田舎に来てみると
人々の考え方の芯の置き方の違いに戸惑う
これが
外国だともっとありそう。
このごろ
翻訳されたものを読むことが多く
読み取る
というのが
その考え方の芯みたいな物を
追いたどっていることに気がついた。
「クイーン」もそうだったし
いま朗読講座で「赤毛のアン」を
松本侑子の訳で読んでいたりするからね
素朴な読者だったときは
訳者が作り出した世界に浸っててよかったんだけれど
訳者が研究したことを
訳者の人生と一緒に味わうような気がしたのは
この間
ブレヒトの
「唐人お吉」の話を元にして作られた戯曲の全編が見つかって
ドイツで
上演
という放送があった。
お吉
その演技はとても違和感があった。
「唐人お吉」の話はモチーフであって
それを元に
ブレヒトは別の新しい世界を作ったのよね。
翻訳というのもそういうものなのでしょうね。
でも
松本侑子氏のアンがらめの研究は面白い。
翻訳物を読むって
そういう
知らなかった外国の別の地平を見る楽しみがあるみたい。
研究者は
またまたもっと面白いことを穿り返しているらしい。
これが
今朝、こういう記事を書こうと思って起き出したんだった。
明日は
お墓参りの後
久子さんに会うのよ
ルンルン
田舎で戸惑ってるくらいなんだもの
外国の話は
わからないことだらけ
ブレヒトの劇見たときは
ドイツ人には日本の女心を
演ずるのは大変だね
日本の女じゃなくていいんだ
「女」というものかと思ったの
久子さんと、それは楽しみですね。毎日のようにご予定がいっぱい?!。