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遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

色気

2013-05-08 04:08:07 | 原風景

あまり面白い展開になったので

眠れなくなってしまった

私の結論

教会でという原風景の絵は修正する前のほうがインパクトもあって

よかった

あるいは私が加工したように

ロールオーバーにしたので

よかったかもしれない

(これはあくまでもあの美女は男鹿人さんの

内面が形になって現れた美女と考えての話よ

Pさんの美人度とは関係ないの)

男鹿人さんは頑固そうで色気がありすぎたかもしれない

と思って・・・・・

そうか 成人のお絵かき教室では 色気(若気の至りの色気じゃなくて)

これの扱いが鍵かもしれないな

と思った

北国さんご紹介の佐々木先生が

上手だね、うまいね、似ているね」という視点で評価してきましたが

と こういう美術教育を批判なさっていた

こんな評価する先生がいるか?

と思ったが美術に5段階評価なんかさせるから

そういう風に人々は思うわけだ

上手だ うまい 似ている

というのは到達目標があって どれだけ近づいたか

そういう観点だもの

実際問題としては

ランキング付けが生む考え方が深く浸透している

大人の場合それにすり寄ってしまうのが

お絵かき教室の色気だ

ま美女を描く場合にしろ

男を描く場合にしろ

相手との関係を忖度するという色気もある

(おばさんかくとき 私もかなり自分の色気に苦労する)

さ もう一回寝よう

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男鹿人さん解剖

2013-05-07 22:57:07 | 原風景

笑い転げちまったので

野暮だけど解明する

なんだ?もうみんな寝てるな!?

P様

あなた様が マッチョだなんて私は思ってないわよ

男鹿人さんもそんなこと思ってない

もしかすると素直にあこがれていると言いたいのかもしれない

(虫がいいんだ 女心をもっと柔らかくあしらえ!)ハハハ

ただ 女を恐れる一心  美人ならその美を恐れる一心

それでも 近づきたい

そういう もう 止むにやまれぬ男心が

マッチョな女を描かせるのよ

P様の心理じゃないの

男鹿人さんの心理!

何しろなまはげを生む土壌に生息して徘徊しているのだ

そういう心理の持ち主だよ?

http://yuukoubosss.fiw-web.net/gallery/kmitoh.html

男鹿人さんは

おなごのあしらい方は分からないと

熟練してないと

そんなふうな

かまととを かつては言ってたと思う

かつては 素直にそうなのね

と思った

本当にそうかもしれない

多分 Pちゃんをマッチョに描いちゃったその深層心理は

掴み切れていないかもしれない

最初あの絵を見たときは

ミッションスクールに通っていた少年時代から

女性と見ると巨大な 強そうなイメージを抱き

片隅で 神様に向かってはちょっと震えながら

それでも 悪魔かもしれない女性に近づきたい

そういう少年だったのね!

って 思ったよ

然し ゆすらうめさんちで モデルの方には

ってコメントあったでしょ

あこがれる女性のモデルにはPちゃんでしょうと思うけど

なんせ マッチョだからなあ

ふうん そういう方も別口いるのね

と思ってたら

ハハハ やはり Pちゃんかあ!!

pちゃんはコメント設定が なんか変なのね

隠れちゃった?

これも手練手管?

いいや

拗ねるに決まってるじゃないよねえ

拗ねて フムフム そこまで読んでこうしたの?

とも思い

武蔵なんかもね

私の逆鱗に触れたことがあるけれど事態を理解していない

男にはそういうところがある

男鹿人さんもそういう口という可能性もある

でも

これからPちゃんの反応がどうなるか

思いめぐらせると

なんかさあ 面白い!

こんな刺激的な ゆさぶりって ありか?

と思うのよ

もしよ

わたしを

↓の絵(これ35億円!フロイトの孫が描いた絵だよ)

こういう風に描いたらよ

実際デブなんだからさ

35億円くれてもブログ 引っ越しちゃうかもよね

 

でも P ちゃんの場合はどっから見たって

キュートでかわいい系

ppppp!!!

