンヤミンは、この写真の論理に潜むパラドックスに決して無自覚であったわけではない。それが「新即物主義」への批判にあらわれている。たとえば、ベンヤミンが評価するブロースフェルトの写真と、批判的だったレンガー=パッチュの写真に、われわれはどのような差異を見出すべきなのだろうか。このパラドックスを、後にロラン・バルトが「写真の人工性を自然化してしまう」パラドックス、あるいは「痕跡の美学化」と呼んでみたい。実はこのパラドックスこそが「使用価値(裸の事物)の回復」を美学化してしまったのではないか。モノクロの美学、プリントの美学。
ベンヤミンが『写真小史』や『複製技術時代の芸術作品』を書いたのは、写真が登場してから90年近く経った1930年代である。さらにベンヤミンの時代から、われわれの“現在”は80年近くも経っている。簡単に言えば、ベンヤミンが写真に見出した「革命的な使用価値」こそが、写真の論理のパラドックスによって、一つの「アウラ」「礼拝価値」となってしまっているのだ。われわれに課せられたことは、ベンヤミンの写真における「革命的な使用価値」を実体化することなく、その形式的真理を踏襲し、考察することではないか。
このことを自覚・認識している、数少ない写真家の一人が小林のりおである。たとえば、2006年3月に行われた「なぜヤフオク図鑑か-Japanese Blue」は、Webオークションという現代の商品空間に「ブルーシート」という「使用価値」を暴力的に介入させてみせた。「ブルーシート」と「ジャパニーズブルー」という分裂、あるいは二重性。これは使用価値と交換価値の分裂を写真作品にも導入し、価値の形式が完全に使用価値と合致する商品-絶対商品をつくろうとした、ボードレール的試みであったことは明らかだろう。以前にちょっと触れた、川俣正の『通路』も同じ構造を持っている。通路(使用価値)の導入によってむき出しにされた美術空間は、近代的な芸術鑑賞者という、われわれの位置もまたもむき出しにされ、宙吊りにされる(ベンヤミンが言う「遊歩者」という位置と比較せよ。『通路』の鑑賞者が見出すのは、商品=芸術が並ぶショーウィンドーではなく、むき出しにされたショーウィンドーの建築的骨格そのものである)。この意味で、小林のりおも、川俣正も、徹底したモダニストと言えるだろう。しかし、そのモダニズムを限界まで徹底化させようとする意味ではポストモダニストである。「モダンはポストモダンでなければモダンにはなれない」というリオタールの逆説がここにある。
議論がやや先走ってしまった感がある。もう一度、当初の問いに戻って、芸術と商品の共通性について整理してみたい。まず出発点となるのは、19世紀中ごろに明白になってきた「人間と物との新たな関係」である。それまで使用価値を中心としていた「物(道具類)」が資本主義的生産様式の発達によって、交換価値が優位を占めるようになった。つまり、物の価値がその有用性を退けられ、いわゆる商品と化していった。それは一種の物(道具類)の芸術化でもある。それまで道具類と区別され、特権的な地位を保ってきた芸術品は、道具類との境界が曖昧になり、その地位を脅かされることになった。芸術という「父の覇権」の失墜。当然、ここであらわになるのは、芸術という交換価値(システム)を支えていた「父の覇権」の正体である。芸術を支えてきた、宗教性・歴史性(伝統)・アカデミズム(政治性)等々。ベンヤミンならそれを「礼拝的価値」(礼拝的価値の形式要素が「創造性・天才性・永遠の価値・神秘の概念等々である)と呼ぶだろう。言うまでもなく、この芸術の危機は、宗教の、伝統の、政治の危機でもある。こうした危機を前にして、芸術家たちはどのような反応を示したのか。この危機意識こそがモダニズムにほかならない。
考えられる反応の一つは、物(道具類)と芸術を徹底的に区別することである。この区別の方法にもいくつかあるだろう。たとえば、あくまでも伝統につらなることで芸術の特権的地位を維持しようとする「素朴な回帰派(あるいはアカデミズム派)」。「芸術のための芸術」を提唱することで、芸術の自律性を見出そうとする「純粋派」(抽象絵画やグリーンバーグのモダニズム批評はこの系譜につらなるものかもしれない。と同時、抽象絵画はカント美学の忠実な実現である)。ここで一言付け加えておけば、「素朴な回帰派」は当然ながら、危機を隠蔽するとともに、芸術を支えていた従来の諸価値(宗教的・歴史的・政治的等々)を維持することになるだろう。