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遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

同窓会

2013-05-25 20:02:42 | 原風景

武蔵はこちらに来てから同窓会というのがあったし

同級生というのも多く今も行き来している

武蔵の感じは小中同じ学校に通い

高校はいくつかあるけれど

なんかお互い知った仲

そういう感じ

私の場合 小中は繋がってなかったから

一番長く過ごしたのはクラス替えもない小学校

ということになるけど

そう所属感ってない

一体私の一番の母校って どこだろう?

全然わからない みな通り過ぎた学校だもの

東京には たくさんの学校があって

まあバラバラ っちゃ バラバラ

でも 小中 つながった人は多いとは思う

で 小学校のころ近所に 私立の小学校

国立の小学校に通う子がいた

それは ちょっとかわいそう

地域に遊び仲間がいないのだもの

逆に そういう私立や国立の学校だと

幼稚園から大学まで くっついている場合が多く

特に私立だと その中で 学校生活が賄えちゃう人もいる

これはまた 結構 ムラ社会を形成するみたいよ

生え抜き ってやつ

わたしは そういうものには縁がない

生え抜き というのに縁のないモラトリアム期間

これが私の原風景の特徴かもしれない

本拠地を持たない 庶民だし

やっぱりクラゲだなあ

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 文化財建築で

2013-05-21 14:55:47 | 原風景

1changeimag


花てぼさんの小学校の講堂の写真を見て

羨ましかった

私の生活圏に あんなステキな建物ないわと思った・・・

あったんだな

↑ 元芸大にあった奏楽堂

ここで サミュエルベケットの「ゴドーを待ちながら」見たし

従姉の演奏を聞いたかもしれない

私が若いころは奏楽堂は現役だったのだ

芸大は従姉が通った以外縁もなかったけど

美大の方には先輩や友達もいたし

講習会とかでも通ったし出入りはしていた

で 私がひょんないきさつで 年クッテから 大学生になったころ

巷の学生は 学生運動が吹き荒れていたときで

全国の芸術系学生は集まろう

という平和集会が

ここ奏楽堂であった

何しろ 社会問題意識も薄く いろいろ知識もなかったけど

ひょこひょこ参加した

う~ 素晴らしい集会だった

なんかよくわからないが構成詩の群読があって

ベトナム戦争があったことやその辺は少しは知ってたけれど

中東のことなど

その詩を聞いて初めて知ったことも多かった

自分が若者として世界の若者とつながっていて

戦争を起こそうという輩と対峙している

そういう立場にいる という感じが誇らしかった

今やどうよ 

今や憲法9条を

変えようというあからさまにな策動が臆面もなくなされ

あの地震で壊れた原発の始末も付けられないのに

見通しも立たないのに

原発を輸出しようとしている それって

我 祖国 ? って 何もかもが恥ずかしくって

話にならない

誰がどうであろうと

戦争を起こしたいという顔をしなくても

背後には戦争で儲け

戦争で権力を拡大し

地位を固め 人を支配したい

そういう執念に黒い炎を燃やしている

そういうのが 本当に 悪魔だよ

今 この国は悪魔に魂を売り渡そうとしている

 

古典的建物 で 思い出した

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宗教

2013-05-21 07:27:32 | 原風景

宗教との関わりって

人の成り立ちには深く関係するかもしれない

赤い橋の殺人 とか罪と罰とか 読んで

どのくらい言っている意味が分かるかどうか

わたしには神様が居ないのでわからない

西洋の場合 キリスト教というのは根深いものなのだろうから

そこから出てくるものの考え方にはついていけないところがある

身の回りのクリスチャンたちにも神様が居たのだろうな

キリスト教の神様って絶対者として目のような存在なのだろうか

高校生の時のミッションスクール出身の友人は

罪深い行いに 本気で神様を恐れているようで

おかしかったことを思い出した

大塚先生もクリスチャンだがな結構へっちゃらな

罪深さだが・・・?

もっともうちのおばさんにとって

仏様は ばち を与える存在らしく

転ぶと 私は何も悪いことはしてないのになんでばちが当たるんだ?