という美人だからね

ああいう風に描いたら あれはないでしょう!

って誰だって思うわな

それを酷評だァ って泣いて見せるわけで

このやり口も(現にお二人慌てた) 

隅に置けない

そう思って 思えば思うほど

総合的に

わたしは ただの管理人だけど

薬毒で ちがった 役得(!!やくどくじゃないんだ ハハ今日用がたりん)

で 笑い転げたたわけです

傷ついた方が居たら ごめんなさい

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アハハ  面白い!

2013-05-07 19:11:50 | 原風景

もう 笑いが止まらない

ああああ

面白い

文句言ったって駄目だからね

あああ 楽しいな!

Pさん

あなたが描かれたと思っちゃだめよ

あれは視覚心理学的に考えるべきものなのよ

アハハハハハ

もう 最高!

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地面に寝るということ

2013-05-06 05:38:17 | 原風景

今住んでいる家は

FP工法という建て方で建っている

隙間風は入らないし

断熱も充分で

寒いと体が痛くなる私向き

これまでの家は 冬寒かった

バイク通勤なんかしてで体が冷えすぎて

多分ノイローゼだったと思うが

↑その通勤途上にあった寺

冬は存在しているだけで悲しくて

ホットカーペットから外に足を踏み出せない

そういう気分だったのだよ

これってやわな話ね

恥ずかしい

 

私のキャンプ初体験はたぶんアラフォーのころ

アウトドアー派の武蔵の同僚家族の手ほどきで

伊豆にキャンプに行った

それ以来

子供が子供時代は毎年キャンプ

寝るとき

感激

キャンプって地面にじかに寝るのよね

外とは布で隔たっているだけ

地面の息吹きを感じた

外の気配を感じた

虫だか何だか知らないが いろいろなものがいる

あの感覚は忘れられない

キャンプ生活は ともかく薪を拾ったり

火を燃やしたり 食べることもワイルドな感じで

なんか能力がある気になれて

すごくいい

風呂施設がないキャンプ場ではお風呂に入らない日が続いて

川の水遊びで汗が流せるくらい

毎日お風呂に入るのが当たり前の暮らしからは

信じられない感じ

すごく自由を感じた

けだもののように生きていける気がしてきた

わが家はキャンパーとしては 実にいい加減

全然ストイックではないから

火を起こすことから始まる炊事に疲れれば

レストランに行っちゃうし

ボンベ付きの便利な炊事用具も持っていくし

文明の利器もいろいろ持ち込むけどさ

台風が近づいたとなれば

バンガローがあればテント撤去 避難しちゃうし

全然野性派じゃないんだけどね

それでも 地面に寝る ということを通して

いよいよとなれば どんなモバイルハウスをでっち上げても

生きていける

そういう気がする

 

この間の地震で幸い家は無事だったが

この先どうなるかわからない

そういう時 どういう風でもよ

もともと人間もけだものなのだから

野山で野山の恵みをいただいて

林に抱かれて眠ることで生き延びられると

そういう自信は地面にじかに寝たことが生んだのです

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校則

2013-05-04 21:54:14 | 原風景

私の子供が通った高校の家庭科は

人間生活科というのだった

そこでの授業に出身校の校則を比べあうというのがあった

ものすごく面白かったようだ

(その学校は寮もあって全国から生徒がやってきてた

校則は ないみたいな 自由な学校だ)

