Art&Photo/Critic&Clinic

写真、美術に関するエッセーを掲載。

未来老人

2007年11月17日 | Weblog
生活の糧となる仕事にかまけて、書き込み滞っています。
ところで最近、写真家・小林のりお氏とのメールのやりとりのなかで、小林さんが「未来老人」という言葉を発せられました。いいな、この言葉。

そういえば、ジル・ドゥルーズは、ガタリとの晩年の共著『哲学とは何か』の冒頭で、「老年が、永遠の若さをではなく、反対に或る至高の自由、或る純粋な必然性を与えてくれるようないくつかのケースがある」と語っていたっけ。その例として、ティツィアーノ、ターナー、モネ、そしてカントを挙げていた。「或る純粋な必然性」。ようするに、お金にも、名声にも、他者の評価にも、いわんや自己への固執からも離れた、純粋な動機ということだ(だからといって、若い人たちのぎらぎらした野心-不純な動機を否定するわけではない。念のため-笑)。小林さんが言わんとした「未来老人」とはそのような意味だろう。

例えば、鳥取在住の写真家に、御歳80歳になられる泉本氏という方がおられる(サイトアドレス-http://homepage3.nifty.com/mi-site/)一度、お会いしたことがあるのだが、かつて数学の先生をなされていたとお聞きした。彼の写真はいわゆる、花や山を撮っている、老人たちの趣味的な写真ではない。街や現代空間の在り様を彼なりの視点でとらえようとしている。その姿勢や視線の初々しさは素晴らしい。決まりきった、紋切り型の、類型化された過去の視点から現代をとらえるのではなく、2007年の現在において80歳であることの視点-“今、ここに”において、何かをとらえようとしている。ぜひ、一度、サイトを覗いてほしいと思います。もちろん、彼の写真を全面的に肯定するわけでも、評価しようとも思っているわけではない。しかし、泉本氏の写真から「純粋な必然性」「純粋な動機」を感じることは確かです。

さて、近々、最近、出版されたいくつかの写真集ー佐藤淳一、内原恭彦、坂口トモユキ、石川直樹たちの写真集について、感想なんぞをしたためたいと思っています。


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