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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

どうせ いっそ せめて どういきますか

2019-01-14 23:08:19 | 日記

今日は鎌倉へ出かける。たぶん戻りは夜遅くになるだろう。はたからみればおかしな食事会だ。それぞれがそれぞれの欠けた部分を補いいるように、でもそれはしらんふりして楽しい時間を過ごしている。そういう大人の関係もある。そのあたたかな時間を大切に過ごす。それだけのことで、欲も何もない。擬似家族のように。

今朝の朝日新聞の折々のことばに 「どうせ」という認識を受けて、「いっそ」といくか、あるいは「せめて」とでるか というものがあった。どうせダメなら、「いっそ」といって勝負に出るか、それとも「せめて」と希うのか。人生にはそんな時がある。「せめて」という淡い願いがかないそうに思えるが・・・。私が体験したのは「いっそ」と諦めたときのほうか吉と出て、「せめて」と希うと駄目なことがあった。

「いっそ」何々してしまおうか、と覚悟を決める。欲はもうない。そんなときに、不思議と救いの手が差し伸べられた。「せめて」このことだけはと願うと、このことすら逃げてしまう。人生と皮肉なものだと思った。「欲」が絡むと結果はそんなときは上手くいかなくなる。そもそも「どうせ」という言葉がいけないといわれたことがある。「どうせ私なんて・・・・」特に私はその言葉を好んだ。たぶん楽だからだろう。それがいい結果を生まないこと、相手にとても失礼なことを学んだ。

不幸な自分を作ってはいけない。そう思うようになったのは最近だ。「私とあなたは不釣り合いだから・・・・」ということが相手にはどんな失礼なことか を知るようになった。「どうせ」もなく、「いっそ」もなく、「せめて」の哀れみもなく、ただその運命を受けて止めて生きる、それが相手に対する敬意のような、物事を大事にすることのように思うのだ。

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げんきじるし のひけつ

2019-01-13 19:38:10 | 日記

朝、目が覚めたら8時半だった。えっ!一度も目が覚めずそんな時間まで寝てしまった。ああ、ミサには行けない。神さま、ごめんんさい。昨夜、眠りについたのは、12時少し前のような気がする。やんごとなき用事から戻ってきて、濃いお茶を飲みながらメールの整理をした。そのまま、着替えもせず、化粧も落とさず、そのまま横になった。お布団があたたかい。このあたたかさのまま、私をずっと保存して、だった。しばらくそのあたたかさのまま過ごした。でも、おばあさんはこれで寝たら明日の朝は大変と、化粧を落とし、歯を磨き、着替えて眠りについた。しあわせな夜だ。

昨日のぶろぐでも書いたが、一見似ても似つかないと思う人でも、この年になって側にいる人はおかしなくらい似ていると思う。この人は仕事を離れたら、案外私と似ているのではと思う。几帳面なようで几帳面でない。私は見てのとおり、きちんとはできない人だ。もと夫は、母親が几帳面すぎる人だったので、私のことは不満だったようだ。でも、几帳面なところが違うだけの気がするが。育つ環境が違うのだから、生活習慣は違うに決まっている。それが許容の範囲なら、うるさく言わないほうがいいと思っている。

この年になると、ぼーっとした人がいい。わかっているのだか、わからないのだか「ねえ、わかっているの?」とききたくなるくらいのほうが楽でいい。それが違うと、そんなに大変なの?というようなことをいろいろ言う人もいる。「元気ならそれだけでいいよ」と言うような人といると、元気になる気がする。私は超健康らしい。(笑い)

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捨てられないたましい

2019-01-12 16:00:00 | 日記

「おわった!」なんとかNPOの経理が形がついた。これができないと予算が立てられない。取材に午後からでるつもりだったが、雨が降り出したので写真撮影は無理と諦めた。雨がやんでも寒くて取材はできそうにない。それで経理の仕事がなんとかなったのだが。

昨年、NPOへの支援が多かったことにびっくりした。それだけ仕事をさせていただいた。有難いことだと本当に思う。NPOで収益事業をしていないので利益は出ない。赤字を出さないのがいいのだが、それも難しい。あれこれ考えるよりは自分の財布から不足は出している。私にできるボランティアだからだ。なんで続けているのだろうか?あさドラではないが、なにか人の役に立つことをしたい ということなのだろう。昨年は、プレイする個人の写真を撮った。プリントして差し上げると喜んでくださった。それが嬉しいのかな。