中学生などはまだ自分のいる世界が普通だと

そんなふうに思いがちだ

だから 高校生になって全国の中学校の校則を聞いて

!!!!!!となることが多かったようで

目から鱗がポロポロ落ちる

そういう授業だったみたいよ

私自身は 小学校時代 戦後の民主主義教育に

先生方が燃えていた時代だったから

自治能力を育てようとそういう感じ

だから校則の縛りなんかない

児童会では みんなで話し合って物事を決める

ということを学んできた

でも子供っぽくて

私児童会議長ってやってたけれど

会議の進め方がよくわかってたわけじゃなかった

と後で思いしる

小学生の時の楽しみは

朝早く登校して

一人でまだ誰もいない校庭で

鉄棒でくるくる回ること

学校中すべての場所を探検することだった

図書館の先生用の書庫に入るために

図書委員になってお掃除するのでそこに入り込める

それが狙いで立候補したりした

クラスでは犬も飼ってた

後に 私が勤めた学校

信じられない校則

朝は8時何分だったか開門まで学校に入っちゃいけない

警備会社とつながっている校舎に

先生だって カードで警備システムを解除しないで時間外にうっかり入ると

背後から 警備会社の男に誰何される

これ 当たり前らしいけど・・・。 

 

違う学年の教室の階に行ってはいけないとかいう校則のある学校もある

私の中学生の時も 校則?あったかなという感じだ

女子が体育で社交ダンスを習って

クラスで男の子たちに教えてあげたら

面白くなって ダンスパーティーになった

担任の先生はもうお帰りになった後だったけれど

警備員さんが報告したらしく

先生が飛んで来て

叱った

何で?

先生も困って

もう誰もいない学校で 男女が ダンス!?

ダメでしょそれ もうお帰りなさい!

と帰された

私たちのクラス男女仲いいんだけどなあ

いいんじゃないの?

とは思った

お菓子を食べるとか 昼ご飯に近所の蕎麦屋に行っちゃうとかも

あったよ

高校の時は先生がはっきり仰った

あなた方を信頼しています

生徒手帳はあるし

図書室で本を借りるルールとか それはありますが

校則は決めません

良識を持って創意をもって行動しなさい

と教えられた

相当自由な校風だった

そのころまで 制服も定めてはいても強要するのは悪みたいな

(だって 買えない子もいる

一人の友人は 中学の時の服がまだ着られるから

とそういう服装で通した人もいる)

私が最初に赴任した学校は

自治能力を育てる方針の学校で

それもここまで生徒にやらせるのか!面白い!

というところだった

(遠足 どこに行くか 条件だけ与えられて生徒が決めた)

会議で物事を決めるのも方法をしっかり仕込むんだわ

議事法ってのを。

これはこちこちに硬いんだけれど 

ルールに則れば意見の交通整理もうまく行く

自由が増える

というのもここで学ぶ)

然し 多くの学校は

スカートの丈だの ソックスの折り方だの 

決めて押し付けるのが校則 そういう学校の方が

ドンドン多くなっていった

信じられないのが 宿泊行事の寝巻が 学校指定の

ジャージ!!

化繊恐怖症の私には耐えられない!

初めてそういう学校に赴任した時に

ジャージで寝かせると聞いて

卒倒しそうになった

じんましんが出そう!

そんな決まり反対!だめ!家で着てる寝巻持ってこさせましょう

と必死で主張したが ボツ

そのせいで 全く馬鹿にされるようになった

 

高校生のわが子が全国のそういう笑っちゃう校則を知って

笑いあっただろう授業は

面白かったろなあ

その高校は

私のような頭のおかしい親から見ても

そこまで自由か?というほど 自由だったけど

よく育った

 

然し わが子の髪の毛が

ある日 金髪になったとき!!!

私は実は 涙ポロポロ

だって 私も まがい物よ

子供が髪を染めようがピアスをしようが

寛大だったのは 他人事の時

自分が偽善者だと

思い知って 涙ぽロポロ

ピアスの穴から黴菌が入る

推薦してもらって受験するのに 金髪!?

未練たらしくコソコソ言ったが

娘はへっちゃらだ

「面接で髪の毛見て 私の中身見ないような学校なら

私の方がお断りだよ!」

ええ!?

いつからそんな強気になっちゃったの?

落とされたと思うでしょ?

落ちなかったのよね

ふうん

やっぱり私の周りの人は頭が固いな

世間の人はそんなことないのだな

と発見した気分だった

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長屋

2013-05-04 06:06:23 | 原風景

ナツサンと男鹿人さんの会話から もひとつ

長屋が出てきた

ふうん

福島にも長屋があったんだ!?

