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Art&Photo/Critic&Clinic

写真、美術に関するエッセーを掲載。

コーカス・レース

2008年06月08日 | Weblog
芸術と商品(あるいは芸術表現と広告表現)。二つの共通性とは何か。この問いへの賭金とは、現代における芸術の使命の一つが「芸術」を「商品」といかに区別するかあるいは区別できるのかの問いにある。

おそらく誰もが異論なく指摘できる共通点の一つは、物神性・呪術性(フェティシズム)である。芸術も商品もいずれも「有用(必要)性」を超えたものを備えている。必要性を超えた過剰な存在としての「芸術と商品」。ところで、フェティシズムに関してはこれまで二つのアプローチが知られている。一つは言うまでもなく、精神分析学(フロイト)がいう「フェティシズム」。そしてもう一つがマルクスによる商品の「物神的性格」である。

精神分析学がいう「フェティシズム」とは周知のように、本来の性的対象を身体の一部分(足、髪、臀部等々)あるいはそれに付随する物(靴、櫛、下着等々)で代用することである。フロイトによれば、代用対象となる究極的な対象とは「母親のペニス」らしい。母親の「不在のペニス」をめぐってのドラマ(葛藤)。それが去勢コンプレックスを説くフロイトにとっての核心である。しかし、フロイトの「フェティシズム」をめぐる論述の重要性は、代用対象が母親の「不在のペニス」かどうかよりも、その心的メカニズムにある。つまり、「不在の対象」をあたかも存在するかのように仮想し、その代用として別なものを欲望してしまうという心的メカニズム。事実上は存在しないもの(母親のペニス)をあたかも存在するかのように思い込むことでの、断念と否認の葛藤。したがって、「フェティシズム」は“否定神学”のように、母親のペニスという「無の存在」を否認すればするほど、その存在を喚起し、肯定することになる。否定を通じての現前。フェティシズムのパラドックス。「この対象はまさしく、それがとらえられないというその在り方によって、人間の必要性を満足させるのである」(ジョルジョ・アガンベン)。

では、マルクスにおける商品の「物神的性格」とは何か?マルクスは『資本論』第1章で商品あるいは貨幣の謎に挑んでいる。マルクスにとって資本主義的生産体制を読み解く最初のキーワードが商品であった。資本主義のメカニズムを読み解く記念すべき書物『資本論』の冒頭は、「資本主義的生産様式が支配している社会の富は、「膨大な商品の蓄積」としてあらわれ、個々の商品は、その富の基本形態としてあらわれる」から始まっている。「その特性によって人間のあれこれの欲望を満たす」物(使用価値=自然という素材を人間にとって有用な物に変形にすること)が、「商品」という形をとるやいなや別な物に変質する、とマルクスは説く。人間の労働によって生産された「使用価値」は、貨幣による売買行為を介することで、いわゆる「交換価値」に変貌するのだ。もちろん、使用価値がなければ交換価値は発生しない。しかし交換価値(商品という価値)には、「一原子の物質も入り込んでいない」。商品は本質的に非物質的で抽象的な財となる。商品の二重性。これが商品の「物神的性格」である。商品という価値の秘密は、貨幣による交換過程がもたらす「財の蓄積」にあるのだ(商品としての労働もまた、その生産過程で剰余価値を生み出すだろう)。商品とは自然なもの(使用価値という人間と物の透明な関係)から逸脱した過剰な存在なのである。

ジョルジョ・アガンベンはその著『スタンツェ』のなかで、詩人リルケや挿絵画家グランヴィルを例に、19世紀に起こった「人間と物との関係」の変化について言及している。リルケによれば「人間らしさ蓄えていた物」が「アメリカ的な均一で空虚な物」に変質してしまったと(このリルケの言述は、今でも骨董品あるいは古い物を愛でる人たちがよく口にする。写真においても同様に、記憶あるいは時間をおびた物への愛着としてしばしば表現されているものだ。たとえば、石内都の母親の形見を撮った写真と、安村崇の『日常らしさ』における物の写真あるいは小林のりおの「デジタルキッチン」における物たちを比較せよ)。グランヴィルの挿絵『人生の些細な悩み』では、人間に反抗する、悪意をもった物が描かれている(グランヴィルはさまざまな場面で物に翻弄される人間を描いている。そういえば、ジョナサン・クレーリーもまた『知覚の宙吊り』のなかで、マックス・クリンガーの版画について、「注意」という観点からその神経症的なイメージについて言及していた)と。そして物の変化を典型的に表わしているのが万国博覧会(1851年のロンドン万博)である。

万国博覧会とはまさに、それまで単なる道具であったものが芸術品と化した場であり、マルクスが言う意味での商品となった場でもある。「商品(道具)が無垢な対象であることを止め」たのだ(たとえば、柳宗悦の民芸運動とはまさに、それまでの道具を芸術化することであったと言える。さらに言えば、明治以前の「日本美術」はすべて道具の装飾=付属物である。屏風、襖等々のパレルゴン。日本美術とはパレルゴンの分離と自律化の過程である。そして民芸運動は道具を再び芸術化する。この道具の芸術化という問題は、ウォホールのポップアートや村上隆の作品とも決して無関係ではない)。「商品がひとたび、有用という隷属状態から日常品を解放すると、これらと芸術作品とを隔てていた境界は、ますます危ういものになるのである。ルネサンス以来、芸術家たちは、職人や労働者の「作業」に対する芸術的創造の優位性を打ち立てることで、飽くことなくこの境界を固めようとしてきたのであるが」(アガンベン)、もはや芸術作品も道具も区別がつかないものになる。商品の芸術化、芸術の商品化の始まり。

19世紀に起こった、「人間と物との新たな関係」。「使用価値」と「交換価値」への分裂と二重性。こうした事態の到来を受けて、芸術はどのような反応を見せるのか、見せたのか。最もありがちな芸術側の反応=抵抗は、芸術と商品(物)とを徹底的に区別(否定)することだろう。芸術は単なる商品(物)とは違うんだと(この態度はマルクス主義者たちの素朴な「解放論」とも似ている。商品化された労働から、労働本来の神聖さを取り戻すのだと。あるいは性はもっぱら生殖に専念し、生殖に限定されるべきだという「性からの解放論」-笑)。しかし、芸術が商品を否定すればするほど、前述した「フェティシズムのメカニズム」や「否定神学」のように、商品の芸術化(それを支える幻想のメカニズム)を強固にすることになるだろう。ここで特異な抵抗の姿勢を取ったのがボードレールであったと、アガンベンは指摘している。と同時にボードレールの姿勢・方法こそが近代芸術が秘めていた可能性であったと。ではボードレールが取った方法・戦略とはどのようなものであったのか。

アガンベンによれば、ボードレールは「使用価値と交換価値の分裂を芸術作品にも導入し」、「価値の形式が完全に使用価値と合致する商品-絶対商品をつくろうとした」(このボードレールが目指した「絶対商品」は、マネが絵画を成立させる物質的諸条件をあらわにしようとしたことと符合するだろう)と述べている。「芸術作品の究極的な商品化とはまた、商品のもっともラディカルな廃棄でもあるのだ」。ポップアートもまた同様の方法をとったことは明らかだろう。いや、その方法は異なるとはいえ、近代・現代美術が、ボードレールの課題を引き受け、その応答の歴史であったことは明らかである。ボードレールによって「今日、芸術とは何か」という問いが初めて問われたのだ。おそらくこのことは、フーコーが述べている、哲学という領域にカントによって初めて「今日、私たちとは何か」という問いが生み出されたことと符号しているのではないか。

ボードレールの方法・意図の完璧かつ簡潔な実現がデュシャンの「レディ・メイド」である。デュシャンの「レディ・メイド」は、単に物のコンテクストを異動し、置き換えただけではない。日常品を芸術空間に置きなおすことで、日常品の意味性のヴェールを剥ぐと同時に、近代的な芸術空間そのものをも宙吊りにしたのだ。しばしば言われるように、日常品の意味性のヴェールを剥ぐことで「裸の物」を露出したのだとのみとらえてはならない。それでは、素朴に使用価値の回復を志向する「解放論者」と違わないだろう。むしろ「レディ・メイド」は、芸術空間に「使用価値と交換価値の分裂」こそを導入したのであり、近代的な芸術空間が商品空間そのものであることを暴露するとともに、その廃棄こそを目指したものではなかったのか(そもそも、あらかじめ近代的な芸術空間-具体的に言えば展覧会会場であり、ギャラリーであり、美術館-がなければ、デュシャンのレディ・メイドは成立しないのだ。デュシャンのレディ・メイドは位相幾何学的な構造を創出しているのだ)。

ここでわれわれは改めて、写真が担った役割(歴史)を再考することができるだろう。デュシャンの「レディ・メイド」は明らかに、「写真の論理」を背景としているに違いないと思われるからである。

