遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

平面性と空間表現

2012-09-21 06:40:52 | 日本美術

この間の

基一の朝顔図の話以来ずっと平面性を徹底して空間を表現する

と言うことを考えている

Asagao1

琳派については

私は大して理解していないのだけれど

平面性とデザイン性とそれが大きな特徴だと思っていた

もう少しよく見てみよう

いずれにせよ江戸末期に西洋画の影響が表れるまで

日本の絵画は平面性に特徴があったと思うし

それらの発想の異質さが西洋画に影響を与えてきてと思ってきたけれど

テレビに出ていた平成の琳派の第一人者と言う人が

グラデーションだの奥行表現だの

腕の見せ所というので

私のとらえ方とうんと違うなと思った

Chioin002

日本のというか西域以東と言うか

彩色のグラデーションは

繧繝彩色というか

パター化されたグラデーションで

空間表現と言うより

表現された平面を彩るやり方の一つだと思うのだ

水墨画などの墨の濃淡滲みなども

西洋画風の空間意識があるものとないものは見てすぐわかる

感じがするのだけれど

http://www.rinnou.net/exhibition/ex_06.html

偉そうなこと言いすぎた

Hasegawatouhakuryuuko2

これは等伯の龍だ

私はよく知らないのだが中国以来

空間表現遠近の表現には

西洋画のとは違う 発想の教えがあるのだよね

20世紀初めころの西洋の冬至の現代美術の人たちが

透視図法を捨て去ろうとしたことの意味がだんだん

分かってきた

Img052


これは

若い画家たちが20代初めに描いた能舞台の松

出来上がったとき

若者の絵は西洋風だなあと一瞬思ったのを思い出した

黒田清輝のことを思ったときにも考えたけれど

子供のころからの美術教育のせいで

この ルネサンス時代に発明された透視図法的な

空間イリュージョンの作り方と言うのは

身に染みている

ピカソが言ったのはそのことだったように思った

分析的キュビズムから総合的キュビズムへ

どういう考えで転換していったのか

よくわからなかったけれど

違うかもしれないけれど

画面をあくまでも平面として構築していく

と言うことだったのかな

と思った

平面性というのは

何となく浅はかに装飾性みたいな気がして

(琳派をいくらかそういう風に見ていたせいもある)

このことを

透視図法は置いといて

空間 リズム

音楽を思うみたいに今後考えて行きたいと思った


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葛城王

2011-12-28 23:26:10 | 日本美術

フクシマ・レジェンド のなかに

葛城王と言うのが出てきた

誰だっけ?聞いたことあるけどって引っかかった

(私 高校で日本史を選択していないので常識が欠如)

分かったよ

橘諸兄だ

この辺は 何とも陰謀渦巻く時代だ

息子の奈良麻呂は乱を起こし

この時の政敵も恵美押勝の乱を起こしている

葛城王ってなんで王なんだ 皇族?(こんなのも知らない)

橘三千代って最初美努王に嫁いで 葛城王などを生み

軽皇子(文武天皇)の乳母だったのか

で 美努王都は離婚し 不比等と結婚 光明子を生むわけだ

この時はまだ不比等は権力は握っていない

こう考えると

橘三千代 すごい女だったのだな たぶん

それで 安達が原の鬼婆の話を考えると

ちょっと興奮する

Horiyuuzitatibana

橘三千代と言えば

この念持仏で初めて名前を知ったのだけれど

なんでこの仏像が法隆寺にあるのか

どういう関係か

 

考えると

法隆寺を聖徳太子の怨念封じの寺と言う 梅原猛説で考えると

聖徳太子の怨念を恐ろしく思うよな

橘三千代!

そういうことかと思ってしまった

 

藤原氏の祖 鎌足が権力闘争の陰で

ただの神官だったが

曽我氏を滅ぼし

実際は 聖徳太子一族を滅ぼした裏の実行者とすると

その陰謀が実っていくのは
藤原氏の娘光明子が聖武天皇の皇后になり

生まれた阿部内親王が天皇位について

外戚としても権力を確立していったのだものな

この阿弥陀三尊像に何を祈っていたのか

想像するだけでも

ワクワクする

その私の勝手な妄想はさておき

この三尊像のたぐいまれな軽やかさ

背後の おどろおどろしいこととは関係ないな

 

こう考えてくると

安達が原の鬼婆が この葛城王とは関係がどこにもないようだけれど

なんだかな

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みどりさんにお見せしたい絵

2011-12-28 22:36:43 | 日本美術

↓鈴木基一の群舞図

Img824

踊り

この春までは

鬼剣舞を描くのだけれど

色々な風に描いてみようと思うのです

Img_0033

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メモ

2011-11-15 08:23:09 | 日本美術

娘がどこに行ってきたのか

地図で見たら

千葉のいすみ市というところの森のなからしい

あれ?あの子が小さいときにおしっこを漏らした

神社がそばではないか?