「純粋派」は確かに、改めて「芸術とは何か」、「芸術の真の価値はどこにあるのか」といった問いを誘発することにはなる。しかし一方で、芸術の価値をその歴史性を捨象することで一般化・抽象化し、芸術的価値の連続性を見出すことになりはしないか。歴史を超越した、普遍的な価値としての芸術。そして「素朴派(アカデミズム派)」は、「芸術のための芸術」=「純粋派」と結託することで生き延びていく-大笑。言うまでもなく、詳しくは後述したいが、「純粋派」と対照的な反応・戦略をとるのが、ある意味で素朴な「反芸術派」あるいは「ジャンク派」である。芸術の権威を徹底的に暴露していくこと。しかし、当然ながら素朴な「反芸術派」「ジャンク派」は、芸術という権威の存在なしには成立しない。
それではここで、ボードレールはどのような反応、あるいは戦略をとったのか。アガンベンが指摘する「使用価値と交換価値の分裂を芸術作品にも導入し、価値の形式が完全に使用価値と合致する商品-絶対商品をつくろうとした」ボードレールの戦略とはどういうことか(実際、ボードレールは、ある時は芸術は有用性と切り離すことはできない断言し、ある時は純粋芸術を主張するという具合に、物の分裂・二重性を強く意識し、その葛藤のなかにいた。ベンヤミンは「ボードレールにおける第二帝政期のパリ」のなかで、ボードレールが担った「分裂」という危機意識を、マルクスが『ブリュメール十八日』-この著作は1848年の2月革命から51年のルイ・ボナパルトによるクーデターまでを論じた一種のルポルタージュ-で論述した階級的表象の分裂と重ね合わせながら、「芸術家の分裂」としても描いている)。「使用価値と交換価値の分裂を導入すること」とはどういうことか。「使用価値と合致する商品-絶対商品」とは何か。ベンヤミンが写真に見出した「革命的な使用価値」とはどのような関連があるのか、あるいはないのか。
芸術作品への「使用価値と交換価値の分裂」の導入とは、単に芸術を使用価値に貶めることでも、使用価値を退けることでもないだろう。ボードレールがとった戦略は、芸術の有用性(使用価値)を主張することで、従来の交換価値(宗教等々)を解体し、と同時に芸術の商品化をいかに退けるか、いわば二つの的(敵)を同時に撃つことである。アガンベンが言う「価値の形式が完全に使用価値と合致する商品-絶対商品」とは、芸術の新たな価値にほかならない。それは使用価値でもなければ、交換価値でもない、第三の価値を言わんとしているのだろうか。
ここでベンヤミン、バタイユ(『ラスコーの壁画』『沈黙の絵画』『呪われた部分』など)、ハイデガー(『芸術作品の根源』)、デリダ(『絵画における真理』)等々を召喚しつつ、再度、迂回してみよう。堂々巡りを恐れずに。「したがって、われわれは堂々めぐりを遂行しなければならない。このことは窮余の措置ではないし、また欠陥でもない。この道に足を踏み入れることは強さなのであり、そして、思索が手仕事であるとすれば、この道にとどまることは思索の祝祭なのである」(ハイデッガー『芸術作品の根源』関口浩訳)。
先にも少々触れたが、ベンヤミンは写真という新たな複製技術に「革命的な使用価値」を認めた。ベンヤミンは『写真小史』の冒頭で以下のように書いている。「新しい技術の挑発的な出現によって、自分の臨終が近づいたことを感じ取っているのだ。それなのに写真の理論家たちはほぼ百年にわたって、芸術についてのこのフェティシズム的な、根本から反技術的な観念と対決しようとしてきたのであり、当然ながら何の成果もあげられなかった」(『写真小史』久保哲司訳)。ベンヤミンは写真という新たな複製技術のなかに、従来の芸術がもつフェティシズム的・反技術的観念を覆す可能性を見ている。「反技術的」という語は、「反使用価値」ととらえることができるだろう。ベンヤミンは従来の芸術品をフェティシズム的な物、反使用価値的な物とみなしている。
ベンヤミンが『写真小史』のなかで評価と対象とした写真は、アジェやザンダー、ブロースフェルト、シュールリアリズムの写真等々である。これらの写真の特徴を乱暴にも一言で言ってしまえば、間化されたイメージである。アジェの人気のない風景、ザンダーの社会(階級)的な身体、ブロースフェルトの科学的事物、シュールリアリズムの「環境と人間の疎遠化」。それまでの絵画的イメージ=フェティシュなイメージ=人間的なイメージの覆いを引き剥がし、裸形の風景、裸形の身体、裸形の事物等々をあらわにしたということだ。ここまではつとに指摘されてきたことである。従来の芸術が有していた物神性を暴くものとしての写真。実際、その後、表現としての写真の歴史は、この「事物の裸形化」(これを記録性という言葉に置き換えてもいい)を最大の護符・武器としてきた。いまだ多くの写真論が、この「事物の裸形化」を表現としての写真の最大の論拠としている。