あさドラの万平さんのように、自分の道を捨てられない人が、今の自分の環境よりも物理的にはマイナスの所へ行く決意をした。それでも捨てられない道がある という。収入のためとかで不本意でもその場に止まる人のほうが多いのに・・・。「ばかじゃないの」と言われ、人には理解されにくい。時には家族さえ理解してくれない。福子さんのような奥さんは少ないのだろう。

あさドラをみていてつくづく思うのは「普通の人たちのなかにいる普通でない人」だから、あさドラになるのだと。見ている人は普通の人が多い。「半分 青い」に批難が寄せられたのもわかる。人は普通でないものをあこがれはするが現実では嫌うのだと。

私の周りにはどうもばかな人が多いらしい。そんなことしなくても と思うが、自分の意に反しては生きられないのだろう。少し騙せても、長くは騙せないようだ。個人の価値観だから、比較はできないが私も捨てられないもののためにかな~り世間でいう損をしてきた。

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想いをのせて 跳んだ!

2019-01-11 20:55:39 | 日記

比較的暖かい日。友達の会社の登記で都内まで出た。渋谷は大人の街だったと友だちと昔を懐かしむ。そのころは二人とも大学生だったから渋谷は大人の街だった。その欠片もなくなってしまった。忙しいけど二人でのんびり話せるのもあと少しなのでそのことに時間を割いた。帰りの電車は1時間。始発駅から優先席に当然のように座る。本を読んでいると眠くなりうとうとしていた。乗り込んできた可愛い女の子が座りたいとごてている。ダメなのよ、おばさん疲れているから と心の中で弁解する。それでも子供は座りたいという。同じくらいの年の隣の方が「じゃあ、この間に座りましょう」と声をかけた。嬉しそうに小さなおしりを割り込ませてきた。睫毛がながくて可愛い子だ。孫がかわいいのはこれか と思う。おばあさんの財布の紐も緩むわけだ。ましてやおじいちゃんは。

子供がいないから孫もいない。だから、孫がいる人がうらやましい。子供がいない原因が肉体的なものだからあきらめはきいたが、諦めるときは泣いて泣いて1週間過ごした。ふと、そんな日を思い出した。でも、いま私は軽い嫉妬からなのだろうか、引っ越すことを羨ましがられている。自分がこうしたい、ここで一生を終わりたいと思ってできるのは、うらやましいと言う。ほとんどの人がそれができないで現状の中で生きているのにそれができるなんて と言われた。「ひとりだからね」と私はさびしく答えるだろう。

引っ越す と軽く跳んだ。でも、それには長い助走があったのよ。ためてためて想いをためたからできたのよ。想いを残さない道はそれしかなかったの。私をつなぎとめるものはないからと跳べたのだけど、その代わり孫守りはできないわ。人は二つは選べないの。せめて樹木希林さんの「死ぬときくらいは自由にさせてよ」かな。

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あくまのささやき

2019-01-10 19:14:22 | 日記

昼間は暖かくても夕方からは寒くなる。あっという間に夕方になってします。流れのない仕事をしている。その間にNTTだの引越屋さんだの不動産から電話がある。落ち着くとこの時間だ。お昼はパンとカップラーメンが続いている。おそばを茹でても10分のことだがそれができない。それでも仕事は進んでいるのでおかしい。寒いからあたたかいお話はないだろうか。外出からもどると手が悴んでいる。

甘いこひのお話がいいのだろうか。そういう話も思いつかないが、短くも激しく燃えの話がある。一番女としていい時期なのだろうか。27歳のときだ。ずっと思い続けているA氏と別れようと思った。困ればなんでも相談していたが、相談するために不幸を作っている気がした。29歳になる彼も結婚する気配はない。私には彼に飛び込んでいく勇気がなかった。そんなとき、踏み台にするつもりはなかったが、流れていった人がいた。A氏を(心にある人を)忘れるためだともその人には言った。「地獄に落ちる覚悟はある?」とその人は言った。そしてお互いに負担になったら別れようと初めから言っていた。それだけの魅力がある人だったか?今思うとそうではなかったろう。ただ『恋に堕ちた』のだ。むしろ、あまい肉体のわなに堕ちたのだろう。

あたたかいベッドのなかにある、おんなのよろこびとそのかなしみを味わった。そして、また、A氏のもとに戻った。悲しそうにA氏は「変わったね」と言った。走ったことでかなりの傷を負った。A氏はただやさしく心を抱きしめてくれた。もう2度と人を踏み台になどしない と思った。若い日の(27歳ではあるが)苦い思い出だ。おんなというものはかなしいものだ と知った最初で最後だった気がする。

いまは?おとなのおとこがあためてくれているようだ。

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