モルファス構造体の随想録

なんとなく始めたオーボエのこと、音楽のこと、積読の方が多い本のこと、たまには社会のことなども・・・

今日聞いた音楽・・・オルウィン オーボエソナタ第2楽章

2020年08月10日 | クラシック


渡辺克也さんは埼玉県立浦和高校から東京芸術大学に進んだ国際的なオーボエ奏者です。オーボエを吹く人はたぶん誰でも知っていると思います。初めて聞いたのは浦和高校での恩師の依頼とかで埼玉県蓮田市のう小さな公民館で、冷房機械の騒音の中でした。主催者が恐縮する中、僕はどんな環境でも気にしないんですよ・・・と笑っていたのが印象的でした。
当時は、ティーレマンが音楽監督をしていたベルリン・ドイツオペラ歌劇場管弦楽団の首席オーボエ奏者でした。そんなすごい人がカエルの合唱が聞こえてくるような小さな町の公民館のパイプ椅子を並べた大会議室で演奏し、それを聞けるなんて・・・と大感激でした。オーボエの音や演奏技術ばかりでなく、明るく気さくな人柄に心打たれたものです。

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セルジョ・エンドリゴ・・・Dove credi di andare(孤独な青春)

2020年08月08日 | カンツォーネ


再び1967年のサンレモに戻ります。
セルジョ・エンドリゴは1933年6月、ポーラの生まれです。1933年当時はイタリアの領土でンレモに戻ります。
セルジョ・エンドリゴは1933年6月、ポーラの生まれです。(1933年当時はイタリアの領土でしたが現在はクロアチアの領土でプーラとなっています。支配者は実に目まぐるしく変わって、船好きの私にはイタリアの重巡洋艦ポーラ、あるいは第1次世界大戦までハプスブルグ、オーストリア・ハンガリー帝国の重要軍港であったことが知識の一端です。)そのため、第二次世界大戦の結果ユーゴスラビア領となったポーラから難民としてベネチアに来ました。
1966年にサンレモにデビューしています。この時の曲は「Adesso Si」(邦題:去りゆく今)です。このブログでも一度取り上げていますのでそちらをどうぞ。
まあ、個人的には1967年に8位になった「Dove credi di andare」(邦題:孤独な青春)より1966年に11位だった「Adesso Si」(邦題:去りゆく今)のほうが好きかな?
では、「Dove credi di andare」(邦題:孤独な青春)をどうぞ。






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俳句・・・例月俳句から(7月)

2020年08月07日 | 俳句


俳句を作る方は、おそらく複数の句会や同人誌のメンバーになっていることだと思います。
私も、功民間レベルの集まりではありますがm二つほどの句会に顔を出しています。もう一つ誘われた句会・・・誘われたというより私から興味を示して、一度は入りたいと考えた句会・・・は、名前を書けば俳句を作っている方なら皆さんご存知であろう方が指導者でメンバーもその方の主催の同人ですので、いささかレベルが高すぎ。
職業としての俳人でもないので、自分が楽しめることが第一になろうかと思います。
さて、7月からは公民館が使えるようになりましたので、4か月ぶりに句会が開かれました。子の句会に提出した句から、評をいただいた句を紹介します。

蔕の棘茄子は幼き日々の飢え
 仲間の選はいただけませんでしたが、講師からは良い句だと特撰をいただきました。

もう一句
心太透けて見へないうはの空
 私の意図は、女性と一緒に心太を食べていて声をかけても、うわの空で何を考えているかわからない、心太は透けているのに・・・ということでした。しかし仲間たちからも講師からも選はいただけませんでした。「透けて見えない」という意味も、「うはの空」とはどのような状態なのかも伝わらない、ということでしょう。、
 なので、講師の添削は
心太女心は透けて見え  
 となりましたが、私の意図とちょうど正反対になります。短詩形であることもありますし、伝わる言葉を見つけるのは難しいことです。
 そこで、私の再度の推敲は
心太透けぬ貴女のうはの空
 としましたが如何でしょうか?