ところで、ザンダーの階級的身体やルイス・W・ハインの社会的子供の身体へのまなざしは、フーコーが指摘する「近代の生権力」と符号しはしないだろうか。ゾーエー(生物学的な生)の管理としての「生権力」。ザンダーやハインのまなざしはまさに、フーコーが指摘する「生権力」的なまなざしにほかならないのである。そして、写真の歴史がながらく、この科学的・観察的・記録的まなざしを「裸形の事物」として実体化し(実際、カント流に言えば、写真によるイメージは決して「裸形化された事物=物自体」ではない。いわば事物に向ける関心が異なるということだ。その意味では、事物に人間的な意味を付与するという考えは改めるべきかもしれない。むしろ、事物から当該の関心に合う知覚記号を抜き出し、人間的な意味を担わせると考えるべきかもしれない)。したがってわれわれはつねに、まなざしの「両義性」に注目しなければならない。眼とまなざしの分裂。
ベンヤミンは『写真小史』の末尾で、「こうした映像が与えるショックは、見る人の連想メカニズムを停止させる。この箇所においてこそ、写真の標題というものを用いるべきである」と言っている。われわれはこの「停止」という言葉に注目しなければならない。絵画的まなざしを暴き、裸形化された事物をあらわにすることが重要なのではない。むしろ、絵画的なまなざし=人間的なまなざしを機能停止し、宙吊りにさせることが重要なのである。フーコーの指摘「「フィクシオンは、したがって、不可視なるものを見えるようにすることにではなしに、可視なるものの不可視性がどれほどまでに不可視なものであるかを見えるようにすることに存するのだ」もここに意義がある。そしてまた同じように、アガンベンが指摘するボードレールの戦略である「使用価値と交換価値の分裂を芸術作品にも導入」とは、「使用価値と交換価値とがお互いに打ち消しあい」、その両方が機能不全に陥ることが重要なのである。
話はやや逸れるが、写真に「記録と表現」という昔ながらの論争がある。もはや古びた感はぬぐえないが、この対立が解消されたとも思えない。実際、いまだに「記録と表現」を引き合いに出す写真論にしばしばお眼にかかる(写真における純粋写真派と現代美術派の対立はその置き換えにすぎないだろう)。しかし、記録派も表現派もお互いがお互いを誤解しているように思える。表現は再現することではないし、再現は表現することではない。記録派は表現を何か付け足すものとして表現派を批判する。表現派は記録を単なる再現と誤解して記録派を批判する。記録派も表現派も「再現」と「表現」を混同している。表現とはexpressionという通り、対象となる写真の被写体を圧縮し、引き締め、そのエッセンスを外に搾り出すことである。再現とはrepresentation通り、再び現前させることである(すでに表象されたものを再び取り戻すこと)。したがって表現とは決して被写体に対して何かを付け足すことではない。むしろ被写体の覆いを排除し、核をあらわにすることである。他方、記録とは再現のことではない。人間的なまなざしを排除して、被写体のまなざしを獲得する(事物の権利を回復する)ことである。記録派も表現派も、実は同じ到達点を目指している。見出された根底。記録派にも表現派にも同じ誤解があるとすれば、「根底」を実体化してしったことである。記録派は「裸にされた事物」として、表現派は最後に見出された「本質」として。そして写真は、「裸にされた事物」を「本質」として形式化することで一つになる。
その石をおしだまらせているものを語らせたら-
その沈黙は傷口となって、ひらくだろう。
(パウル・ツェラン「ブランクーシ宅で、ふたりで」飯吉光夫訳)
おそらく誰もが異論なく指摘できる共通点の一つは、物神性・呪術性(フェティシズム)である。芸術も商品もいずれも「有用(必要)性」を超えたものを備えている。必要性を超えた過剰な存在としての「芸術と商品」。ところで、フェティシズムに関してはこれまで二つのアプローチが知られている。一つは言うまでもなく、精神分析学(フロイト)がいう「フェティシズム」。そしてもう一つがマルクスによる商品の「物神的性格」である。