周知のように、おそらく写真固有の論理を初めて明確にしたのは、『写真小史』や『複製技術時代の芸術作品』におけるベンヤミンである。これまた周知のように、ベンヤミンは写真という複製技術のなかに、それまでの芸術に備わる「アウラ」の消失を見出した。「アウラ」とは多木浩二が指摘するように、「事物の権威」「事物に伝えられている重み」、いわば集団的な幻想がもたらす「雰囲気」のことである。つまり、写真は従来の芸術を覆っていた「アウラ(雰囲気)」(芸術の意味性というヴェール)を引き剥がし、事物を裸にするということである。アジェやザンダー、シュールリアリズムの写真は「環境と人間化の疎遠化」をもたらし、これまでの知覚を「間化する」。ベンヤミンはさらに、『複製技術時代の芸術作品』のなかでは、集団的幻想としての「アウラ」を「礼拝価値」として、その論理を敷衍している。言ってみれば、この「礼拝価値」とは交換価値のことである。つまり、ベンヤミンは、写真のなかに「使用価値」がもたらす力の可能性を見出している。実際、『写真小史』と同様の主題を論じた「生産者としての作家」のなかで、「われわれが写真家に要求すべきことは、写真を当世風の変質からひきはがし、写真に革命的な使用価値をあたえる画像の説明を付与する能力である」。「革命的な使用価値」。ベンヤミンは、前述したマルクス主義者の「解放論」のように、単純に「使用価値」の回復を主張しているのだろうか。ベンヤミンは写真のなかに「使用価値(裸の事物)」の回復(別な言葉で言えば、現実の暴力的な介入とも言えないか)を見出し、そこに新たな芸術の可能性を見出したことは明らかである。しかしベンヤミンは、この写真の論理に潜むパラドックスに決して無自覚であったわけではない。それが「新即物主義」への批判にあらわれている。たとえば、ベンヤミンが評価するブロースフェルトの写真と、批判的だったレンガー=パッチュの写真に、われわれはどのような差異を見出すべきなのだろうか。このパラドックスを、後にロラン・バルトが「写真の人工性を自然化してしまう」パラドックス、あるいは「痕跡の美学化」と呼んでみたい。実はこのパラドックスこそが「使用価値(裸の事物)の回復」を美学化してしまったのではないか。モノクロの美学、プリントの美学。

ベンヤミンが『写真小史』や『複製技術時代の芸術作品』を書いたのは、写真が登場してから90年近く経った1930年代である。さらにベンヤミンの時代から、われわれの“現在”は80年近くも経っている。簡単に言えば、ベンヤミンが写真に見出した「革命的な使用価値」こそが、写真の論理のパラドックスによって、一つの「アウラ」「礼拝価値」となってしまっているのだ。われわれに課せられたことは、ベンヤミンの写真における「革命的な使用価値」を実体化することなく、その形式的真理を踏襲し、考察することではないか。

このことを自覚・認識している、数少ない写真家の一人が小林のりおである。たとえば、2006年3月に行われた「なぜヤフオク図鑑か-Japanese Blue」は、Webオークションという現代の商品空間に「ブルーシート」という「使用価値」を暴力的に介入させてみせた。「ブルーシート」と「ジャパニーズブルー」という分裂、あるいは二重性。これは使用価値と交換価値の分裂を写真作品にも導入し、価値の形式が完全に使用価値と合致する商品-絶対商品をつくろうとした、ボードレール的試みであったことは明らかだろう。以前にちょっと触れた、川俣正の『通路』も同じ構造を持っている。通路(使用価値)の導入によってむき出しにされた美術空間は、近代的な芸術鑑賞者という、われわれの位置もまたもむき出しにされ、宙吊りにされる(ベンヤミンが言う「遊歩者」という位置と比較せよ。『通路』の鑑賞者が見出すのは、商品=芸術が並ぶショーウィンドーではなく、むき出しにされたショーウィンドーの建築的骨格そのものである)。この意味で、小林のりおも、川俣正も、徹底したモダニストと言えるだろう。しかし、そのモダニズムを限界まで徹底化させようとする意味ではポストモダニストである。「モダンはポストモダンでなければモダンにはなれない」というリオタールの逆説がここにある。

議論がやや先走ってしまった感がある。もう一度、当初の問いに戻って、芸術と商品の共通性について整理してみたい。まず出発点となるのは、19世紀中ごろに明白になってきた「人間と物との新たな関係」である。それまで使用価値を中心としていた「物(道具類)」が資本主義的生産様式の発達によって、交換価値が優位を占めるようになった。つまり、物の価値がその有用性を退けられ、いわゆる商品と化していった。それは一種の物(道具類)の芸術化でもある。それまで道具類と区別され、特権的な地位を保ってきた芸術品は、道具類との境界が曖昧になり、その地位を脅かされることになった。芸術という「父の覇権」の失墜。当然、ここであらわになるのは、芸術という交換価値(システム)を支えていた「父の覇権」の正体である。芸術を支えてきた、宗教性・歴史性(伝統)・アカデミズム(政治性)等々。ベンヤミンならそれを「礼拝的価値」(礼拝的価値の形式要素が「創造性・天才性・永遠の価値・神秘の概念等々である)と呼ぶだろう。言うまでもなく、この芸術の危機は、宗教の、伝統の、政治の危機でもある。こうした危機を前にして、芸術家たちはどのような反応を示したのか。この危機意識こそがモダニズムにほかならない。

考えられる反応の一つは、物(道具類)と芸術を徹底的に区別することである。この区別の方法にもいくつかあるだろう。たとえば、あくまでも伝統につらなることで芸術の特権的地位を維持しようとする「素朴な回帰派(あるいはアカデミズム派)」。「芸術のための芸術」を提唱することで、芸術の自律性を見出そうとする「純粋派」(抽象絵画やグリーンバーグのモダニズム批評はこの系譜につらなるものかもしれない。と同時、抽象絵画はカント美学の忠実な実現である)。ここで一言付け加えておけば、「素朴な回帰派」は当然ながら、危機を隠蔽するとともに、芸術を支えていた従来の諸価値(宗教的・歴史的・政治的等々)を維持することになるだろう。「純粋派」は確かに、改めて「芸術とは何か」、「芸術の真の価値はどこにあるのか」といった問いを誘発することにはなる。しかし一方で、芸術の価値をその歴史性を捨象することで一般化・抽象化し、芸術的価値の連続性を見出すことになりはしないか。歴史を超越した、普遍的な価値としての芸術。そして「素朴派(アカデミズム派)」は、「芸術のための芸術」=「純粋派」と結託することで生き延びていく-大笑。言うまでもなく、詳しくは後述したいが、「純粋派」と対照的な反応・戦略をとるのが、ある意味で素朴な「反芸術派」あるいは「ジャンク派」である。芸術の権威を徹底的に暴露していくこと。しかし、当然ながら素朴な「反芸術派」「ジャンク派」は、芸術という権威の存在なしには成立しない。

それではここで、ボードレールはどのような反応、あるいは戦略をとったのか。アガンベンが指摘する「使用価値と交換価値の分裂を芸術作品にも導入し、価値の形式が完全に使用価値と合致する商品-絶対商品をつくろうとした」ボードレールの戦略とはどういうことか(実際、ボードレールは、ある時は芸術は有用性と切り離すことはできない断言し、ある時は純粋芸術を主張するという具合に、物の分裂・二重性を強く意識し、その葛藤のなかにいた。ベンヤミンは「ボードレールにおける第二帝政期のパリ」のなかで、ボードレールが担った「分裂」という危機意識を、マルクスが『ブリュメール十八日』-この著作は1848年の2月革命から51年のルイ・ボナパルトによるクーデターまでを論じた一種のルポルタージュ-で論述した階級的表象の分裂と重ね合わせながら、「芸術家の分裂」としても描いている)。「使用価値と交換価値の分裂を導入すること」とはどういうことか。「使用価値と合致する商品-絶対商品」とは何か。ベンヤミンが写真に見出した「革命的な使用価値」とはどのような関連があるのか、あるいはないのか。

芸術作品への「使用価値と交換価値の分裂」の導入とは、単に芸術を使用価値に貶めることでも、使用価値を退けることでもないだろう。ボードレールがとった戦略は、芸術の有用性(使用価値)を主張することで、従来の交換価値(宗教等々)を解体し、と同時に芸術の商品化をいかに退けるか、いわば二つの的(敵)を同時に撃つことである。アガンベンが言う「価値の形式が完全に使用価値と合致する商品-絶対商品」とは、芸術の新たな価値にほかならない。それは使用価値でもなければ、交換価値でもない、第三の価値を言わんとしているのだろうか。

ここでベンヤミン、バタイユ(『ラスコーの壁画』『沈黙の絵画』『呪われた部分』など)、ハイデガー(『芸術作品の根源』)、デリダ(『絵画における真理』)等々を召喚しつつ、再度、迂回してみよう。堂々巡りを恐れずに。「したがって、われわれは堂々めぐりを遂行しなければならない。このことは窮余の措置ではないし、また欠陥でもない。この道に足を踏み入れることは強さなのであり、そして、思索が手仕事であるとすれば、この道にとどまることは思索の祝祭なのである」(ハイデッガー『芸術作品の根源』関口浩訳)。

先にも少々触れたが、ベンヤミンは写真という新たな複製技術に「革命的な使用価値」を認めた。ベンヤミンは『写真小史』の冒頭で以下のように書いている。「新しい技術の挑発的な出現によって、自分の臨終が近づいたことを感じ取っているのだ。それなのに写真の理論家たちはほぼ百年にわたって、芸術についてのこのフェティシズム的な、根本から反技術的な観念と対決しようとしてきたのであり、当然ながら何の成果もあげられなかった」(『写真小史』久保哲司訳)。ベンヤミンは写真という新たな複製技術のなかに、従来の芸術がもつフェティシズム的・反技術的観念を覆す可能性を見ている。「反技術的」という語は、「反使用価値」ととらえることができるだろう。ベンヤミンは従来の芸術品をフェティシズム的な物、反使用価値的な物とみなしている。