と思ったが

そこがどこだかわからなくなったので

調べた

珍しい建物なのよ

四方懸崖造り(これけんがいってやらないと変換しない

けがいづくりっていうんだよ!)Kasamori

この階段を登って登って行ってよっこらしょと座ったら

あらら お尻の下が濡れてきた

幼い娘は上目づかいで照れ笑い

弟がまだいなかったので1歳9か月の時だ

神様 お許しを!という事件だったが

もちろん覚えてないだろうなあ

このお宮は笠森神社という

長南町というところにある

もう一つ思い出したが

色々忘れてしまって

引っ張り出したことを書いておこう

Rennzouinn

この仏像はよく見ると彫ったノミの跡が見える

関東にはこういう仏像がけっこうたくさんある

平安末期に作られたもので

平安末期は中央では定朝様式の仏像が作られ

頭の固い貴族の趣味が運慶などの頭を押さえつけていた時代だけれど

関東にはこういう自由な雰囲気があった

私は学生時代に関東のこういう仏像を見て歩くゼミに参加して

師匠にいろいろ教わって

運慶はきっとこういうものを見たな!?

と空想していた

この仏像があるところは↓

JR内房線五井駅から海上農協行き小湊バス神代下車徒歩約10分
蓮蔵院

調べたら秘仏というから見に行っても見られないかもしれない

私たちが学生の頃

住職がやっとお話してくださることができるほど

ご高齢で

私たちの訪問の後亡くなってしまった

その後もう一回行ったけれど

このお像はコンクリート造りの奉納殿に入れられて

最初に暗い御堂で拝観した時とずいぶん様子が変わってしまった

KINU洋画会の最高齢のお仲間は

伊豆にある願成就院の運慶作の仏像を見に行きたくて

「どういくの?」と私にお尋ねだったが

お教えしたが

前回の会には欠席だった

ちょっとご病気が心配なのだ

Bishamonntenn

これ

願成就院の毘沙門天

有名なのは不動明王と

童子

 

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蕭白と横尾忠則

2011-10-24 14:28:35 | 日本美術

蕭白の鬼の絵

Img703

この鬼なんだかかわいいね

でも おなか 筋力が足りない

Img704

こちらが

横尾忠則

何が言いたいのかさっぱりわかりませんが

ふたりは気持ち悪いところが共通してます。

あ!  気持ち悪いというのが褒め言葉というのやっとわかった。

 

私の子供の世代は気持ち悪いというのを

褒めるときに使うんです。


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長沢芦雪

2011-07-07 20:42:55 | 日本美術

芦雪という名前が美しいイメージって

初めて考えた

なるほど

雪景色

芦に雪が・・・・

さて

蘆雪って 有名な絵だけ知っていてもかっこいいが

改めていろいろ図版で見て しびれた

Img507 こんな図版では伝わらないなあ

私が見ているのは

別冊太陽の長沢芦雪 (別冊太陽 日本のこころ)

これなんだけれどね

この海岸の絵

白く砂浜が見えるところ

胡粉の点々 

墨の諧調  繰り返しのあるユニットの大きさと色の諧調 リズム

なんと

かっこいいのか

 

音楽だわ

Img508

虎の絵は猫未知な巨大な絵が有名だけれど

絖という記事に書かれた虎の絵の毛の肌がすごい

 

これは紙に書いた鹿だが

耳毛 すごい

 

こういう手触り質感 ほれぼれとみるけれど

蘆雪は応挙の弟子なのね

応挙は

実は私は少し退屈(生意気ですみません)

でもこういう動物の絵の何とも言えない手触り 表情

江戸時代の写実って 詳しくないが ちょっと研究してみたい

 

でも

蘆雪を一番蘆雪の魅力で語るなら

そりゃあ

あのスピード感 構図の大胆さ 

それにつけても 絵には 音楽がなければな

ということを久しぶりに興奮して

考えた

明日は

クレーを見に行く

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国芳 「東都名所・浅草今戸」

2011-03-05 05:53:55 | 日本美術

Imado

東都三股の図の謎に世間が浮かれているが

改めて考えると

国芳の風景画は  カメラアングルというかその写実性と

構成と考えると

ありもしないものは描かないに違いない

井戸の櫓  ありえないな

深川は昔から水が悪い 掘ったって塩水が出てきちゃう

それで 水売りなんて よく小説にも出てくる

そんなところで

井戸掘りのこんな大工事なんかないんじゃない?

改めて

国芳の風景画を見ると

この  構図の粋なこと

画面にみなぎるスピード感

こういうものがあるから

私は国芳を好きなのに違いない

上の絵は 今戸焼を焼いている風景だけれど

っ中空に浮かぶ筑波山

東から見ると  こういう形よ

わが家方向から見ると

こうなる

Inaka1それを考えても

リアリストだなあ

と思う

さて

上の絵の

煙や雲

空気の感じ

この間ロスコで目覚めた  面色  そんな言葉は

江戸末期にはなかったろうが

息づいているではないか

 

今戸の絵も 東都三股の図も 煙が役者

その他 光と影の面白い絵もあった

見たいでしょ?