精神分析学がいう「フェティシズム」とは周知のように、本来の性的対象を身体の一部分(足、髪、臀部等々)あるいはそれに付随する物(靴、櫛、下着等々)で代用することである。フロイトによれば、代用対象となる究極的な対象とは「母親のペニス」らしい。母親の「不在のペニス」をめぐってのドラマ(葛藤)。それが去勢コンプレックスを説くフロイトにとっての核心である。しかし、フロイトの「フェティシズム」をめぐる論述の重要性は、代用対象が母親の「不在のペニス」かどうかよりも、その心的メカニズムにある。つまり、「不在の対象」をあたかも存在するかのように仮想し、その代用として別なものを欲望してしまうという心的メカニズム。事実上は存在しないもの(母親のペニス)をあたかも存在するかのように思い込むことでの、断念と否認の葛藤。したがって、「フェティシズム」は“否定神学”のように、母親のペニスという「無の存在」を否認すればするほど、その存在を喚起し、肯定することになる。否定を通じての現前。フェティシズムのパラドックス。「この対象はまさしく、それがとらえられないというその在り方によって、人間の必要性を満足させるのである」(ジョルジョ・アガンベン)。
では、マルクスにおける商品の「物神的性格」とは何か?マルクスは『資本論』第1章で商品あるいは貨幣の謎に挑んでいる。マルクスにとって資本主義的生産体制を読み解く最初のキーワードが商品であった。資本主義のメカニズムを読み解く記念すべき書物『資本論』の冒頭は、「資本主義的生産様式が支配している社会の富は、「膨大な商品の蓄積」としてあらわれ、個々の商品は、その富の基本形態としてあらわれる」から始まっている。「その特性によって人間のあれこれの欲望を満たす」物(使用価値=自然という素材を人間にとって有用な物に変形にすること)が、「商品」という形をとるやいなや別な物に変質する、とマルクスは説く。人間の労働によって生産された「使用価値」は、貨幣による売買行為を介することで、いわゆる「交換価値」に変貌するのだ。もちろん、使用価値がなければ交換価値は発生しない。しかし交換価値(商品という価値)には、「一原子の物質も入り込んでいない」。商品は本質的に非物質的で抽象的な財となる。商品の二重性。これが商品の「物神的性格」である。商品という価値の秘密は、貨幣による交換過程がもたらす「財の蓄積」にあるのだ(商品としての労働もまた、その生産過程で剰余価値を生み出すだろう)。商品とは自然なもの(使用価値という人間と物の透明な関係)から逸脱した過剰な存在なのである。
ジョルジョ・アガンベンはその著『スタンツェ』のなかで、詩人リルケや挿絵画家グランヴィルを例に、19世紀に起こった「人間と物との関係」の変化について言及している。リルケによれば「人間らしさ蓄えていた物」が「アメリカ的な均一で空虚な物」に変質してしまったと(このリルケの言述は、今でも骨董品あるいは古い物を愛でる人たちがよく口にする。写真においても同様に、記憶あるいは時間をおびた物への愛着としてしばしば表現されているものだ。たとえば、石内都の母親の形見を撮った写真と、安村崇の『日常らしさ』における物の写真あるいは小林のりおの「デジタルキッチン」における物たちを比較せよ)。グランヴィルの挿絵『人生の些細な悩み』では、人間に反抗する、悪意をもった物が描かれている(グランヴィルはさまざまな場面で物に翻弄される人間を描いている。そういえば、ジョナサン・クレーリーもまた『知覚の宙吊り』のなかで、マックス・クリンガーの版画について、「注意」という観点からその神経症的なイメージについて言及していた)と。そして物の変化を典型的に表わしているのが万国博覧会(1851年のロンドン万博)である。
万国博覧会とはまさに、それまで単なる道具であったものが芸術品と化した場であり、マルクスが言う意味での商品となった場でもある。「商品(道具)が無垢な対象であることを止め」たのだ(たとえば、柳宗悦の民芸運動とはまさに、それまでの道具を芸術化することであったと言える。さらに言えば、明治以前の「日本美術」はすべて道具の装飾=付属物である。屏風、襖等々のパレルゴン。日本美術とはパレルゴンの分離と自律化の過程である。そして民芸運動は道具を再び芸術化する。この道具の芸術化という問題は、ウォホールのポップアートや村上隆の作品とも決して無関係ではない)。「商品がひとたび、有用という隷属状態から日常品を解放すると、これらと芸術作品とを隔てていた境界は、ますます危ういものになるのである。ルネサンス以来、芸術家たちは、職人や労働者の「作業」に対する芸術的創造の優位性を打ち立てることで、飽くことなくこの境界を固めようとしてきたのであるが」(アガンベン)、もはや芸術作品も道具も区別がつかないものになる。商品の芸術化、芸術の商品化の始まり。