ベンヤミンが『写真小史』のなかで評価と対象とした写真は、アジェやザンダー、ブロースフェルト、シュールリアリズムの写真等々である。これらの写真の特徴を乱暴にも一言で言ってしまえば、間化されたイメージである。アジェの人気のない風景、ザンダーの社会(階級)的な身体、ブロースフェルトの科学的事物、シュールリアリズムの「環境と人間の疎遠化」。それまでの絵画的イメージ=フェティシュなイメージ=人間的なイメージの覆いを引き剥がし、裸形の風景、裸形の身体、裸形の事物等々をあらわにしたということだ。ここまではつとに指摘されてきたことである。従来の芸術が有していた物神性を暴くものとしての写真。実際、その後、表現としての写真の歴史は、この「事物の裸形化」(これを記録性という言葉に置き換えてもいい)を最大の護符・武器としてきた。いまだ多くの写真論が、この「事物の裸形化」を表現としての写真の最大の論拠としている。

ところで、ザンダーの階級的身体やルイス・W・ハインの社会的子供の身体へのまなざしは、フーコーが指摘する「近代の生権力」と符号しはしないだろうか。ゾーエー(生物学的な生)の管理としての「生権力」。ザンダーやハインのまなざしはまさに、フーコーが指摘する「生権力」的なまなざしにほかならないのである。そして、写真の歴史がながらく、この科学的・観察的・記録的まなざしを「裸形の事物」として実体化し(実際、カント流に言えば、写真によるイメージは決して「裸形化された事物=物自体」ではない。いわば事物に向ける関心が異なるということだ。その意味では、事物に人間的な意味を付与するという考えは改めるべきかもしれない。むしろ、事物から当該の関心に合う知覚記号を抜き出し、人間的な意味を担わせると考えるべきかもしれない)。したがってわれわれはつねに、まなざしの「両義性」に注目しなければならない。眼とまなざしの分裂。

ベンヤミンは『写真小史』の末尾で、「こうした映像が与えるショックは、見る人の連想メカニズムを停止させる。この箇所においてこそ、写真の標題というものを用いるべきである」と言っている。われわれはこの「停止」という言葉に注目しなければならない。絵画的まなざしを暴き、裸形化された事物をあらわにすることが重要なのではない。むしろ、絵画的なまなざし=人間的なまなざしを機能停止し、宙吊りにさせることが重要なのである。フーコーの指摘「「フィクシオンは、したがって、不可視なるものを見えるようにすることにではなしに、可視なるものの不可視性がどれほどまでに不可視なものであるかを見えるようにすることに存するのだ」もここに意義がある。そしてまた同じように、アガンベンが指摘するボードレールの戦略である「使用価値と交換価値の分裂を芸術作品にも導入」とは、「使用価値と交換価値とがお互いに打ち消しあい」、その両方が機能不全に陥ることが重要なのである。

話はやや逸れるが、写真に「記録と表現」という昔ながらの論争がある。もはや古びた感はぬぐえないが、この対立が解消されたとも思えない。実際、いまだに「記録と表現」を引き合いに出す写真論にしばしばお眼にかかる(写真における純粋写真派と現代美術派の対立はその置き換えにすぎないだろう)。しかし、記録派も表現派もお互いがお互いを誤解しているように思える。表現は再現することではないし、再現は表現することではない。記録派は表現を何か付け足すものとして表現派を批判する。表現派は記録を単なる再現と誤解して記録派を批判する。記録派も表現派も「再現」と「表現」を混同している。表現とはexpressionという通り、対象となる写真の被写体を圧縮し、引き締め、そのエッセンスを外に搾り出すことである。再現とはrepresentation通り、再び現前させることである(すでに表象されたものを再び取り戻すこと)。したがって表現とは決して被写体に対して何かを付け足すことではない。むしろ被写体の覆いを排除し、核をあらわにすることである。他方、記録とは再現のことではない。人間的なまなざしを排除して、被写体のまなざしを獲得する(事物の権利を回復する)ことである。記録派も表現派も、実は同じ到達点を目指している。見出された根底。記録派にも表現派にも同じ誤解があるとすれば、「根底」を実体化してしったことである。記録派は「裸にされた事物」として、表現派は最後に見出された「本質」として。そして写真は、「裸にされた事物」を「本質」として形式化することで一つになる。

その石をおしだまらせているものを語らせたら-
その沈黙は傷口となって、ひらくだろう。
(パウル・ツェラン「ブランクーシ宅で、ふたりで」飯吉光夫訳)

コーカス・レース

2008年04月30日 | Weblog
「フィクシオンは(表現は、と言い換えてもいい)、したがって、不可視なるものを見えるようにすることにではなしに、可視なるものの不可視性がどれほどまでに不可視なものであるかを見えるようにすることに存するのだ」(フーコー『外の思考』豊崎光一訳)

このフーコーの指摘には、メディア時代(映像の時代あるいはイメージのイメージの時代)の、とりわけデジタル時代(イメージの内部の時代)の写真表現の使命の一つがあるように思える。どのような表象システムが、あるいは表現(見ることの欲望)システムが見えるものを見えなくしているのか、反対に見えないと称するものを見えるようにしているのか。可視性と不可視性の分割と配置。不可視性と可視性のシステムをあらわにすること、あるいは分析すること。

眼は口ほどに物を言い。
眼にあふれた言葉、あるいは食物と嘔吐物。
眼の拒食症と過食症(ボルヘスとラブレー)、
あるいは不眠症と嗜眠症。

縫い合わされた口。
膨れ上がった眼。
ざわめく耳。
三つの手法。

肥大した眼、貪欲な眼。
いまだお前は見飽きぬのか。
見えないものまで見たいとは。

人類は過剰な生を生きている。
欲望という名の過剰。
残余、剰余、余生、滞留……。
喪の作業もまた、死者から与えられた負債にほかならない。

レンズとは何か?-光学的な観点?
静止画とは何か?-鋳型としての観点?
レンズによって固定された(固定には自動的と称しようと、無媒介と称しようと、把捉と再生産という二つの相があることを忘れてはいけない。ということは写真というイメージも表象-再現前を免れていないということである。しかしそれでもなお、写真というイメージは表象に属するものなのかという問題は残るだろう)現実の断片(断片の断片、ディテール)とは何か?

ベンヤミンによって指摘された、カメラの眼による過剰なディテール。しかし、断片の過剰な視覚が統一的な全体性を表象することはない。むしろ、断片は自律化することによって、一つの全体と化したと言えるだろう。つまり、カメラの眼による断片と裸眼による統一的な全体性は分離されているということだ。たとえば、エドワード・マイブリッジの分解され、断片化された運動のイメージは、もはや統一的で連続的な運動のイメージを喚起することがない。この過剰なディテールは、後にロラン・バルトによってプンクトゥムとも呼ばれもするだろう。しかし、プンクトゥムあるいは過剰なディテールをかつてあったものの痕跡として実体化してはならない(写真における技術偏重主義もここに由来する)。ドゥルーズの用語を使えば、プンクトゥムとは「超存在」なのである。

したがって、過剰なディテールの現前は、表象としての統一的全体性を不可能にする。過剰なディテールは、当然ながら、凝視(固定された視覚-静止画)という問題とも絡んでくる。凝視こそが過剰なディテールを生み出すと言ってもいいだろう。凝視とはけっして、再現という古典的な視覚システムに収まるものではない。むしろ凝視は確かな視覚を脅かすのだ。

ところが、写真のデジタル化は、断片の過剰な視覚を一枚=全体として組み合わせることで、あたかも裸眼による統一的な全体性を回復させるかのように偽装する。それとも、そこには創造的な総合を示唆するようなものがあるのだろうか?たとえば、ジェフ・ウォールは写真=断片という公準を覆し、一枚の写真における全体化を試みる。これは新たな創造的総合の試みなのだろうか?

