時雨の日が続く。さらに寒くて冷たい。用事で彦根へ出かけたが、日曜日よりもさらに山は彩を増していた。墨絵のような雲にその錦がうつくしい。伊吹山も今日は姿を現さない。昨夜はよく眠ったと思って目が覚めるとまだ12時だった。なにか急に不安になったので、電気をつけた。お友達などは睡眠誘導剤などを飲んで寝るというが、私は目が覚めたら目が覚めたであまり気にしないようにしている。布団の中でとりとめのないことを考える。
出てくるのは誰かと別れたあと、共通の友達を訪ねている景色が多い。それも友達の家の場面だ。なにか大事な話には触れないで、お母さまが運んできてくれたケーキなどを食べながら「うまいな、このケーキ」などと話している。最後は「送っていくよ」お母さまが「また、いらしてね」で終わる。なんでそんなことを覚えているのだろう・・・
「時雨の記」はなんで「時雨」なのだろうか。この土地に来て「時雨」を体験するとそう思う。二人が京都の時雨亭跡を訪ねたところからだろうか。この地に「庵」を建てようと誓う。やはりロマンは京都か・・・。たしかに大人のロマンだ。
彦根から鎌倉のおばあちゃんに送る珍しい野菜をリックいっぱい買ってきた。(家の分もあるが)鎌倉のおばあちゃんの家は「時雨の記」に出てくるようなところにある。大腿骨骨折をしたおばあちゃんは自分では買い物にいけない。「もっとそばにいてあげらればよかった」と毎朝、母の前で悔いる。その償いなのか・・・。
時雨は冷たい。そして、さびしい。