19世紀に起こった、「人間と物との新たな関係」。「使用価値」と「交換価値」への分裂と二重性。こうした事態の到来を受けて、芸術はどのような反応を見せるのか、見せたのか。最もありがちな芸術側の反応=抵抗は、芸術と商品(物)とを徹底的に区別(否定)することだろう。芸術は単なる商品(物)とは違うんだと(この態度はマルクス主義者たちの素朴な「解放論」とも似ている。商品化された労働から、労働本来の神聖さを取り戻すのだと。あるいは性はもっぱら生殖に専念し、生殖に限定されるべきだという「性からの解放論」-笑)。しかし、芸術が商品を否定すればするほど、前述した「フェティシズムのメカニズム」や「否定神学」のように、商品の芸術化(それを支える幻想のメカニズム)を強固にすることになるだろう。ここで特異な抵抗の姿勢を取ったのがボードレールであったと、アガンベンは指摘している。と同時にボードレールの姿勢・方法こそが近代芸術が秘めていた可能性であったと。ではボードレールが取った方法・戦略とはどのようなものであったのか。
アガンベンによれば、ボードレールは「使用価値と交換価値の分裂を芸術作品にも導入し」、「価値の形式が完全に使用価値と合致する商品-絶対商品をつくろうとした」(このボードレールが目指した「絶対商品」は、マネが絵画を成立させる物質的諸条件をあらわにしようとしたことと符合するだろう)と述べている。「芸術作品の究極的な商品化とはまた、商品のもっともラディカルな廃棄でもあるのだ」。ポップアートもまた同様の方法をとったことは明らかだろう。いや、その方法は異なるとはいえ、近代・現代美術が、ボードレールの課題を引き受け、その応答の歴史であったことは明らかである。ボードレールによって「今日、芸術とは何か」という問いが初めて問われたのだ。おそらくこのことは、フーコーが述べている、哲学という領域にカントによって初めて「今日、私たちとは何か」という問いが生み出されたことと符号しているのではないか。
ボードレールの方法・意図の完璧かつ簡潔な実現がデュシャンの「レディ・メイド」である。デュシャンの「レディ・メイド」は、単に物のコンテクストを異動し、置き換えただけではない。日常品を芸術空間に置きなおすことで、日常品の意味性のヴェールを剥ぐと同時に、近代的な芸術空間そのものをも宙吊りにしたのだ。しばしば言われるように、日常品の意味性のヴェールを剥ぐことで「裸の物」を露出したのだとのみとらえてはならない。それでは、素朴に使用価値の回復を志向する「解放論者」と違わないだろう。むしろ「レディ・メイド」は、芸術空間に「使用価値と交換価値の分裂」こそを導入したのであり、近代的な芸術空間が商品空間そのものであることを暴露するとともに、その廃棄こそを目指したものではなかったのか(そもそも、あらかじめ近代的な芸術空間-具体的に言えば展覧会会場であり、ギャラリーであり、美術館-がなければ、デュシャンのレディ・メイドは成立しないのだ。デュシャンのレディ・メイドは位相幾何学的な構造を創出しているのだ)。
ここでわれわれは改めて、写真が担った役割(歴史)を再考することができるだろう。デュシャンの「レディ・メイド」は明らかに、「写真の論理」を背景としているに違いないと思われるからである。
周知のように、おそらく写真固有の論理を初めて明確にしたのは、『写真小史』や『複製技術時代の芸術作品』におけるベンヤミンである。これまた周知のように、ベンヤミンは写真という複製技術のなかに、それまでの芸術に備わる「アウラ」の消失を見出した。「アウラ」とは多木浩二が指摘するように、「事物の権威」「事物に伝えられている重み」、いわば集団的な幻想がもたらす「雰囲気」のことである。つまり、写真は従来の芸術を覆っていた「アウラ(雰囲気)」(芸術の意味性というヴェール)を引き剥がし、事物を裸にするということである。アジェやザンダー、シュールリアリズムの写真は「環境と人間化の疎遠化」をもたらし、これまでの知覚を「間化する」。ベンヤミンはさらに、『複製技術時代の芸術作品』のなかでは、集団的幻想としての「アウラ」を「礼拝価値」として、その論理を敷衍している。言ってみれば、この「礼拝価値」とは交換価値のことである。つまり、ベンヤミンは、写真のなかに「使用価値」がもたらす力の可能性を見出している。