昔 世界の児童画展というのを見に行ったことがあって
日本の子供は特異だと思った
が
私は日本人なのでそれが普通だと思うわけで
世界の方が変だと思った
日本の子供の絵は
これが 子供の絵かよというぐらい
多分上手い
そういう絵を見たら 外国の美術の先生は
日本って何やっているんだ?と多分想像できない
そういうことを日本の先生はやっているだろうな
と思った
上手い絵描かせて?馬鹿じゃね!?
と 思うかもね
前に 教育実践報告で
模写を授業でやっている報告を見たことがあった
ゴッホの靴の絵
多分この絵だったと思う
中学の授業だな
で
生徒は 克明に模写する
私自身は模写の授業って受けたことがない
今度笠間のワークショップが初体験だ
日本語では 学ぶはまねぶだ なんて言うからね
国民的な思想として
多分
それが 学ぶことだという考え方が 身に染み込んでいるんだと思う
鶴太郎氏は 声帯模写が最初だった
全て真似して 学んできた
それが自分のやり方だ
というようなことを言ってた
こういうこと一式が
日本特異なものだ という自覚はなかったんだよな
上に書いた児童画展でも
外国の先生は 放任主義?というふうに思ったもの
子供の感性を自由に解放する
という方針で授業をすすめる人たちもいるけれど
解放する 魔術 難しいだろうな
私は勉強していない
で
自分自身が
自由にのびのび描くのが子供だ
お前の絵は子供らしくないから嫌いだ
と
小学校の図工の先生に嫌われて
(その先生は 勝手に子供はこういうもの
と決めつけて 自分好みじゃないと嫌うんだ
やな感じ
と思い
あまり絵画的センスのない私は
見えるように描きたいんだ
という要求を抑えることは出来ないから
反抗した
そしたらね モチーフの石膏の先っぽがかけているのを
かわいそうだと思って 壊れていないように
絵の中で修繕して描いた
ら
件の先生 見えるように描きたいと言ってるくせに
お前は嘘を描いた
と 馬鹿にしてきた
小学校5年生の時のことだ
60年近くまで執念深く覚えているくらいだからね
頭にきたんだよ
後に 思春期の子供の絵を描くときのあれこれを学んでいくとき
大人が望むように 子供は子供らしい絵を描きたいとは思わないものだ
知りたい
できたいことに猛進するものだ
と
これまた 勝手に思い込んで
それが 知的リアリズムから 視覚的リアリズムに進むのが
発達の筋道だと思ったからね
私の頭は硬かった
今思うと そういう頭の固い教育を受けてきて
大人になって
絵が好きでお絵かきを始めても
どうもつまらん絵になってしまうのは これのせいかもしれない
と
このごろ思い始めている
遅いよな
どうもすみません