と 文句を言う

でも

私の眼には 仏様って なんだか やたら救ってくれる存在に思える

ともかく私があらゆる宗教に背を向けた そういう原風景というのは

まとまりようがない

 

でも 日本人の生活倫理観 って 結構儒教的なものも

多いな

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なつかしい

2013-05-20 21:42:49 | 原風景

流浪の民の東京の庶民の場合

懐かしい風景とか

ふるさとというものはないのだと

しみじみわかった

それでも自分は成り立っているわけで

それはどこで何によってだろう?

考えてみるかな

思う前に

懐かしい

という感じって

どういうときに感じるのだろう

その時代に一気に連れ戻すものって

音楽じゃないか?

生理的にそういうものがある

この歌なんか

絶対歌えない

もう涙涙になってしまう

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食べ物だ!

2013-05-20 06:35:55 | 原風景

おしばなさん のところで仰天お寿司を見た

外国にほとんど行ったことがないから

よくは分からないが

自分が日本人だって

一番感じるのは 水田の風景より

食べ物のような気がする

ものすごく外国を取り入れる日々の暮らしでも

食べ物は日本ナイズして取り入れているというからな

口に合うように変えちゃってるわけだ

食べ物は日本の中では地方によっていろいろ珍しい食べ物があっても

私の場合かなりキャパは大きい 

食べたことがないものもたいていおいしいと感じる

でも外国の食べ物は 摩訶不思議で本心は味覚と視覚を疑うことも多い

きっと反対から見てもそういうことあるんだろうなあ

昔友達のお母さんが

外国に行くときは焼き海苔持ってく

って言ってた

もういい加減外国の食事に辟易したら

トーストに海苔巻いて食べるんだって

ちょっとホッとするって

然し 周りの人々は

何だあれ! 黒い紙を食べてる!

って気持ち悪がるんだって

私の食べ物の原風景 一点選べ

と言われると海苔かも なんせ のりこだもの

000100


毎日食べてる浦安丸茂のページから貰った写真

お米も毎日食べるな

久子さんのお嬢さんや ゆすらうめさんのおじょうさん

えらい

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今年の課題

2013-05-14 06:52:56 | 原風景

この記事は常に冒頭にあります

追加記事は下に続きます

たまたま 8月に原風景展やろうか

等とは言ったものの

皆とは感覚が違って もう気が早く

8月が来たら もう皆忘れていそう

そういう風だった

彩友会8月に出品する作品どうしようか?などと

今からスケッチを重ねて四苦八苦

そんなに早く作品にならないよ

というのが普通と思ったら すぐできちゃうんだ。ブログ友は

然し シュールレアリズムに関するワークショップが始まって

わたしとしては 原風景 をキーワードに

今年1年 いろいろ関連付けて考えてみたいと思って

この古いブログ帳を2013年度 暫定 原風景帳にすることにした

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朝鮮半島のこと

2013-05-13 20:18:27 | 原風景

今年に入ってから

かなり朝鮮半島のことを

日本のルーツと絡めて考えた

それまでは

ま 朝鮮半島は 他所でしかなく

友だちや 生徒や そういう自分につながる人たちの苦悩に触れても

いわば 他人事だったが

さあ

今や領土問題などで 煽られて新大久保あたりのヘイトデモの話を聞いたりしても

ひどくやるせない

朝鮮半島を自分の原風景と絡めて考える

そういう授業は必要だよなあ

と思い

ブログ界で 山里教授に出会えたのは 感謝だった

原風景 とくると私には田舎がない というコンプレックスがあって

余計に考えたくなるのだろう

まして

今や田舎の住人だもの

都会の子だったころは田舎の人はかたくなな人に見えた

その世界には入りにくい

そういう思い込みはあった

父は戦地で食物のことで田舎出身の兵隊さんとの暮らし

そこで相いれない食習慣に 自分基準の苦情をよく語っていた

母方の叔母は田舎にお嫁に行ったが

逃げ帰ってきた

わたしは 田舎に対する偏見を持って育った

と言える

これはなぜか

都会人は多くが田舎を捨てて都会に出てきた人の裔だからだ

原風景は捨てて出てきた

農家は相続するもの以外は冷や飯食いだもの

仕事のある都会に出てきたんだよ

同じように 朝鮮半島から来た人たち

(うんと古代の話)