実際、『写真小史』と同様の主題を論じた「生産者としての作家」のなかで、「われわれが写真家に要求すべきことは、写真を当世風の変質からひきはがし、写真に革命的な使用価値をあたえる画像の説明を付与する能力である」。「革命的な使用価値」。ベンヤミンは、前述したマルクス主義者の「解放論」のように、単純に「使用価値」の回復を主張しているのだろうか。ベンヤミンは写真のなかに「使用価値(裸の事物)」の回復(別な言葉で言えば、現実の暴力的な介入とも言えないか)を見出し、そこに新たな芸術の可能性を見出したことは明らかである。しかしベンヤミンは、この写真の論理に潜むパラドックスに決して無自覚であったわけではない。それが「新即物主義」への批判にあらわれている。たとえば、ベンヤミンが評価するブロースフェルトの写真と、批判的だったレンガー=パッチュの写真に、われわれはどのような差異を見出すべきなのだろうか。このパラドックスを、後にロラン・バルトが「写真の人工性を自然化してしまう」パラドックス、あるいは「痕跡の美学化」と呼んでみたい。実はこのパラドックスこそが「使用価値(裸の事物)の回復」を美学化してしまったのではないか。モノクロの美学、プリントの美学。
ベンヤミンが『写真小史』や『複製技術時代の芸術作品』を書いたのは、写真が登場してから90年近く経った1930年代である。さらにベンヤミンの時代から、われわれの“現在”は80年近くも経っている。簡単に言えば、ベンヤミンが写真に見出した「革命的な使用価値」こそが、写真の論理のパラドックスによって、一つの「アウラ」「礼拝価値」となってしまっているのだ。われわれに課せられたことは、ベンヤミンの写真における「革命的な使用価値」を実体化することなく、その形式的真理を踏襲し、考察することではないか。
このことを自覚・認識している、数少ない写真家の一人が小林のりおである。たとえば、2006年3月に行われた「なぜヤフオク図鑑か-Japanese Blue」は、Webオークションという現代の商品空間に「ブルーシート」という「使用価値」を暴力的に介入させてみせた。「ブルーシート」と「ジャパニーズブルー」という分裂、あるいは二重性。これは使用価値と交換価値の分裂を写真作品にも導入し、価値の形式が完全に使用価値と合致する商品-絶対商品をつくろうとした、ボードレール的試みであったことは明らかだろう。以前にちょっと触れた、川俣正の『通路』も同じ構造を持っている。通路(使用価値)の導入によってむき出しにされた美術空間は、近代的な芸術鑑賞者という、われわれの位置もまたもむき出しにされ、宙吊りにされる(ベンヤミンが言う「遊歩者」という位置と比較せよ。『通路』の鑑賞者が見出すのは、商品=芸術が並ぶショーウィンドーではなく、むき出しにされたショーウィンドーの建築的骨格そのものである)。この意味で、小林のりおも、川俣正も、徹底したモダニストと言えるだろう。しかし、そのモダニズムを限界まで徹底化させようとする意味ではポストモダニストである。「モダンはポストモダンでなければモダンにはなれない」というリオタールの逆説がここにある。
議論がやや先走ってしまった感がある。もう一度、当初の問いに戻って、芸術と商品の共通性について整理してみたい。まず出発点となるのは、19世紀中ごろに明白になってきた「人間と物との新たな関係」である。それまで使用価値を中心としていた「物(道具類)」が資本主義的生産様式の発達によって、交換価値が優位を占めるようになった。つまり、物の価値がその有用性を退けられ、いわゆる商品と化していった。それは一種の物(道具類)の芸術化でもある。それまで道具類と区別され、特権的な地位を保ってきた芸術品は、道具類との境界が曖昧になり、その地位を脅かされることになった。芸術という「父の覇権」の失墜。当然、ここであらわになるのは、芸術という交換価値(システム)を支えていた「父の覇権」の正体である。芸術を支えてきた、宗教性・歴史性(伝統)・アカデミズム(政治性)等々。ベンヤミンならそれを「礼拝的価値」(礼拝的価値の形式要素が「創造性・天才性・永遠の価値・神秘の概念等々である)と呼ぶだろう。言うまでもなく、この芸術の危機は、宗教の、伝統の、政治の危機でもある。こうした危機を前にして、芸術家たちはどのような反応を示したのか。この危機意識こそがモダニズムにほかならない。