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民族の高潔さ・・・「街場の日韓論」

2020年08月06日 | 日々の随想録


コロナ肺炎禍が日本を覆って以来、我が国の政治家、行政庁、政府などへの絶望感が深まる一方ですが、ブログを書くには余りにも日々の変化などもめまぐるしく、毎日そうした絶望感と自分自身のまとまりのなさで、きちんと書くことができないでいます。
本当はまとまった読書の名目には至極いい機会だと思いますが、なんと図書館もコロナ以外の理由・・・空調工事・・・で半年間開架式閲覧室は使えなかったのですが、工事終了でもコロナのためにリクエストした本以外の貸し出しは行わなくなっていました。
とはいえ、40~50歳代以降、推理小説や海洋冒険小説以外はあまり読まなくなっていたことも確かですから、大きな口は叩けませんね。

そんな中、借りてきたのは『街場の日韓論』(内田樹編、晶文社刊)です。「戦後最悪の日韓関係」などとマスコミでは言い立てていますが、ふと気づくと日本人は本当に近現代の歴史を学んでいない・・・ということです。あるいは江戸時代もまた正確に学んでいないと思いますが・・・。
受験競争の中で明治維新から世界大恐慌あたりまでは通り一遍の年号暗記で触れられていたかもしれません。が、それまでですね。
2年ほど前から、日本の近現代史に興味を持ち、様々な本を拾い読みしてきました。本来は、自分のテーマの沿った体系的な勉強が必要なのでしょうが、興味の赴くまま(残された少ない時間であるがゆえに)読んできました。その中で、新聞の小さな書評欄に出ていたこの本を図書館から借りてきました。
アンソロジーですので、異なる筆者の「街場の議論」それそれに感想はありますが、今回は山崎雅弘氏の「韓国のことを知らない日本人とその理由」という文章の感想をいくつか挙げてみます。
初めにかなり衝撃的だったのは、ベトナム戦争における韓国軍の残虐行為を取り上げた韓国映画「ホワイトバッジ」に関する話でした。
次に衝撃を受けたのは、日本語のガイドブックに乗せられていない「学びの施設」というくだりでした。
そして印象的だったのは山崎さんが「自国の負の歴史を正面から見据えて反省する行為は屈辱ではない。むしろ、高潔な誇り高さを伴う。』と述べたことです。

右派の政治家や国粋的な議論を展開する人々が頻繁に使う「自虐史観」という言葉があります。
しかし、山崎さんが指摘する通り、自らに都合の悪いマイナスの事実を事実として正確にとらえていこうとすることは「自虐」でも何でもありません。そのとおり「高潔」な行為だと思います。
ひととき会津藩の「什の掟」が話題になったことがあります。生活習慣的な部分は現代に合わないところもありますが、日本人の本来持っていた高潔さを示す部分「嘘をついてはなりませぬ、卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ、弱いものをいじめてはなりませぬ」のはいつでも通用する事柄でしょう。しかし、明治以降の皇国史観や帝国主義がはびこり、その一方で科学的西洋合理主義も思想として根付くこともなく・・・日本人が持ち続けていた高潔さが失われ、自己中心的になり夜郎自大に陥ってしまったのではないでしょうか?私たちは、いつの間にか国民一人一人が(最近の我が国の政治・行政状況を見てもわかるとおり)「民族としての高潔さ」を失ったように感じます。
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クリスティーヌ・ルバイユ・・・Toi, Chopin

2020年07月23日 | フレンチポップス(シャンソン)


1960年代は堰を切ったように10代のポップス歌手が次々と世に出されてきました。残念ながら若いこととアメリカナイズされたポップスの歌手という共通項はありますが、どうもそれ以前の、日本で「シャンソン」と呼ばれている伝統的なポピュラーソングの歌手たちに比べると実力がかなり落ちた「アイドル」が多かったと思います。ただ、「フレンチ・ロリータ」と揶揄された通り容姿のキュートな女の子が多く、遠い東洋の中学生・高校生の男の子たちの胸を高鳴らせていました。
ですので、今それらのアイドルの歌を聞けば何とも言いようのない気持ちにさせられます。やはり、本人の様々な実力もそうですが、しっかりした作曲家、作詞家、プロモーターがついて、質の高い良い曲を歌えるかどうかがポイントでしょう。
今回のクリスティーヌ・ルバイユはこのブログで取り上げるのは2度目ですが、「顔立ち」だけでいえばかなりの美人だと思いますが、いかんせん良い曲が少ないと感じます。小手先で作った「やっつけ仕事」しか感じられない曲もあります。歌唱力も人間性もありますけれど、もう少し良い曲を歌わせてほしかったなと感じますね。
この、「Toi, Chopin 」はその中でもまあましな方だと思いますが、曲の最後に出てくるショパンのポロネーズ第6番「英雄」ももう少し考えてほしいなと・・・。

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