ここで総合とは何かという問題が生じてくるだろう。たとえばカントは、構成的と統制的という二つの区分をしている。構成的が経験的なものを総合するとすれば、統制的は先験的なものに属する。しかし、ドゥルーズは、カントの超越論的批判はけっきょく経験的なものを引き写したものにすぎないものとも言っている。なぜならカントはつねに諸能力=理解・判断・記憶・想像等々の統一を前提にしているからだ。ドゥルーズにおける超越性、あるいは創造性とはあくまでもある能力がその能力だけに関わり、その能力が限界を超えることに見出している-けっきょく、カントが間違いあるいは錯覚を正すことに(実際、カントはその『純粋理性批判』の序文において、自らの批判を法廷あるいは裁判官に喩えている)、超越論的批判の動機があるとすれば(もちろんカントは『判断力批判』において、その立場を自ら追い込み、脅かされるわけだが……)、ドゥルーズは錯覚にこそ、創造の、つまりは生きることの可能性を見出しているということか!もちろん、ここでドゥルーズが問題にしている錯覚は、事実上の錯覚ではなく、権利上の錯覚である。

さらによりよく見るために、正しくみるために。それはあたかも、顕微鏡的な視覚で全体を見ているかのようである。高解像度のマジック。言うまでもなく、ベンヤミンが指摘した「断片の過剰な視覚」と、精神分裂症(統合失調症)とは密接な関係がある。われわれが観測衛星かぐやの捉えた映像に驚くのは、青い地球の姿ではない。むしろ、月面の画像にこそ驚くのだ。あの月面のディテールがあってこそなのだ。肥大した眼による全体の把握(つまりは諸能力の統一化)は、われわれの「見る主体」をどこに導くのだろうか。

ドゥルーズは全体の部分としての断片と断片的全体を区別している。ジグソーパズルとサイコロ振り。前者があらかじめ与えられた全体に従属する断片であるとすれば、後者は断片がその都度全体をなし、その全体は絶対的なもの(つねに勝ち目となるサイコロ振り)である。

したがって、写真という断片あるいはディテールが、あらかじめ想定された全体を脅かさなければ、それは現実の単なる再認に過ぎないことになる(轍、あるいは痕跡の論理によって、その再認は保証され、自然化される)。いや、単に脅かすだけでいいのだろうか。たとえば、見られたものと撮られたものの厳密な一致という企みは確かに、経験的なもの、生きられたものを根拠として、撮られたもの(イメージ)の全体性(現実の真実性)を脅かす。しかし、この経験主義はやはりあらかじめ裸の物、原初の自然という全体を前提にしているのではないか。

写真における全体と断片。ここでの論理の前提となっているのは、写真というイメージが現実を写すという、相変わらずの逃れがたき大前提である。見られたものと写されたものの一致。もちろん、見られたものと写されたものが一致しないからこそ、その一致を希求するのだ。見ることはベルグソンが明らかにしたように、事実上は知覚と記憶の混合したものである。しかし、ベルグソンが明らかにしたことは、事実上の混合ではなく、むしろ論理上、純粋知覚と純粋記憶を分離したことである。経験の曲がり角の先に行くこと。とすれば、写真というイメージは、事実上、この分離を証明している。写真には純粋知覚が潜んでいるように思える。だからこそ、土門拳は「絶対非演出の絶対スナップ」を唱えたのであって、主観的写真や広告写真は、純粋知覚の可能性を閉ざすように思えたのに違いない。広告写真は被写体(もの)を写そうとしているわけではなく、感覚を構成要素として、一つの意味(メッセージ)を形成しようとしているわけだ。感覚の図像学(つまり、諸感覚を意味作用のもとに統覚するのだ)。そしてもちろん、荒木経惟たちは、土門拳たちの被写体(物)もまた、社会的・政治的意識で覆われていると批判するわけだが…。そこで登場してくるのが、写真的身体(現象学的身体)なるものだった。穢れなき無垢な身体。しかし、こうした身体はベルグソン的に言えば、感覚・運動的な自動的身体にすぎない。牛が草を食むようなものである。再認の反復。とすれば、土門拳の身体(?)よりましというわけではない。中平卓馬は別な文脈で土門拳の論理を取り戻そうとするのだが…(東松照明はその中道にあって、唯一、現実から“しるし”を読み取ろうとした写真家かもしれない。そして高梨豊)。しかし時代はすでにイメージ(写真)で覆われてしまっていた。記録と表現、客観と主観という図式の崩壊。その後、日本の写真のメインストリームとなっていくのは、詩的(主観的)な写真である(傍流の一つの例として、大辻清司や小林のりおは、写真行為そのものを主題化していくだろう)。被写体(現実)の消失。

全体と部分-全体の中の部分、部分の中の全体。群集の中の個人、個人の中の群集。集団の中の個、個の中の集団。……。

そして、写真のデジタル化。写真はもはや証拠ではない。実体としての痕跡(鋳型)から関係としての痕跡(鋳型)へ。写真こそが証拠(倫理)を必要としている。デジタル・イメージの背後にはもはやイメージしかない。イメージのイメージのイメージの……イメージとしてのイメージ。

ところで、レンズの眼が裸眼を延長し、代理し、あるいは簒奪し、視覚を肥大化(あるいは歪曲化)させることは否定すべきことなのか?

果たして「過剰なものは必要なものの敵(ニーチェ)」なのだろうか?ニーチェが過剰を必要の敵とみなすのは、もちろん必要以上に余分なもの、その贅沢さを咎め、清貧の思想を説くためではない。過剰が最も必要なものを欠いているから告発するのである。過剰さが最も必要なものを欠いてしまうパラドックス。「過剰にしてしかも欠如せる父、プラトン」(フーコー)。

しかし実は、「過剰」と「必要」の関係はきわめて複雑である。生物学上の自己保存欲動(個体の保存欲動)に従うならば、人類とて必要以上に食べる必要はない。料理(調理された食物)はすでにして過剰な自己保存の欲動がもたらした結果である(「空腹は空腹であるが、料理された肉をフォークやナイフでたべてみたされる空腹は、手や爪や牙をつかって生肉をむさぼりくらうような空腹とは、別のものである」-マルクス)。何故に、人類は必要以上のものを食べるようになるのか。そこに絡んでくるのが、性的欲動である。もちろん、ここでいう性的欲動(種の保存)とは広義での快感原則のことである(たとえば、乳児が母親の乳房をくわえる際、乳児は自らの空腹を満たす以上の、あるいは別の快感-つまり性的快感を得ているというのが、フロイトの主張である。指しゃぶりは乳房の代替物として行われるが、指しゃぶりには空腹を満たすためのいかなる機能もない。なのに何故に指をしゃぶるのか?後に、乳児における乳房への異常な貪欲さが不安に転じ、象徴形成を頓挫をさせ、破壊衝動に至るという、被害妄想の原型とみなしたのがメラニー・クラインである。ところで、指しゃぶりをする乳児にとって、この指はいかなる対象か。乳房の代替物という意味ならば、他者のものである。しかし他方、指は内部から感じる自分自身ではないか。自我の他者による同一化)。食べることに、食べることで得られる満足以上の快感をもたらせば、当然、必要以上に食べることになるだろう。この自己保存欲動と性的欲動の葛藤において心的メカニズムを探ったのがフロイトである(後にフロイトは、食欲、性欲=エロスについで、死への欲動=タナトスを付け加えるのだが)。

レンズの光が我が眼を潰した。
おお、盲目の写真よ。

突然、こんな疑問が頭をもたげる。映画が哲学に所属するとすれば、写真は科学に所属するのではないかと。両者とも芸術には所属していない?これは一考に価する疑問である。写真とはけっきょく現実の関数なのではないか。というより、現実の関数を導き出すことではないか。

写真はしばしば過去や記憶というタームのなかで語られる。しかし、写真はむしろ“現在している”ことこそが特性ではないのか。過去の過剰な現前。写真はつねに“いま”を強要する。“すでにそこに在ることと常に遅れて在ることの同一性”。ヒステリー症としての写真。

ドゥルーズは、D・H・ロレンスの指摘にならって、「写真に対して、非難されるべきは、それがあまりに“忠実”であるということではなく、十分に忠実ではないということ」であると言っている。つまり、ここで言われている写真の忠実性(=再現性)とは、すでに表象というスクリーンに覆われているということである(写真は、写真の再現性を素朴に信じれば信じるほど、イメージ=表象となるのである)。もちろん、この指摘は多くの写真家たちが周知してきたことである。いわんや土門拳においては、なおさらである。だからこそ、土門拳はリアリズムを唱えたのだ。つまり、土門拳は現実を忠実に写しとることがいかに困難であるかを理解していたわけだ。

写真の特性の一つとして、多くの人がその“偶然性”を指摘する。しかし、写真における“偶然”がいかに稀なことであるか、その出会いがいかに困難なことであるか、優れた写真家は知っている。“偶然”に対して、「欲深い」と語った画家ベーコンのように。「芸術家というものは、じつは、偶然のなかでもっとも偶然的なものだ」(フィリップ・ソレルス)。偶然に関するもう一つの至言。「操作される以外に偶然は存在せず、利用される以外に偶然性は存在しない」(ドゥルーズ)。「偶然性を否定する者は、自分が拷問にかけられていないこともできたということを認めるまで拷問にかけられなければならないだろう」(スコトゥス)。

写真を過去からの亡霊に喩えるとしても、写真を過去と現在を正しくつなぐアリバイ(蝶番)にしてはならない。かのハムレットが亡き王(父)の亡霊を前にして「The time is out of joint この世の関節がはずれてしまった」と発したように、われわれは写真を現在との関係において「関節がはずれ、脱臼し、筋を違え、われを忘れ、乱され、蝶番がはずれ、脱節し、調整不全に陥った」(デリダ)時間・歴史・世界ととらえるべきではないか。「いかにして現前するものは、節なきもの、すなわち脱節でありうるのだろうか」(ハイデガー)

エッチング(銅版画)、外科医術(解剖学)、写真。これらのアナロジーあるいは相関関係を再考すること。写真を準備した18世紀の視覚体制とはどのようなものか。ピラネージ、ダゴティ、シャルダン……。光学の論理に対して鋳型(痕跡)の論理で斜線をひくこと。二つの論理の切れ目(差異)をあらわにすること。

たとえば、写真には18世紀の観相学につらなる、兆候を読み解き、図像化・記号化する、一つの痕跡の論理があったはずである。ところが、そうした兆候としての痕跡を光学的な観点から技術化し、美学化してしまった?グラフィズムの美学化?