これも 故郷は捨てて出てきた

そういう人々の裔がわれらなわけだ

もっと近いところだと

もっとはっきりわかってたりする

友人の医師は鎌倉時代に朝鮮から来た

もともと半島でも医者だった人だ

それは 家族の歴史として語り継がれている

もっと近くでは日本が植民地にしてしまった

強制的に日本に連れてきた

そういう経緯の人たちもいる

また それも家族の中では語り継がれている歴史があるはずだ

田舎に来てみると

東京にいる時よりは

そういう古いつながりの話が残っている

かたくなに見える風習のなかにもそれもある

東京というのは そういうものを捨てちゃった人たちの集まりだったか

というのは 田舎にきて 初めて持った視点だ

だから 原風景というのは 都会にいるより

田舎にいるほうが見えてくる風景

って何も 田園風景というだけではないのだ

ここから一番最寄駅は「黒子駅」だ

大昔 黒い人が海からやってきて開いた土地

という言い伝えがある

黒い人って ええ!?南の島から来たのかなあ?

先代の黒子駅

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 川向う

2013-05-10 06:41:45 | 原風景

川向うって放送禁止用語なのよね

その経緯についてはもう今じゃ 歴史のごみに埋もれているだろうが

これを差別的に使った人を一人だけ知ってる

父が夫婦喧嘩のなかで母を川向うの育ち

と言ったのだ(だから幼児のまえでうっかりものを言ってはいけない)

これは 父が若者時代浅草に下宿したからでもある

浅草の人は自分の方がえらそうに そういう風潮があったらしい

(下町というと本所深川は川向うでも下町に入るという説が多い

寅さんの葛飾柴又は 諸説ある)

父は自分の生まれた横浜が一番都会的だと思って

自分はシティ・ボーイだったと思ってた風があった

(そういうところが実にくだらない と子供心に親をなめてたよ)

後に私も川向うの生まれ

深川住吉で生まれたと知ることになる

戦争の真っただ中 私をおなかに宿したせいで

母は病気になり 寝たきりで

運よくお産婆さんが裏に住んでいて産前産後 面倒を見てもらったそうだ

(母は親がなく伯父の家で育ってそこのおばさんとは折り合いが悪く

実の姉は富山にお嫁に行っちゃって頼る人もなかったのだ)

 

その深川に母の妹がいた(母は12人きょうだいで両親が早くに亡くなって

バラバラに育った その妹という人は養女に行って 戦後10年にして

初めて姉妹の対面をした)

その私から見ると叔母さん(今も千葉で健在)が群馬にお嫁に行って

深川にいた養母が病気で入院 

養父にあたるおじいさんが一人で暮らさねばならなくなって

叔母さんが心配して

わたしにその家から高校に通って

おじいさんのご飯作ってあげて

ということになった

で どのくらい一緒に暮らしただろうか?

ちょっと待てよ 私 その時ご飯作ったんだ!

すごいな 家ではご飯作ったことなんかないよ

おじいさんは日課でよくお散歩に歩いた

わたしも歩いた

しまいにはおじいさんは一人歩かせて心配ないので

わたしは私の散歩

界隈を探検した

小名木川にかかる高橋とか

きれいな清洲橋とかがあるあたり

この橋は関東大震災の後の復興事業で作られたのだよ

だから 母よりちょっとだけ若い

ほとんど同い年の橋だ

上の写真は竣工当時のもの

その家には下宿がついていて

夜間高校に通う同い年の女の子がいた

すごくしっかりとした賢い女の子で

働きながら高校に通う 自活してる

すごい人と知り合ったことになる

お部屋に入り込んで色々おしゃべりもした

その深川界隈は小説にもよく出てくるし

現代美術館の近くでもある

↓ 深川めし

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青春時代の終わり

2013-05-10 05:42:16 | 原風景

私の青春時代の匂いがする場所は

御茶ノ水界隈神保町界隈だと思っているけれど

ここらあたりとか・・・・

青春時代って なんだろうね

わたしにとっては自我に目覚めてから自立するまで

人生のモラトリアム期間かな?