私はこれまた落語の世界 江戸下町の貧乏長屋

こういうイメージで

土地の少ない都会専用だと思ってた

考えてみれば この田舎にある市営住宅も

長屋形式だ

私は池袋に住んだのが長屋だった

とても田舎っぽい長屋 土間があるんだもの

何軒つながりだったかは幼稚園児の私 覚えていない

戦後 まだ復興もままならなくて

人々はバラック というのにも住んだ

そういう時代

ちょっと待て  震災地の仮設住宅も長屋だ

寒くて大変だ

暑くて大変だ

そこでの暮らしもストレスが多くて大変だ

傍で考えてもそう思うのに

当事者のご苦労は如何ばかりか

政府はいつまでそういう暮らしをさせる気だ?

お金の使い方が本当に変だよ

普通の人の住まいも今だって長屋と言えば言える

マンションやテラスハウスも集合住宅だもの

集合住宅のコミュニティーって

お江戸の長屋のようなお付き合いや暮らしの知恵も生まれるところだ

従妹の住むマンションでは

震災時は帰宅難民を受け入れた経験から

災害時のいろいろな取り組みを工夫して

マニュアル作りが進んでいる

江東地区にあるから

震災時は みんなで力を合わせねば

という意識も大きい

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お風呂

2013-05-04 05:50:56 | 原風景

ナツサンのところのコメントを読んでいたら

ドラム缶のお風呂で ナツサンと男鹿人さんが共鳴していた

お風呂と言えば

私はドラム缶のお風呂は入ったことがない

でも 里山にはドラム缶があって

武蔵はそれで風呂が入れるぞと喜んでいる

そういう時男はいいなあと思う

若者のときは男の子が寝袋持って野宿の旅に行くと聞いては

やはり男はいいなあと羨ましかったがな

私の子供時代のお風呂は銭湯だよ

東京の貧しい家にはお風呂なんかなくて

銭湯に通う

銭湯に入ったことがない人は

人と一緒にお風呂に入る といのは一大決心のいる

通過儀式 となる繊細な子もいる

(初めての宿泊行事のときね)

銭湯にはいろいろマナーがあって

銭湯で育った人間とそうでない人間では

ちょっとしたことで銭湯人間は あああ

と思うことが温泉でよくある

うちのおばさんなんか シャワーのお湯が

周りに飛び散らないようにしないといけない

といくら言っても

体をきれいにすることの方に熱中するから

ダメだよ

落語にもよくあるけど

銭湯で大勢の人と共有してお風呂を使うマナーを

小うるさく教える

そういう爺婆が必ずいるんだ

あはは お風呂関連の画像 こんなん 出てきた

日本人は

お風呂せっせと入りすぎかもしれないね

お水が豊かなせいかもしれない

お風呂にずっと入らないで

臭くなったり お肌が象のようになったって

平気よね

お父さんの口癖

人間垢じゃあ死にゃしねえ

これ戦地の口癖だったかもね

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田舎で暮らす

2013-05-03 15:36:45 | 原風景

先日主治医と話した

私がもしも

この田舎で最後に残ったら

私はやっていけない

そういったら

先生は東京に帰ってくればいいだろとおっしゃって

私もその気でいた

これまでも

田舎でやっていけなくなったら

おばさんが居ようが武蔵が居ようが

私は勝手に東京に帰る

そう決めていた

でも それは やめた

田舎では私が年老いたらやっていけない

庭の始末もできない

畑もできない

武蔵が整理した里山も

また篠竹の山(ここらで山とは林のことだ)に戻ってしまう

私には管理できない

田舎の付き合いもできない

しかし

そうしたら 東京に帰る というわけにはいかない

東京は故郷ではないのよ

家があろうがなかろうが

そこにはもう幼友達もいないし生活の基盤もない

(別に おさな友達に会いたいとも思わない

会えば懐かしいだろうけれどよ)

交通網も把握できないほど変わってしまって

お店だって なじみのところはどんどんなくなっている

ふるさととなれないのが東京だ。

私は家族三人の中で孤独を感じている

おばさんはここで生え抜きであるという自負があり

武蔵はかつての同級生やら幼友達と

日々畑や道場で楽しくやっている

東京みたいなごみごみしたところは

人間の住むとこじゃないなあ なんて 二人ともほざく!

