書いている途中の絵なんか
恥ずかしくって
見られたもんじゃないが
見るもんだなと思った
しかもこういう風に写真に撮って
小さい画面になって見ると
見えるものがまた違うなあ
カンバスに向かっていると
この鬼の面のバランスが悪いことは気づかなかった
この絵は
静と動というテーマが課題の絵
そりゃあ 動だわ と思って
ほかの人が静を描くだろうから
私は 動でいいの
この課題もっと色々描く
でも 鬼剣舞はこれで終わり
今日ラジオで鶴太郎が色々喋っていた
この地域でもジュディオングの展覧会があったりして
タレントは発表の場もあって
描いた絵も埋れることもなく いいなあ ずるいなあ
と
ゲスの嫉妬心が湧いてくるが
すごいねえ ボクシングで鍛えると
もう死んじゃうんじゃないかというほどのぶっ叩かれ具合の訓練をするのね
で
そのあとの撮影の時なんか
なんか こう 吹っ切れちゃうんだ
と言ってた
なるほど そういうことも通ってきて感覚は磨かれるんだな
と
ゲスの嫉妬心は引っ込めた
ユスラウメさんのところで
アメリカにいる孫ちゃんのお絵かき記事があった
http://weloveai.exblog.jp/17863980/
これ見て
ああ 日本ではこういうお絵かき勉強ってしないなあ
と思った
するかもしれないけれど
私が美術教育に関わっていた頃
巷には 3っつ 美術教育研究団体があった
そこで 問題になったりい話し合われたことって
とっても日本的かもしれないと思った
子供の空間認識の発達とか考える軸になっていたし
表現をとおして 子供をどう育てるか
って
なんというかなあ 恐ろしく理屈っぽくて
今思えば不自由このうえなかったかも
自由って 手立ても掴めて 歩けるように順次お膳立てするような
ああ 私たちって なんて大真面目すぎるんだろうと思った
でも
多分だから いろいろな技術
例えば六角ナットを作る町工場が世界の製品のうち
ええ!!と思うほどシェアを勝ち取ったり
技術的なこと
キッチリやるというような伝統ってできたのかもしれない
でも
今その手のお家芸は ダメになってきているみたいだけど
日本の絵かきがあまり世界に羽ばたけないのは
そうやって窮屈に育てられたせいかもしれない
と 思った
が なあ この絵なんとかしないと
違った勉強の仕方をしてる事は感じます。
3年生まで同じテーマで提出、
お友達の子が緑の日のテーマで全て緑で一日を過ごすという宿題をやった
緑色のもので身の回りを飾り
食べ物を緑で色付けして(お菓子に着色する緑)ウンチまで緑が出たと大騒ぎした事を聞いているの、なんていうかノリが良い国民性なんでしょうね。
あれは駄目、これは駄目が無い様な気がする。
娘は日本人であれ駄目これ駄目で型にはめたがる傾向にある。
って
面白いですよね
私の頭は柔らかいとうぬぼれていたけれど
硬いなあ
と思います
自覚しているだけえらい
私なんか自由に子供を育てた気でいるけれど
ひどい母親だったらしい
恨まれたって
覚えてないよ!あとはたくましく生きろ
親のせいにすんな!
と逃げる
たくさんの色鉛筆にカラーペンを日本で使う筆箱の倍はあろうかという大きなペン入れにみっちり持って行きます。
授業もイラストが多く、必ずぬりえをさせるとか。
そのぬり方がとってもカラフルで驚きました。
葉っぱが10枚あって色を塗りましょうとなると、10枚を10色で1枚1枚別々の色で塗るんです。だからピンクの葉っぱ、オレンジの葉っぱ、青に赤、紫ととってもカラフルな葉っぱ達が出来上がるのです。
日本だったら葉っぱは緑、10枚あっても10枚とも同じ色、な印象があった物ですから驚きました。さすが美術の国なのかもしれません。
大塚先生は頭の固い大人たちの
色の概念を広げさせるのに四苦八苦しています
でも 一方で 概念 というのも大事なのよね
こんなこと考えだすと奥が深くてはまりますが
フム
自分を自由にすることに専念することにしましょう