「眼の狩人」ならぬ「鼻の狩人」(笑)。狩人にとって獲物を射ることなどは二次的なことにすぎない。狩人の知を構成しているのは、あくまでも獲物の痕跡を追跡し、解釈するプロセスである。

優れた写真家とは、同一性のなかに差異を見出す者ではなく、雑多な世界(現実)のなかにどうしようもなく類似を見てしまう者ではないか。「彼はあらゆるところに類似と類似を示す記号しか見ない」(フーコー)。優れた写真家が切り取る断片は、文化の外縁に位置する、あるいは逸脱した、過剰な類似の記号(しるし)なのだ。彼が差異や違和感をおぼえるのは、世界の分け方、断片化の方法や基準、その前提に対してである。自我の同一性があらゆる事物に類似をもたらすのではなく、事物の類似性こそが逆に自我に亀裂をもたらすのだ。

写真における記録の暴力性は、いわば“現実界”の侵入であったわけだがしかし、すでに記憶が写真的記録によって覆われているとしたら(その兆候はすでに60年代に始まっていたわけだが)、写真の記録性はすでに(またもやすでにだ)象徴化されていることになるだろう。というよりも、そもそも写真における記録の暴力性とは、想像界のものであったのかもしれない。鏡と性交、そして写真は増殖するがゆえに忌まわしい(ボルヘス?)。しかし、「鏡の向こう側に移る(写る)ことは、指示関係から表現関係へ移ること」(ドゥルーズ)ではないか。記録とは“指示”ではなく、“表現”ではないか。

したがって、記録の暴力性というものが仮に可能だとすれば、その記録とは表現されるべきもの、表現されることによって記憶となるもの、最も古い記憶のことだろうか。抑圧されたものの回帰。デジタル時代にあっては、記録によって記憶(思い出)を切り裂くよりも、記憶によって記録としての静止画を消し去る方が有効ではないだろうか。絵画の論理の再回帰。写真における忘却の論理のパラ-ドックス。新たなる価値創造の契機としての忘却(=反動的・否定的・受動的ニヒリズム)。

たとえばヘーゲルは、アダムが動物たちを名づけることは殺戮に等しいと語っている。名指すことによる現実存在の無化と観念化。名指すことと映像化すること。写真(映像化)による大殺戮。現実存在の写真化(映像化)とは、記録化(無時間化)し、モノを殺戮することなのか。デリダならば、それでもなお余白(現実界の痕跡=記録的痕跡)が残るというだろう。一つの暴力として。しかし、写真とは単に現実存在を表象し、無化・観念化(記録化・無時間化)することなのか。それではあまりに現実存在(対象)との指示関係を自明のものとしてはいないか。少なくとも、写真による現実の断片化は、全体(現実存在)の一部を切り取ったものではなく、むしろそこにはある種の創造性(表現あるいは再構成)が介在してはいないのか。

非物体的な出来事として写真。それでもやはり、写真は物体的事物の状態でもある。写真における食べられるものと表現されるものの二元性。事物と表現の境界としての写真。とすればやはり、写真という静止画に運動を与えなければならないのだろうか。動画(映画)とは違った運動を。写真におけるモンタージュ理論。写真の統辞論-単写真、組写真、群写真、系列写真(音楽にセリー音楽と言われるものがある。音を、音の高低、強度、音の長短(音価)、音域、音色等の要素に分け、それぞれを音の要素データのセリーとしてとらえ、その統御によって曲を構成する方法である。シェーンベルクの音列技法を嚆矢とし、ブレーズによって確立されたものだ。たとえば、写真においても、光の濃淡、速度、被写界深度、色価等、さまざまな要素に分解し、それらのセリーを統御することで、一つの展示空間を作り出すこと。そうした展示方法をとりあえず、系列としての写真と呼びたいと思う。この系列写真に関してはもちろん、さらなる考察が必要である)等の諸問題。

静止画としての写真は、確かに物的事物の一状態(鋳型としてのイメージ)ではあるのだが、それはジュール・マレの連続写真が示唆するように、運動の分割された瞬間である。とすれば、その瞬間とは、論理上、無限に分割される瞬間でもある(無限の高速度撮影-瞬間の瞬間の瞬間の……瞬間)。静止画としての写真は、決定的瞬間(とは固定された瞬間ということ)ではなくむしろ、無限分割の可能性を秘めた非・決定的瞬間と言えるだろう(「すべての決定は分岐していく。無知な者は、無限のくじ引きは無限の時間を要すると思っている。実際は、時間が無限に下位分割可能であれば十分である。〈亀との争い)の有名な逸話が示すように」ボルヘス)。そう、静止画としての写真は、固定された“現在(瞬間)”どころか、無限の“現在(瞬間)”を秘めた時間なのだ。ドゥルーズが言う、「現在をかわす・逃れる」“現在”。およそ考えうる極小時間よりも短いと同時に、およそ考えうる極大時間よりも長い時間を含んだ“現在”、アイオーンとしての時間。

しかしやはり、写真にアイオーンとしての時間をもたらすには、映画にこそ、その席と役割を譲らねばならないのだろうか。写真固有の使用法はないのだろうか、あるいは映画とは異なる使用法が。

小林のりおの「デジタル・キッチン」は、無限に分割されようとしている“キッチンの時間”と言えないだろうか。アリスのキッチン。1999年から現在までの「デジタル・キッチン」を一挙に見てほしい。10年近くを経ている“キッチン”の場では何事も起こらなかったし、すべてのことが起こったかのようだ。「未だ来るべき」場であり、「既に過ぎ去った」場であるキッチン。ドラマの不在、あふれる光のドラマ(話はやや逸れるが、小林のりおの『ランドスケープ』は、写真における光の問題を、それまでの写真家とは違った関係で風景に取り込んだものだった。たとえば、荒木にしても森山にしても彼らの光の扱いは、闇との関係における光だった。ドゥルーズは映画における表現主義の光について、こう述べている。「そうした(表現主義)光と闇によるイメージが、ある哲学的な概念、思考のイメージへと送り返されることです。つまり“善”と“悪”の戦いないし葛藤という概念です。ところが、闇ではなく、白との関係で光を生き、考えるのであれば、もちろん問題は一変してしまいます」。小林のりおの『ランドスケープ』は、光を新たな問題の地平に移し変えたものだった。小林のりお以前の写真が、光と闇の対立を利用することによって、写真の“雄弁さ”を獲得していたとすれば、小林のりおは雄弁さの拒絶、削減、排除、バタイユのマネ論を真似て言えば“沈黙の写真”を目指したと言えるかもしれない。小林のりお以前に、光を闇との関係から解き放とうとした写真家には篠山紀信がいる)。物理的時間から逸れ、宙吊りにされたかのような“キッチンの時間”=写真の時間。おそらく、このような“写真の時間”を現出させたのは、小林のりおの「デジタル・キッチン」が初めてではないだろうか。ぜひ写真評論家あるいはイメージ論者に、小林のりおの「デジタル・キッチン」における写真の時間-当然ながらそれはデジタルかつWebによってもたされた写真の時間なのだが-を論じてほしいものだ。

忘却とは、思い出すために忘れることだろうか。記憶にないほど古い記憶(「記憶にないほど古いものは、無限に古く、そのようにして決定的に現在のものなのである」ジャン=リュック・ナンシー)を思い起こすために。忘却の力。「芸術が記憶とかかわりをもつとき、その記憶とは奇妙な記憶である。そこで記憶を喚起されるのは、思い出のうちに委ねられたことが一度としてないものであり、それゆえ忘却も記憶もされず-というのも一度として体験され認識されたことがないのだから-それでいて私たちを離れようとしないものである」(ジャン=リュック・ナンシー)。とするならば、もはやそれを「記憶」と呼ぶ必要があるのだろうか。生得性から生殖性へ。それでもなお、「私たちを離れようとしないもの」があるのだろうか?事物と私の境界から訪れるもの?芸術的訪問。

写真というイメージを絵画(ルネサンス絵画)の奥行き(内部)を切り裂き、表面化(平面化=図式化)させるイメージととらえること。内の表面化、解剖学としての写真。

写真は果たして、フィルム写真のテイスト(画像の質)で、世界の変化に対峙することができるのだろうか。確かに、過去に回帰し、固執することで、現在を忌避することはできるかもしれない。しかしそれで、世界の変化に対峙していることになるのだろうか。今、起こりつつある変化を過去の眼で見ているにすぎないのではないのか。現在をとらえるためには現在の形式が必要である。現在という時代から反時代的なものを引き出すために。私たちが肝に銘じなければならないことは、反時代的とは過去的とはまったく異なるということだ。

イメージ自体を切り裂き、痛めつけ、表象としてのイメージを解体せよ、イメージそのものを露出させよ、イメージの物質的諸条件そのものをあらわにせよ(話は全然違うけど、川俣正の「通路」は美術館という空間、美術という空間を剥き出しにする試みなんだよね、おそらく)。かつてプロヴォーグたちが試みたように。ただし、彼らとは違ったやり方で。もはや60年代でも、70年代でもないのだから。デジタル時代に相応しいやり方で。ところで、デジタルイメージの物質的諸条件とは何なのか?それが問題だ!

思いつき

2007年11月30日 | Weblog
鈴木理策や内原恭彦の写真が「見ること」「撮ること」の経験的次元を問題にしているとすれば、ディコルシアやジェフ・ウォールは、超越論的経験の次元に関心を向けているように思える。一人称から三人称へ。何のこっちゃ!