考えられる反応の一つは、物(道具類)と芸術を徹底的に区別することである。この区別の方法にもいくつかあるだろう。たとえば、あくまでも伝統につらなることで芸術の特権的地位を維持しようとする「素朴な回帰派(あるいはアカデミズム派)」。「芸術のための芸術」を提唱することで、芸術の自律性を見出そうとする「純粋派」(抽象絵画やグリーンバーグのモダニズム批評はこの系譜につらなるものかもしれない。と同時、抽象絵画はカント美学の忠実な実現である)。ここで一言付け加えておけば、「素朴な回帰派」は当然ながら、危機を隠蔽するとともに、芸術を支えていた従来の諸価値(宗教的・歴史的・政治的等々)を維持することになるだろう。「純粋派」は確かに、改めて「芸術とは何か」、「芸術の真の価値はどこにあるのか」といった問いを誘発することにはなる。しかし一方で、芸術の価値をその歴史性を捨象することで一般化・抽象化し、芸術的価値の連続性を見出すことになりはしないか。歴史を超越した、普遍的な価値としての芸術。そして「素朴派(アカデミズム派)」は、「芸術のための芸術」=「純粋派」と結託することで生き延びていく-大笑。言うまでもなく、詳しくは後述したいが、「純粋派」と対照的な反応・戦略をとるのが、ある意味で素朴な「反芸術派」あるいは「ジャンク派」である。芸術の権威を徹底的に暴露していくこと。しかし、当然ながら素朴な「反芸術派」「ジャンク派」は、芸術という権威の存在なしには成立しない。
それではここで、ボードレールはどのような反応、あるいは戦略をとったのか。アガンベンが指摘する「使用価値と交換価値の分裂を芸術作品にも導入し、価値の形式が完全に使用価値と合致する商品-絶対商品をつくろうとした」ボードレールの戦略とはどういうことか(実際、ボードレールは、ある時は芸術は有用性と切り離すことはできない断言し、ある時は純粋芸術を主張するという具合に、物の分裂・二重性を強く意識し、その葛藤のなかにいた。ベンヤミンは「ボードレールにおける第二帝政期のパリ」のなかで、ボードレールが担った「分裂」という危機意識を、マルクスが『ブリュメール十八日』-この著作は1848年の2月革命から51年のルイ・ボナパルトによるクーデターまでを論じた一種のルポルタージュ-で論述した階級的表象の分裂と重ね合わせながら、「芸術家の分裂」としても描いている)。「使用価値と交換価値の分裂を導入すること」とはどういうことか。「使用価値と合致する商品-絶対商品」とは何か。ベンヤミンが写真に見出した「革命的な使用価値」とはどのような関連があるのか、あるいはないのか。
芸術作品への「使用価値と交換価値の分裂」の導入とは、単に芸術を使用価値に貶めることでも、使用価値を退けることでもないだろう。ボードレールがとった戦略は、芸術の有用性(使用価値)を主張することで、従来の交換価値(宗教等々)を解体し、と同時に芸術の商品化をいかに退けるか、いわば二つの的(敵)を同時に撃つことである。アガンベンが言う「価値の形式が完全に使用価値と合致する商品-絶対商品」とは、芸術の新たな価値にほかならない。それは使用価値でもなければ、交換価値でもない、第三の価値を言わんとしているのだろうか。
ここでベンヤミン、バタイユ(『ラスコーの壁画』『沈黙の絵画』『呪われた部分』など)、ハイデガー(『芸術作品の根源』)、デリダ(『絵画における真理』)等々を召喚しつつ、再度、迂回してみよう。堂々巡りを恐れずに。「したがって、われわれは堂々めぐりを遂行しなければならない。このことは窮余の措置ではないし、また欠陥でもない。この道に足を踏み入れることは強さなのであり、そして、思索が手仕事であるとすれば、この道にとどまることは思索の祝祭なのである」(ハイデッガー『芸術作品の根源』関口浩訳)。
先にも少々触れたが、ベンヤミンは写真という新たな複製技術に「革命的な使用価値」を認めた。ベンヤミンは『写真小史』の冒頭で以下のように書いている。「新しい技術の挑発的な出現によって、自分の臨終が近づいたことを感じ取っているのだ。それなのに写真の理論家たちはほぼ百年にわたって、芸術についてのこのフェティシズム的な、根本から反技術的な観念と対決しようとしてきたのであり、当然ながら何の成果もあげられなかった」(『写真小史』久保哲司訳)。ベンヤミンは写真という新たな複製技術のなかに、従来の芸術がもつフェティシズム的・反技術的観念を覆す可能性を見ている。「反技術的」という語は、「反使用価値」ととらえることができるだろう。ベンヤミンは従来の芸術品をフェティシズム的な物、反使用価値的な物とみなしている。