見せない

重い本をスキャンするのは 手が痛い

 

今戸焼って聞いたことはあってもよくわからなかったが

これまた面白い

上野今戸焼をクリックすると よ==く その魅力がわかる

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胸中の丘壑

2011-02-04 23:08:31 | 日本美術

Img368  →蕭白の石橋図

まるで 劇画だ!

しかし

これの解説を読んで

引っかかってしまった

解説したのは河野元昭先生

誰?これ?

あら 私と同い年

でも偉い人だ

東大名誉教授だって

 

だから

わけわかんないこと書くんだ!

 

○ソ!

 

蕭白の山水画は

胸中の丘壑だといい

それは

東洋山水画の

根本理念だって

 

どうやら

写生は

目下よ

という思想らしいとは見当はついたが    意味不明

一日じれて

ネットサーフィンした

蕭白は 応挙なんかバカにして  写実ゥ?  くだらねえ 馬鹿じゃネ  という感じ

 

そういう風潮が 江戸時代にあったのか!

とも思い

 

中国の山水画  似たのばっか と思ってたのに

テレビで すごい映像を見て 中国の山水画ってリアルだったんだ!

と思ったばかりの私には

引っかかる

 

でもわからなくて   イライラした

 

やっとおおよそのことが分かった

まず  前に書いた三遠法    違っていた

平遠とは、平原の広がりを、角度の小さい俯瞰視によって、
    画面に穴の開くような奥行きとして表現すること、
   高遠とは、聳え立つ山の高さと大きさを、これを仰視するようにして捉え、
    あわせて山体と観者との間に巨大な空間の厚みを構成すること、
   深遠とは、Ⅴ字型の山襞を左右から折り重ね、渓谷の奥行きあるいは
    山々の重なりと遠さを表現すること

ということだ

視線だけで考えては ちょっと違う

これは かなり昔からの空間把握の方法で

郭煕という北宋の山水画化が理論づけた

 

中国では 画工の描く絵は卑しく 士大夫の思想や知性を持って描く絵を尊ぶ

という風潮があったらしい

絵はそこにあるそのものに沿って描くのではなく

胸中の云々  という言い方をして 

表面的な「画の工」や「形似」を越えて、「理」を求めたというのよ

そういうことを言ったのは蘇軾だった。

 

世界史では蘇軾 蘇東坡って詩人って習った

詩画書 同源という考え方もある 何でも優秀だったんだ この人は士大夫

 

それで 胸中の丘壑(きゅうがく)というのは 壑は谷のことらしいから

山水を持って 思想や理想を表現するということなのだろう

 

私が書くと 実に浅はかで うすっぺらに聞こえる

胸中にうすっぺらなものしかないからだろう

 

ああ  でもすっきりした

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中国の風景

2011-02-04 07:26:13 | 日本美術

Img366 昨日

テレビで

中国の

黄山の映像を見た

 

絵描きが

そこの雲海を求めて

何回も登って

雲を追う

 

 

あまりにすごい映像なので

温泉!と騒ぐおばさんを

 

待って待って

これ見たいの!

と待たせて

見た

 

右の絵は

李士達という明末の画家のもの

 

だいたい 行ったこともない中国の

ありえないような風景の真似ばかりの山水画  

見下してた

 

すごいよ

黄山 そのありえない景色だった

雲は 竜のように湧いて 山々を上りきれないでのたうってた

 

テレビはあっさり 映像で見せるが

その景色を見ることができるのは

大変な僥倖 気象が そうなるのは

待って待って やっと目にできるのだから

 

そこから出た絵か!

 

大体 明ねえ 明は元の後  明はその後清になる

両方が辺境民族の王朝に挟まれてる王朝だ

そこで 中国の文人は何を思って絵に託したんだろう

Buson

こういう 

蕪村の絵のように

日本の風景の持つ線がいいと  思ってきたが

この題  夜色楼台雪万家  というのは

明代の中国の詩人李攀龍(りはんりょう)という人の詩の中の言葉だそうだ

調べて出てきたから

よくわからないが書いておこう

春来鴻雁書千里  夜色楼台雪万家  というのです

やっぱり

中国か

 

付和雷同人なので

中国 もっと知りたい

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これは文人画にはならないのか?

2011-02-03 08:26:40 | 日本美術

Tukinoe

これは フランスにある

蠣崎波饗作

文人画のもっともそれらしいのは

渡辺崋山だという

家老だったし  儒教精神にのっとった理想を求めたって

本当?

蛮社の獄など 時の権力に逆らった革命児かと思ってたが

そうではなく

貶めた側が腐ってた

本来的に言えば崋山こそが文人画家だと言えるという

文人画が政治を志す人の文化ならば

蠣崎波饗が松前藩の家老として

アイヌに向かった姿勢はどうなんだろう

アイヌについては

立場を変えてみるといろいろ変わるから何とも言えないが

蠣崎波饗は波饗の理想を追ったんだよな

文人画を様式でとらえなければ

これは

文人画と言っていいのではないか?

ああ

函館図書館に行きたい!

 

ちょっと  遠すぎる

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