「書くことの惧れと覚悟」がいまだ十分に備わっていないので、ブログへの書き込みはしばらくお休みとさせていただきます。2、3日で復活するかもしれませんが(笑)。

文化への悪意ー内原恭彦『Son of a BIT』

2007年11月24日 | Weblog
内原恭彦の初の写真集『Son of a BIT』(“ビット世代”“ビット野郎”とでも訳すのだろうか)。早くからデジタルカメラを使い、その圧倒的な写真量の排出と、デジタルカメラの独自の使用法(いわゆるデジタルカメラによるイメージの軽薄さや動きの軽さとは反対に、ディテールに凝った粘り気のあるイメージ表現)によって、すでに内外から確かな評価を勝ち得ている写真家である。今回の写真集に収められた写真の多くも、すでに自らのWebサイトで発表されたものだ。これまでも何度か、内原の写真については、的外れ(?)のコメントをしてきたのだが、写真集刊行の機会に、改めて内原の写真について感想めいたものを書き記してみたい。

昨今、といってもすでに10年以上(?)になるのかもしれないが、グルスキーを筆頭としたデュッセルドルフ美術アカデミー一派の流れをくむ写真が、ある意味、日本の写真のメインストリームを賑わせているのは確かである。彼らの写真がミニマルアートやランドアート的な視点で現代の風景をとらえようとしたとすれば、内原の写真は明らかに、ポロックの抽象表現主義やラウシェンバーグのコンバイン・ペンティング的な視点で現実を再現しようとしている。アカデミックな美学への反発なのか、文化への悪意がもたらした必然的な結果なのか。

そう、文化への悪意。内原の確信犯的な視線の核となっているのは、文化への悪意にほかならない。実際、内原が切り撮る現実の断片は、東南アジアの無秩序な光景であり、スラム街であり、キッチュなオブジェの世界であり、打ち捨てられ見逃されたモノの集塊だ(ここで一言、付言しておけば、70年近くも前にグリーンバーグが「前衛とキッチュ」で明らかにしたように、サブカルチャーとは民衆の文化に根ざすものではない。ニーチェ流に言えば、支配者の美学を真似た“奴隷の美学”にすぎないのだ)。例えば、鈴木理策の『熊野・雪・桜』との雲と泥の差よ!(笑)。鈴木理策が“善き文化”への姿勢を隠さないとすれば、内原は徹底して“文化への悪意”を表明する。

小林のりおがイメージの軽さを逆手にとって写真の空虚さに焦点をあてたとすれば、内原が写真のデジタル化に見出すものは、いわば情報の過剰がもたらす“淀み”である。ケミカルからデジタルの移行は、物質的イメージから非物質的イメージへの変化という、暗黙の了解が多勢を占めている。もちろん、その言説が正当性を欠いているわけではない。しかし他方で、そうした暗黙の了解はデジタル写真がもつ別の側面を見逃すことになる。おそらく、内原はデジタル化がもたらす情報の過剰性にこそ注目する。その意味では、反・デジタル的な写真行為と言えなくもない。

写真というイメージがもつ過剰さを初めて指摘したのは、おそらくベンヤミンである。“通常のスペクトルの範囲外にあるもの”としてのディテール。全体や統一を脅かす部分の過剰さ。写真は決して客観的で正確な像を再現するものではない。むしろ裸眼を逸脱してしまう過剰さにこそ、写真の本性の一つがあった。その意味で、内原がデジタル写真に見出す情報の過剰さは、ある意味、写真の伝統に即している(かのシャカーフスキーがモダン写真の視点の一つに“ディテール”を挙げているように)と言えるかもしれない。実際、『Son of a BIT』の後半は、ディテール(モノの表面)への関心が強調されている。

ところで、晩年のフロイトは『文化への不満』という一文を書いて、快感原則と現実原則を仲介する機能としての“文化的なもの”の在り様を再考している。“善き文化”に連なろうとする鈴木理策、あくまでも“文化への悪意”を保持しようとする、遅れてきたロマンティスト、内原(内原の試みを評価しつつも、ある種、姿勢の古さ-無反省で紋切り型の二元論=ハイカルチャーVSサブカルチャーを感じてしまうのも事実なのだ)。果たして、第三の道はないのか。それが、写真集『Son of a BIT』への偽らず感想である。

追補(11月30日)
鈴木理策と内原恭彦の写真に、もし共通なものがあるとすれば、形式的な取り組みにあると言えるかもしれない。どちらも、「見たもの(裸眼)」と「撮られたもの(写真)」の視覚的差を埋めようとしている点である(例えば、内原恭彦における部分データの貼り合せ手法は、“まばたき”の再現と言えるかもしれない。通常、われわれはまばたきをしながら物を見ている。さらに鈴木理策における「見る」「撮る」という経験的次元の厳密な一致。例えば、写り込み等々)。しかし、当然ながら、その差を埋めようとする表現方法への取組みが強ければ強いほど、われわれは逆にベンヤミンが言う意味での過剰なイメージ(まるで否定神学の論理のように、近似が最大値になればなるほど逆に乖離が強調されることになる)を見出すことになる。その過剰さはまるで「見たもの」と「撮られたもの」との間に宙吊りにされた、写真ならではのイメージのようにも思える。しかし、二人の作品のベクトル、動機や意図(常々書いてきたように、ここでいう動機や意図は、人格的な作者の動機や意図といささかも関係がない。あくまでも表現された作品から推測したものにすぎない)は対極にあるように思えるのは前述したとおりである。

未来老人

2007年11月17日 | Weblog
生活の糧となる仕事にかまけて、書き込み滞っています。
ところで最近、写真家・小林のりお氏とのメールのやりとりのなかで、小林さんが「未来老人」という言葉を発せられました。いいな、この言葉。

そういえば、ジル・ドゥルーズは、ガタリとの晩年の共著『哲学とは何か』の冒頭で、「老年が、永遠の若さをではなく、反対に或る至高の自由、或る純粋な必然性を与えてくれるようないくつかのケースがある」と語っていたっけ。その例として、ティツィアーノ、ターナー、モネ、そしてカントを挙げていた。「或る純粋な必然性」。ようするに、お金にも、名声にも、他者の評価にも、いわんや自己への固執からも離れた、純粋な動機ということだ(だからといって、若い人たちのぎらぎらした野心-不純な動機を否定するわけではない。念のため-笑)。小林さんが言わんとした「未来老人」とはそのような意味だろう。

例えば、鳥取在住の写真家に、御歳80歳になられる泉本氏という方がおられる(サイトアドレス-http://homepage3.nifty.com/mi-site/)一度、お会いしたことがあるのだが、かつて数学の先生をなされていたとお聞きした。彼の写真はいわゆる、花や山を撮っている、老人たちの趣味的な写真ではない。街や現代空間の在り様を彼なりの視点でとらえようとしている。その姿勢や視線の初々しさは素晴らしい。決まりきった、紋切り型の、類型化された過去の視点から現代をとらえるのではなく、2007年の現在において80歳であることの視点-“今、ここに”において、何かをとらえようとしている。ぜひ、一度、サイトを覗いてほしいと思います。もちろん、彼の写真を全面的に肯定するわけでも、評価しようとも思っているわけではない。しかし、泉本氏の写真から「純粋な必然性」「純粋な動機」を感じることは確かです。

さて、近々、最近、出版されたいくつかの写真集ー佐藤淳一、内原恭彦、坂口トモユキ、石川直樹たちの写真集について、感想なんぞをしたためたいと思っています。


大爆笑!

2007年10月28日 | Weblog
久しぶりに笑いました! 坂口トモユキさんがブログ(http://tsaka.jp/)で紹介していたんだけど、Yoshiyuki Koheiの「覗き見する人-出歯亀」写真-野外セックスをするカップルを覗き見する人たちを撮らえた写真。覗き見をする人を覗く写真家、そしてその写真を覗くぼくら。一人称の連鎖。相変わらず写真は経験的次元がモノを言う。写真家はさらにギャラリーでそれらの写真を見る人たちを撮ってほしいな~。そしてさらにそれらの写真を見るぼくら。写真の、無限に増殖する鏡像性(笑)。

写真と無意識・追記

2007年10月24日 | Weblog
ここで私たちは、写真における観察の機能について考察することをうながされます。客観的イメージを生み出す観察の機能と、過剰なイメージを生み出す観察の機能です。写真における観察の機能とは何か。それは決して、客観的イメージを生み出すものではないということです。むしろ写真における観察の機能は、過剰なイメージを生み出す点にあるのではないか。では、現実の事物を過剰なイメージとして再生する写真における観察とは何か。それこそが物の状態にも、観察者の主観性にも還元できない、写真というイメージによって対象化されたものに違いありません。

写真と無意識

2007年10月21日 | Weblog
ベンヤミンの視覚的無意識

写真と無意識を初めて結びつけて考えたのは、ベンヤミンです。ベンヤミンは写真に関する最初の論考「写真小史」の中で、以下のように書いています。

カメラに語りかける自然は、肉眼に語りかける自然とは当然異なる。異なるのはとりわけ次の点においてである。人間によって織りこまれた空間の代わりに、無意識が織りこまれた空間が立ち現れるのである。
(「写真小史」久保哲司訳 ちくま学芸文庫)