大人になるのが遅かったのかな

(まだ大人じゃないんじゃないかと言われれば一言もない)

年齢でいうと

小学校高学年から20代前半ぐらいだと思うのだ

それを懐かしいとか楽しかったということもできるけれど

この青春時代の始まった瞬間

終わった瞬間

これははっきり覚えがある気がする

始まったのは

自分を他人の目で意識した瞬間

一瞬で世界が転換した感じがした

自分は変わったのに人はそれに気が付いてない

そういうものなのかと思い知ったのも仰天だった

 

終わったのは

生きていくためには自力で社会の中に役割を持って

生活できないと何も始まらない

と身をもった悟った(当たり前のことだって悟るのは大変だったのよ

私の場合)

誰かが食べさせてくれるわけでもなく

財産があるわけでもなく

思えばピンチの時に手を貸してくれて人々が居なければ

ホームレスになるのは必至だったわけで

それは今の若者も同じだろうけど・・・・

そのおよそ15年くらいの青春時代という

猶予期間があってそこで獲得した無形の武器を持って

世の中を泳ぎだしたんだと思う

こういう青春時代というか

箸にも棒にもかからない時期を持たなかったのが

わたしより10年以上上の世代のように思う

もう いきなり食うために 何でもやる中で青春時代が始まった

うちのおばさんなんかもそうだし

久子さんも女学校1年生でいきなりだったわけだ

そういう人から見ると

15年もモラトリアムという青春時代?

甘ったれ!と言われちゃうけれど

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なんのことかお分かりにならない方のために

2013-05-08 16:04:15 | 原風景

↑ おしばなさんの真似して 画像変えてみた

でもすぐ戻っちゃう なんで?

ここの所

わけのわからない記事だなあ?と

お思いの方がいらっしゃると思います

(あは いつもわけわかんないこと書いてるけれど)

実はこのブログで 同じテーマで

わいわいやることがたまにあります

誰かが面白いことを言い出すと

のっかって同じテーマでわいわい

私が知る範囲で初めてが

悪魔の辞典 言いだしっぺは男鹿人さん

(ちょっと珍しい写真が載ってる 行ってみな!

ああ いいなああ アンなん見たんだ)

この人はコメント欄も設けない

シャイなフリしている人だけど

なんか 人気者なんだよね

それで

悪魔の辞典は

多くの方が わたしも!

別バージョンを発表したりした

この時私の場合 説明が不十分で 不評を買って

色々苦情が来たので参加は取りやめた。

また同じ轍を踏むかと思い

説明を始めるのです

次は 山里さんの古代史かな?

これは ほとんどコメント欄での会話の盛り上がりが

ゼミ状態だった

で また男鹿人さんが原風景ってのを載せた

http://kmitoh2.blogzine.jp/kmitoh2/2013/04/post_884a.html

それで

みんなも原風景ってあるんじゃない?原風景って作品を作りあって

8月に展覧会やろう

と 私が調子に乗って提案した

会場提供するわ!って

それで 8月までみんな 案を練るのかなあ

と思ったら気が早い早い

ドンドン作るんだもん

で 今 その開店準備中のギャラリーに12人看板が出た

って 勝手に参考のためにって載せた人もいる

だいたい 言いだしっぺの男鹿人さんには

大分後で 報告した

Gen


この人たちはお互いに知っている人もいるし

知らない人もいる

7人くらいは ま常連 という感じ

だから 記事の中に 古い話が出てきたりして

新しいお客様には訳が分からなかったりする

すみません

それで

このところの 騒ぎは

正真正銘の美少女令夫人怜歌人優介護人のPさんを

あろうことか

自己イメージとはかけ離れて描き

それで食らった ○○ に

でも 女に疎いふりをしている画家は

傷ついた(フリ)もしたり

まあ  お互い 面識もないのに 見当がついたり

見当違いをしたりという話の展開になったというわけです

分からない話を

仲間内で声高に喋って すみませんでした

しか~~~し

変な 仲間!

混ぜてという人は歓迎です

8月の原風景展に ご参加ください

要綱は ↓

http://yuukoubosss.fiw-web.net/gallery/gen.HTML

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