ベンヤミンが『写真小史』のなかで評価と対象とした写真は、アジェやザンダー、ブロースフェルト、シュールリアリズムの写真等々である。これらの写真の特徴を乱暴にも一言で言ってしまえば、間化されたイメージである。アジェの人気のない風景、ザンダーの社会(階級)的な身体、ブロースフェルトの科学的事物、シュールリアリズムの「環境と人間の疎遠化」。それまでの絵画的イメージ=フェティシュなイメージ=人間的なイメージの覆いを引き剥がし、裸形の風景、裸形の身体、裸形の事物等々をあらわにしたということだ。ここまではつとに指摘されてきたことである。従来の芸術が有していた物神性を暴くものとしての写真。実際、その後、表現としての写真の歴史は、この「事物の裸形化」(これを記録性という言葉に置き換えてもいい)を最大の護符・武器としてきた。いまだ多くの写真論が、この「事物の裸形化」を表現としての写真の最大の論拠としている。
ところで、ザンダーの階級的身体やルイス・W・ハインの社会的子供の身体へのまなざしは、フーコーが指摘する「近代の生権力」と符号しはしないだろうか。ゾーエー(生物学的な生)の管理としての「生権力」。ザンダーやハインのまなざしはまさに、フーコーが指摘する「生権力」的なまなざしにほかならないのである。そして、写真の歴史がながらく、この科学的・観察的・記録的まなざしを「裸形の事物」として実体化し(実際、カント流に言えば、写真によるイメージは決して「裸形化された事物=物自体」ではない。いわば事物に向ける関心が異なるということだ。その意味では、事物に人間的な意味を付与するという考えは改めるべきかもしれない。むしろ、事物から当該の関心に合う知覚記号を抜き出し、人間的な意味を担わせると考えるべきかもしれない)。したがってわれわれはつねに、まなざしの「両義性」に注目しなければならない。眼とまなざしの分裂。
ベンヤミンは『写真小史』の末尾で、「こうした映像が与えるショックは、見る人の連想メカニズムを停止させる。この箇所においてこそ、写真の標題というものを用いるべきである」と言っている。われわれはこの「停止」という言葉に注目しなければならない。絵画的まなざしを暴き、裸形化された事物をあらわにすることが重要なのではない。むしろ、絵画的なまなざし=人間的なまなざしを機能停止し、宙吊りにさせることが重要なのである。フーコーの指摘「「フィクシオンは、したがって、不可視なるものを見えるようにすることにではなしに、可視なるものの不可視性がどれほどまでに不可視なものであるかを見えるようにすることに存するのだ」もここに意義がある。そしてまた同じように、アガンベンが指摘するボードレールの戦略である「使用価値と交換価値の分裂を芸術作品にも導入」とは、「使用価値と交換価値とがお互いに打ち消しあい」、その両方が機能不全に陥ることが重要なのである。
話はやや逸れるが、写真に「記録と表現」という昔ながらの論争がある。もはや古びた感はぬぐえないが、この対立が解消されたとも思えない。実際、いまだに「記録と表現」を引き合いに出す写真論にしばしばお眼にかかる(写真における純粋写真派と現代美術派の対立はその置き換えにすぎないだろう)。しかし、記録派も表現派もお互いがお互いを誤解しているように思える。表現は再現することではないし、再現は表現することではない。記録派は表現を何か付け足すものとして表現派を批判する。表現派は記録を単なる再現と誤解して記録派を批判する。記録派も表現派も「再現」と「表現」を混同している。表現とはexpressionという通り、対象となる写真の被写体を圧縮し、引き締め、そのエッセンスを外に搾り出すことである。再現とはrepresentation通り、再び現前させることである(すでに表象されたものを再び取り戻すこと)。したがって表現とは決して被写体に対して何かを付け足すことではない。むしろ被写体の覆いを排除し、核をあらわにすることである。他方、記録とは再現のことではない。人間的なまなざしを排除して、被写体のまなざしを獲得する(事物の権利を回復する)ことである。記録派も表現派も、実は同じ到達点を目指している。見出された根底。記録派にも表現派にも同じ誤解があるとすれば、「根底」を実体化してしったことである。記録派は「裸にされた事物」として、表現派は最後に見出された「本質」として。そして写真は、「裸にされた事物」を「本質」として形式化することで一つになる。
その石をおしだまらせているものを語らせたら-
その沈黙は傷口となって、ひらくだろう。
(パウル・ツェラン「ブランクーシ宅で、ふたりで」飯吉光夫訳)