今回はベンヤミンの「視覚的無意識」をキーワードに、写真の潜在的可能性、とりわけ初期写真が有していただろう写真について考えてみたいと思います。

まずベンヤミンは「無意識」という言葉によって、何を言わんとしたのでしょうか。前述の引用に続いて、ベンヤミンは「写真はスローモーションや拡大といった補助手段を使って」、例えば人の歩き方を解明してくれると書いています。また「物質の表情」ともいうべき微細な形象を開示するとも言っています。つまり、カメラによって肉眼では見えなかったものを見えるようにしてくれるということです。肉眼では見えなかったもの、それが「視覚的無意識」というわけです。後に、「第三の眼」とか、「機械の眼」と言われるようになるもので、写真史では言い古された事実であり、いわば常識的な言説です。

では何が問題なのか。ベンヤミンは「視覚的無意識」という概念によって、何を問題にしようとしていたのでしょうか。ベンヤミンは「写真小史」の論考に続く、かの有名な論考「複製技術の時代における芸術作品」(以下、「複製芸術論」に)において、前述の引用を繰り返しながら、精神分析における「無意識」との関連を述べています。

ついでにいえば、この二種類の無意識のあいだには、密接きわまる関連がある。なぜなら、カメラによって現実から奪い取られることが可能となる多様な視点の大部分は、知 覚の<通常の>スペクトルの範囲外にあるものだからだ。
(「複製技術の時代における芸術作品」野村修訳 岩波文庫)

ベンヤミンは「通常のスペクトルの範囲外にあるもの」を「視覚的無意識」として発見しているわけです。さらにベンヤミンは、映画の視覚世界を例に「現実世界では、異常心理や幻覚や夢の形で現出する」とも付け加えています。つまり、写真は肉眼における知覚とはきわめて異質な知覚の論理、いわば夢の論理に近いものだと言っているわけです。

知覚の客観性と過剰

「通常のスペクトルの範囲外にあるもの」、肉眼とは異質な知覚の論理。写真の論理が知覚の異質性を指摘することで、ベンヤミンは何が言いたかったのでしょうか。ベンヤミンはこの異質性をとりわけ、「細部」という観点からとらえています。「写真小史」の中で、その例として挙げられているのが、ブロースフェルトの植物写真です。この細部-ディテールという観点は、後にシャーカフスキーも写真読解の一つとして挙げています。

「通常のスペクトルの範囲外にあるもの」としてのディテール。ベンヤミンにおける「細部」とは、全体を細分化した部分ではありません。むしろ、全体という概念を脅かす細部です。全体に統合不可能な過剰な部分としての細部。そもそも全体という概念はどう成立するのでしょうか。カントにおける「統覚」のように、そこにはつねに人間的主体が想定されているわけです。ベンヤミンにおける通常の知覚のスペクトルを免れた細部は、「全体性」や「主体性」を揺るがすものとして考えられています。蛇足ながら、全体と断片(部分)という問題は、ドゥルーズが指摘する、全体から始まる部分のとらえ方は「……である」に、ベンヤミンの細部は「…と…」に相当すると思われます。全体化されない部分の集積としての自然。

ところが一方で、写真はその自動的描写性-人間の意識や言語的・象徴的コードを介さずに書き込まれる自動性ゆえに、客観的なものとみなされてきました。実際、写真は発明の初期段階において、臨床医学や犯罪学の場において観察の手段として使われていきます。シャルコーのサルペトリエール精神病院におけるヒステリー写真やさまざまな奇形をとらえた医学写真、観相学的な犯罪者の肖像写真等々。写真がもつ自動的描写性ゆえに、科学的知覚というイデオロギーを被って使われたのでは明らかです。ここで「科学的知覚」として働いている機能とはどのようなものでしょうか。

周知のように、科学的姿勢の本質の一つは、実験における反復性です。個々の現象の中から、同じ事象を抽出し、統計学的な手法によって法則化することで一般性を獲得することにあります(蛇足ながら、科学的法則とはあくまでも閉じられた環境-選択されたファクターの下での実験にすぎず、つまりは真の反復を保証するものではない)。つまり、写真は同じ事象を同定する手段として、きわめて有効とされたわけです。症状の同定、犯罪者の同定……。写真は管理と制御のテクノロジーとして、その同定化の方法とされたわけです。

ベンヤミンもまた、「写真小史」において、「元来カメラには情緒豊かな風景や魂のこもった肖像よりも、普通は工学や医学が相手にする構造上の性質とか細胞組織といったもののほうが縁が深い」と写真の科学との親近性を述べています。その一方で写真という技術における科学と呪術の境界線は不確定だとも指摘しています。例えば、心霊写真というものがありますが、そもそも心霊写真は神秘的なものとしてつくられたわけではありません。むしろ、きわめて科学的な姿勢からつくり出されたものなのです。霊魂の存在を実証するために、その証拠のために心霊写真は生み出されたのです。


写真と絵画

2007年10月06日 | Weblog
最近、自分の思考方法、形式、カテゴリー、用語等々あまりにも紋切り型に陥っていると、しきりに反省しています。実際、つまらない言葉の連なりばかり。写真について、イメージについて、もっと別な考え方をすべきではないか。そんなことを思う日々です。とりあえず、講義の再録を続けますが、近いうちに、これまでとはまったく違う地平から、写真やイメージについてアプローチをしていきたいと思っています。閑話休題。

絵画の知覚-遠近法

西洋の近代的な視覚制度とはどういうものであったのか。まずはルネサンスに始まる西洋絵画において、支配的な視覚モデルであった“遠近法主義”について述べてみたいと思います。さらには、遠近法という近代的な視覚制度に対して、写真の視覚はどのような位置にあるのか。ジョナサン・クレーリーの説(『観察者の系譜』)を参照にしながら、絵画の知覚と写真の知覚の相違について考えてみたいと思います。

さて、ここで近代的な視覚制度と呼ぶのは、極めて広い範囲の近代です。15世紀のルネサンスに始まる時代から19世紀までを指します。この時代区分は、中世に対する近代であって、近世という場合もあり、大方の歴史家は19世紀もまた連続した近代ととらえ、20世紀を現代と呼称する場合もあります。ただし、ミシェル・フーコーなどは、17,18世紀を古典主義時代と呼ぶことで、19世紀に世界を認識するエピステーメーに切断があったと説き、19世紀以降を近代と呼んでいます。ジョナサン・クレーリーもフーコーにならって、遠近法主義的視覚モデルを古典的主義モデルと言っています。後述しますが、実は、この時代区分の違いには、重要な意味があります。

西洋における近代とは、視覚が支配的な時代と言われています。例えば、ウォルター・J・オング(『声の文化と文字の文化』)は、人類の文明を口承的、書記的、活字的、電子的という4つのモードに分類。オングによれば、人類は文字を持つことで、言葉を視覚的な記号として空間化し、言葉は語られる状況から遊離し、分析的な思考=内面性を獲得したと説いています。その後、望遠鏡や顕微鏡の発明(=科学革命)によって進行していた視覚的なものの特権化が、印刷術の発明によってさらに強化されていったとも述べています。いずれにしても、西洋の近代とは、まさに視覚的な感覚が支配的な時代と言えるでしょう。

それでは、西洋近代における視覚の制度とは、どのように成り立っていたのか。その中心となる視覚モデル-視覚芸術におけるルネサンスの遠近法と哲学におけるデカルトの主観的合理性とは何か。ルネサンス的遠近法の発明=発見者は、彫刻家のブルネレスキと言われ、それを最初に理論化したのがアルベルティと言われています。

遠近法は三次元空間を視覚のピラミッドないし円錐によって二次元空間に描き直す。この遠近法は現実の対象を最も自然な形で再現する方法として、長い間、西洋の視覚制度を支えてきました。アルベルティもまた、遠近法による絵画を「透明な窓(あるいは舞台)」と位置づけています。つまり、遠近法という透明な窓を通して、世界を眺めるということ。遠近法は美術史家にとっても、絵画を語る上で当たり前の前提となっていましたが、「遠近法は慣習的な象徴形式にすぎない」と初めて批判的な見方を提示したのが、美術史家のパノフスキー(『象徴形式としての遠近法』)です。実際、遠近法は決して自然な視覚経験を表現したものではありません。遠近法は通常の両眼視覚とは違い単眼によって見られた世界です。またその単眼は動かず、まばたかず、位置が固定されています。遠近法による視覚とは、自然などころか、見る者の位置に左右されないきわめて抽象化された幾何学的な空間なのです。

ここで重要なことを一つ指摘しておけば、ルネサンス絵画はしばしば「現実の再現的視覚」と呼ばれ、「よく見ること」を追究したと言われます。しかし、ルネサンス絵画は決して現実を再現するための絵画ではありません(このことから、写真を遠近法主義的視覚の延長とみなされてきたわけです)。彼らが再現しようとしていたのは、あくまでも聖書というテキストなのです。確かに、ルネサンスの画家たちは「見ること=観察」を重視しましたが、それはあくまでも抽象化された幾何学的な空間、理知的なまなざし=神の光によるまなざしに従属される限りにおいてなのです。