私だけがここに 他所者としている

といじけてみるが?・・・

(こういうのは よそから来た嫁さんという人はみなそうだよ

男もそうだけれど

男の方が 男尊女卑の田舎では 悲哀を感じる度合いが少ないかも

でもね

このあたりは

信じられない話だが

婿いびり って あるのよ!

だから嫁いびりなんか当たり前だろう

そうしてねじくれた嫁さんが挙句の果て

認知症になって家族を困らせている例があるが

報復か?と思っちゃう)

それは別にさびしいということではないのだ

私の辞書に さびしいというのはないの

一人でいるのが好きなのだから

ずっと流浪の民だったのだよ

だから 今いるそこで 私は自分の好きなものを見つけて

好きなように暮らす それでいいのだ

買い物難民になったら ネットで買う

医者だけタクシーで通う

タクシー代が無くなったら病院に行けないで

病気が悪化するならそれでもいい

どうせ 大昔はそんな医療にかかることはなく逝くのが自然だ

体が動かなくなって 困ったら

介護施設に入れるものなら入ってもいいし

工夫の鬼になって死ぬまで生きればいいのだ

全ての場所は

私にとっては他所であり 

そこで暮らすならそこに自分のテリトリーを作る

利用できるものは何でも利用する!

ああスッキリした!田舎万歳!里山バンザイ!

 

今日やっと肘掛月キャンプ用チェアー買ってきた

腕を空中に置いたまま絵を描けないので

これで里山で 絵を描けるぞ

Coleman(コールマン) アームチェア4 グリーン 170-7684

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われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」

2013-05-03 09:26:08 | 原風景

Woher_kommen_wir_wer_sind_wir_wohin


北国さんがこの絵のことをお書きになった

ゴーギャンって

言いようによっては

原風景を失っては

彷徨い続けた人だわね

その懊悩の末 遺書だったかもしれないこの絵

描いた後の自殺の失敗も

喪われたものを探し求める苦悩からは

逃れられない宿命だったのかもしれないなどと思ってしまう

われわれはどこから来たのか

という問いかけに

宗教観の違うゴーギャンは分からないこともあるけれど・・・

民族のルーツを探るのも似たところがあるかも

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レンゲ畑

2013-05-02 08:50:15 | 原風景

朝から細かく肩をゆすって回して

だんだんほぐれてきた

車運転できそうだ

車で行くのは税金納めよ!む!

原風景 ゆすらうめさんがレンゲ畑を取り上げた

人が取り上げた原風景について

いろいろ思いを巡らせるのが楽しいのよ!

さて レンゲ畑・・・・私がこれを知ったのは

小学校の教科書のなかよ

根粒バクテリアと言うのが働いて肥料になるので

田圃に鋤きこむのだと教わった

全く紙上の知識

小学校の担任の先生の家は調布近くの布田というところで

まだ当時は田舎だったそこらには畑や田圃があったと思うけれど

よく見たこともない

ところが

私が田舎に引っ越してくる前に住んでいた近くに

巾着田というところがあって

昔ながらの農法を行っているところだ。

だから田圃にはレンゲが咲き乱れる

ここは彼岸花で有名で

観光客が山盛りお出でになるが

実は

そのレンゲ畑も見事なものなのだよ

小学校で習ったことがここでは実行されている

とうれしかった

この彼岸花の球根も

有毒植物で有名だけれど

毒を抜き去る知識のあった平安時代に移住してきた

高句麗の人たちが

救荒植物として植えた というふうに聞いたよ

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