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家族で京丹後へ その1舞鶴

2024-08-24 17:01:18 | 旅行

8月23日 24日 1泊2日の家族旅行です

総勢揃えば10人

残念だけれど

娘婿さんと 息子嫁の2人は 予定がどうしても都合が取れず  今回は欠席

とっても残念でしたが 

  こればかりは仕方ないですね

 

早朝6時集合

  レンタカーで

   息子の運転 

最初に立ち寄ったのは舞鶴の赤レンガ倉庫

この日はフェーン現象で39℃

岐阜は36度ほどで少し気温が下がったらしいけれど 

  又 

    アチチを追いかけてきてしまいました

 

赤レンガ倉庫の中には

資料館があり

ベルリンオリンピック

日本の 水泳 選手、 日本初の オリンピック 女子 金メダリスト (1936年 ベルリンオリンピック)

の資料も展示されていました

 

金メダリスト前畑さんは

結婚後 岐阜市に住んでおられた関係だったか

私が通った小学校のプール開きに来られ

華麗な泳ぎを披露された記憶が今だ鮮明に残っている

その前畑さん関連が残させた資料で対面できた

 

お昼は宮津で昼食 少し早めだけれど

多数は海鮮丼 イワシの照り焼き丼も 選ぶのにもにぎやかな事

 

どちらを選んでもハズレは無かったみたい

  

 デザートは 黒豆入りのソフトクリーム

近くの

籠神社へ じいちゃんは御朱印を  猛ダッシュ(*_*;

私は境内撮影禁止だったので 敷地外から証拠写真 笑

その後   伊根へ向かう

伊根は3度ほど行ったことがある

 

 


敦賀 ムゼウムへ

2024-05-28 07:11:05 | 旅行

明治35年にはウラジオストクと敦賀港との間に定期航路が開設されていた

 

ムゼウムとは     (ポーランド語で展示と言う意味)

 

ポーランドの孤児やユダヤの難民を敦賀の人々が温かくもてなし

人々は

敦賀を経由して第三国にわたってていきました

難民はポーランドの領事館「杉原千畝」によって命のビザの発給を受け

難民として流れてきた人々です

 

日本からヨーロッパへ

明治15年敦賀に鉄道が敷かれ

その鉄道は(東京から敦賀へ)

明治45年

敦賀とウラジオストックに定期航路が敷かれ

ウラジオストックを経由し シベリア鉄道経でベルリンやパリ ロンドンへとつながったそうです

つまり日本の交通の玄関は敦賀にあったのだそうです

 

鉄道資料館には当時のチケットも展示されています

この日の日程最後になったこの場所

時間も押して 

ガイドさん  走る走る  

湾の中 

海の砦もありましたよ 

鉄道資料館 

赤レンガ倉庫 で倉庫の姿を確認し 

 ムゼウム迄  走って

(建物画像はネットより)

走って走って   フゥウフウ~~~~

肝心なムゼウム資料館到着したら 

紹介映画5分ほど見ただけで記念写真を撮って出発 

もっと見るべきところはいっぱいだったのに残念!

 

羽二重餅の工場でお買い物したり

日本海魚街へ立ち寄ったり

お買い物時間も忙しい

〆はやはりこれ 笑

バナナとチョコのソフトクリーム

歩き走りまわった後はこれが美味しい 

 

朝からトータル9800歩程

昨日は相棒さんが買ったこんなお土産でお茶しましたよ

福井は恐竜の町なんです 大きな恐竜の骨格博物館も有ります (今回は立ち寄る予定なし)

 

大きな真ん丸の「う〇こ」柔らかなドーナツでした ハハハ

 

そして

あちらこちらの畑では

ムギが刈り取りを待つばかりの景色が広がっていました

昨日は 一緒に行かれたご近所のご夫婦

筋肉痛で動けないと

 

私はフイットネスへ

相棒さんは旅行後の雑用を済ませに

二人ともいつもと変わらぬ1日を過ごしましたよ

 

疲れたけど 筋肉痛もなく過ごしてます

 

上空は

線状降水帯がかかっているとかで 大雨予報が出ています

 

1日違い

最高のお天気の中 北陸まで行って来れました 

 

歴史を学ぶ社会勉強 北陸の方々への少しばかりのうるおい支援

実り多い旅でした


北陸支援 日帰り旅行

2024-05-27 13:23:46 | 旅行

昨日は

北陸迄地域の方とお出かけしました

最初に出かけたのは 永平寺

永平寺は三度目のお参りです

僧侶が経をあげられる仏殿や浴室など撮影禁止場所など示されています

 

以前お参りした時より年数も随分経過し記憶の中では

僧侶が庭や寺の中を清めておられ

とにかく建物は長い階段で回廊式になっていたぐらいの記憶でしかありません

 

昨日の26日はまぶしいばかりの若葉の中を歩きました

最初に目にするのが傘松閣(さんしょうかく)