遠近法と近代の視覚

一方、デカルトの主観的合理性-網膜像として再現された実在物を知性=精神が表象するという認識論の基礎もまた、遠近法をモデルとしてつくられています。そこから、近代の視覚制度を「デカルト的遠近法主義」と呼ぶこともあります。そしてまた、このデカルト的遠近法主義が近代の客観的科学主義を形成していったとも言われています。ここでは詳述しませんが、デカルト的遠近法主義に代わる代替的な視覚-バロック(安定した遠近法的視覚をおびやかす錯乱的・幻惑的な視覚)やオランダ絵画(見る者の介入、表面の描写、地図的な視覚空間)のような視覚も、17世紀の美術史のなかに共存していることも付け加えておきたいと思います。

これまで、19世紀に登場する写真装置は、前述した遠近法がルーツとされてきました。写真史の冒頭では必ずカメラ・オブスキュラ(暗箱-絵画制作の補助道具として使用された。遠近法を基にした、17,18世紀における科学的な観察道具。)が紹介され、写真用のカメラはカメラ・オブスキュラが進化したものとされています。つまり、写真はルネサンス期の遠近法から始まる「自然な視覚」の再現につらなる装置と位置づけられているわけです。

こうした視覚における歴史的な連続性に異議を提示したのが、ジョナサン・クレーリーの『観察者の系譜』です。ジョナサン・クレーリーは、中世的な図像システムからルネサンスの遠近法への切断があったように、19世紀において視覚制度に大きな切断があったと説きます。そうした視覚制度の大きな変容のなかからこそ、写真装置が生まれてきたと主張しています。

ジョナサン・クレーリーは、19世紀において、デカルト的遠近法主義に代わる、どのような視覚システムが登場したと説いているのか。その話に移る前に、ジョナサン・クレーリーの基本的な考え方-方法論を抑えておきたいと思います。ジョナサン・クレーリーは、視覚制度を解明するにあたって、“観察者”という概念を提示しています。ジョナサン・クレーリーのいう“観察者”とは、世界や物を観察し、認識する主体という意味ではありません。そのようにとらえると、一方に対象物があり、他方にそれを観察する主体があり、それを介在する観察道具があるということになり、対象物(客観)と観察者(主観)を分離・独立した存在ととらえ、視覚制度の変遷は観察道具(技術)の単なる変化の歴史となってしまうでしょう。

ジョナサン・クレーリーの“観察者”という概念は、観察者の位置が観察道具と表象行為の社会的な配置=配列によって編成されるという考え方です。つまり、観察者はつねに同一な者として存在するわけではなく、技術や言説の社会的配置=配列のなかで決定されるということです。実はこうした方法論からこそ、“デカルト的遠近法主義”と19世紀の視覚システム(写真以後の)の断絶(不連続性)を見出すことが可能になるわけです。

視覚体制の断絶-生理学的視覚

ジョナサン・クレーリーは、デカルト的遠近法主義における観察者の位置・地位と19世紀のそれには大きな切断があると説いています。まずデカルト的遠近法主義における観察者は、カメラ・オブスキュラという暗室の内部にいて、外部の世界を観察する者です。そこでの観察者は外部から切り離された非身体的な存在となっています。それはまた何物にも脅かされない客観的精神の内面を象徴しています。その内面こそがデカルトのいう“精神的表象”です。それに対し、19世紀における観察者の位置・地位は、カメラ・オブスキュラという暗室の外部にあり、もはや固定されても、不動なものでもありません。クレーリーは、こうした観察者の位置・地位の変容を、写真誕生前に普及したさまざまな視覚器具(とりわけステレオスコープ)の構造に目を向けることで考察しています。

ステレオスコープは、左右の眼の微妙な視覚差を利用して、立体的なイメージを産み出す視覚器具です。ステレオスコープを発明したのは、生理学者のチャールズ・ホィートストーンとディヴィット・ブルースターという二人の人物で、残像と主観的視覚の研究を行う過程で発明されました。ここで重要なことは、二人とも生理学者であることです。実際、19世紀の登場する多くの視覚器具は、生理学による視覚研究の過程で生まれています。なぜ、生理学が重要なのか。

生理学とは人間の知覚や心理を肉体的・解剖学的な構造と機能-つまり身体との関係のなかで知覚(視覚)を探ろうという学問です。フーコー流に言えば、「超越的なものが経験的なものの上に折り畳まれた存在として、“人間”なるものが出現」したのです。すでに1810年に出版されたゲーテの『色彩論』では、網膜残像や色彩変化が論じられ、視覚(見るという機能)の中心が身体にあることを述べられています。1820年代、30年代になると、網膜残像が研究され、視覚には生理学的なプロセスと外的刺激とがいかに混合、影響されるかが明らかにされていきます。「視覚の残存」を研究したジョゼフ・プラトー、近代計量心理学の創始者の一人グスタフ・フェヒナー、ヘルムホルツやヨハンネス・ミューラーの特殊神経エネルギー説など、19世紀はまさに生理学の時代でもありました。生理学は知覚を数値化し、刺激と感覚との関係を知覚の関数にしたのです。

幾何学的光学(デカルト的遠近法主義あるいは古典的視覚モデル)から視覚の生理学へ。19世紀に視覚体制に大きな断絶が起ったとクレーリーは説いています。写真や映画という近代的メディア(ここでの近代は古典主義に対しての近代)の登場は、こうした19世紀における生理学身体に基づくものだというのがクレーリーの主張です。生理学身体に基づく視覚モデルの重要なことは、視覚的な認識が客観的で透明なものではなく、人間の身体によって生み出されるという発見です。理性のまなざし(普遍・永遠・無限)から、身体のまなざし(個的・偶然・有限)へ。確かに、その後発明された写真は、単眼的な空間や幾何学的遠近法の諸コードとの曖昧な関係を保持してきました。であるがゆえに、写真史の冒頭には必ずカメラ・オブスキュラの図版が掲げられ、解説されてきたわけです。しかしクレーリーは、写真発明の背景にあるのは、幾何学的光学モデル(デカルト的遠近法主義)ではなく、生理学的身体に基づく視覚モデルだと説いています。

写真的視覚の二重性

それでは、クレーリーが説く、19世紀における視覚モデルの“断絶(不連続)”には、どのような意味があるのか。ここで私見を述べれば、写真という視覚を、幾何学的光学モデルと連続したものととらえることは、写真という視覚が持つ可能性を閉じることになるのではないかということです。写真の視覚をデカルト的遠近法主義の視覚モデルとして見てしまうと、どうして写真の可能性を閉じることになるのか。

もう一度、デカルト的遠近法主義(幾何学的光学モデル)を考察して見ましょう。まずデカルト的遠近法主義とは、どのような視覚(認識)形式なのか。一言で言えば、デカルト的遠近法主義による“表象”とは、人間と世界(事物や他者の存在)との関係を主体-対象(客体)という図式に還元することです。世界を対象物として、自己の前に打ち立て、固定することで、それによって今度は対象物に相対する主体が、あたかも対象物に先立ってあるかのように事後的に捏造されます。対象物として世界を目の前に打ち立てること、それこそがデカルト的な“表象”に他なりません。しかし、ここで事後的に捏造される「主体」は、あくまでも「神の光=中心化された普遍的な理性のまなざし」の元においてです。神学としての視覚。

主体-対象(客体)という図式は、いまやわれわれにとっては当たり前、常識の視覚(認識)形式と思われるかもしれません。しかし実は決して自明なことでも、当たり前のことでもありません。きわめて近代的(ここでの近代は、フーコーやクレーリーが言う19世紀までの時代)、つまりは歴史的な形式なのです。果たして明治時代前の日本人は、このような形式で世界を見ていたか。古代のギリシア人たちは、このような形式で世界を見ていたか。否です。

例えば、現代思想に大きな影響を与えた20世紀哲学者の一人ハイデガーは、近代的な表象システムについて次のように言っています。「或るものが人間に呈示され、表象されてcogitatum(デカルトの有名なテーゼ“われ思うゆえにわれあり”のこと)となっているのは、人間が自分の裁量のきく範囲で、いつでも一義的に、懸念や疑惑なしに自分から支配しうるものとしてそのものが彼に確定され保障されているときにのみ起ることである」と。

世界(事物、他者の存在)を認識する上で、主体-対象(客体)という図式は、われわれの世界との多様な経験を封じ込め、あるいは見えなくし、世界を理解可能な対象物とだけしてしまう(あるいは神の下での、一義的な世界了解)ということです。ハイデガーは、近代的な表象システム(デカルト的遠近法)こそが、世界を“像”として見ることを可能にしたと言っています。さらに現代では、世界は役に立ち、調達される対象物=“用象”とされていると。少なくとも古代ギリシア人においては、世界を認識する場合、世界を対象物として見るのではなく、全的に受け入れる存在としていたというのが、ハイデガーの考えです。

写真的な視覚は、上記したような主体-対象(客体)という図式に亀裂をいれる視覚システムではないか。しかし、写真的な視覚をデカルト的遠近法主義に連なる視覚システムと見てしまうことは、写真的な視覚がもつ、近代的な表象システムを打ち破る可能性を隠蔽してしまうことになります。これがクレーリーの隠れた主張のように思えます。さらに付け加えて言えば、写真は「リアリティ=現実の再現性」と「倒錯性(対象と視覚の不一致=宙づり)」という矛盾を抱えてしまったと言えるかもしれません。クレーリーは、『観察者の系譜』の後、『知覚の宙吊り』という著作で、さらに近代的視覚における二重性を考察しています。