昭和5年当時の著名な画家144名の方々が描かれた天井画が目を釘付けにします

回廊式の廊下を歩きます

中は廻り廊下で寺を1周出来ます

 

 

とにかくこの階段

登り段が前に下がるように勾配がついているんです

 

上りは良いのですが下りは一段ごと スベル・・・

 

僧侶さんのお掃除が行きとどいているから更に

ヒヤヒヤで降りてきました

ご朱印帳(漆塗り)を買い求め 御朱印を頂きましたよ

 

昼食は永平寺のゴマ豆腐付きで

この後は杉原千畝の資料館へ 続く


息子一家と沼津で合流  その2

2023-07-18 09:04:55 | 旅行

夕食は

全員揃っていただきました

その前に旅の疲れをいやしてくれるお風呂へ

部屋にもお風呂が用意されているけど こちらは後で

食事のお部屋は別の個室で 置物も粋です

箸置きもステキ

苦しぃ~~~~ィ

 

さてこの後

じいちゃん席を外し

    部屋に戻ってくると

いきなりみんなで

    ♪

♪ ハッピバスディツゥユ~・・・♪ 

 

本人は??????

目を キョロキョロ????

いきなり職員さんが・・

ケーキを運んでくれました

 

そうなんです7月15日

76歳の誕生日でした

 

(先日 後期高齢者の認知症試験もクリアしてきましたから)

エッ  えぇ~~~・・・・

ヤット

自分の誕生祝いをしてくれているのだと気が付いたじいちゃん

ワァア  ワ~ァ 感動の声でしかありません

そこへプレゼントとして差し出されたのが

サッカーフランス代表の エムバベのユニフォーム

これ 欲しかったんや~~

お酒の酔いも手伝って

 

昨年の入院からここまで体調回復出来ました

  (一時期は車いすも覚悟した日々でしたが)

 

色々な思いが重なり感無量のじいちゃん

 

明日はこの服着て・・・  ルンルンのじいちゃんでした

二人でワインボトル2本空けちゃったから

酔いも手伝って いたのでしょう

 

人生最高のお誕生日祝いをみんなで祝ってもらって

素敵な晩さん会でした

 

あれだけ お腹おっぱいと悲鳴を上げていたのに

ケーキは別腹  爆

 

さて翌朝

向かいの波止場では

釣りをする人の姿も  時おり 光るものが糸先から引き揚げられています。。

🐡魚は釣れているようです

そして少しだけ顔を出した富士山

朝食は・・

朝から凄いご馳走です

帰り際

旅館の女将さんからも誕生日プレゼント頂いちゃいました

富士山の水で染め上げたタオルだそうです

きんちゃく袋は浴衣地で作ったもの

どちらも粋なプレゼントです

ありがとうございました

 

この後  静岡はワサビの本場

お山の上のワサビ田へ移動です  続く

 


息子一家と沼津で合流  その1

2023-07-17 15:04:51 | 旅行

コロナ渦来の旅行

息子宅へ行ったり 我が家に来てくれたり は 有りましたが

 

家族揃っての旅行は本当に久しぶりです

 

沼津で宿を取って くれていましたので

 現地集合?・・・が

沼津の漁港で食事をしてから旅館へ行こうという事になりました

 

待ち合わせは沼津漁港に11時

時間にゆとりをもって6時30分出発です

運転手さん 後期高齢者免許更新も出来ルンルンです

 

途中富士山も車窓から眺めることが出来たし・・・

 

新東名経由なので浜松のサービスエリアのパン屋さん

覗いて来ましたよ

でも 今回は見て来ただけ 

( 後の食事が食べられなくなるから ) 爆

東京から来た孫と息子は先に漁港に到着し

現地調査をしてくれていたようです

行程はスムーズです

(Kちゃん(嫁)と(孫)のT君は

部活が終わってから列車で向かってきてくれるそうです)

静岡県の漁港に来たら

 やはり新鮮なシラスと 桜エビ 鰺のナメロウ

この盛り合わせ丼とシラスのかき揚げ 海産の焼き物セット

二人の運転手さんノンアルコールで我慢我慢

ご苦労様 だけど

 

食後は

漁港内にある深海魚の水族館へ  直行しましたよ

けっこうな人が並んで入場を待っています

シーラカンス国内ではここだけだそう

  -20℃で展示されています

3時少し過ぎ旅館へ到着

息子はKちゃんとT君を旅館の近くの駅まで車でお迎えに行きました

お宿は

左の島と右の間に富士山がド~ンと見える??  はず

が  なかなか姿を見せてくれません

お部屋でウエルカム ティーを頂いて

皆がそろうまでノンビリ海を眺めていました

遊覧船がクルージングのお客さん乗せたり 下りたり 忙しそうです

お宿の温泉に入り

夕食までのんびり過ごさせてもらいました

続く