有志舎の日々

社長の永滝稔が、 日々の仕事や出版・学問などに関して思ったことを好き勝手に 書いていきます。

太平洋の島々から考える「戦後70年」

2015-08-02 13:35:42 | 政治・社会
『現代思想』8月号「特集 戦後70年」を読んでいます。
まだ全部読んだたわけではありませんが、私にとって示唆深かったのは以下の2つの論考です。

石原俊さん「解除されない強制疎開-「戦後70年」の硫黄島旧島民-」
竹峰誠一郎さん「「戦後70年」マーシャル諸島から見つめて-浮かび上がる「安全保障」の逆説と幻想-」

硫黄島もマーシャル諸島も、共に太平洋戦争末期の激戦地ですが、戦争以前からそこに生きる島民がきちんといて、生活を営んでいたことに私たちの目は届いていなかったのではないか。
マーシャル諸島には、もちろん近代以前から現地住民がいて第一次大戦後に日本主管の国際連盟信託統治となったあとも日本人が移住しただけでなく、朝鮮人も徴用され移住させられていました。そして、硫黄島も19世紀末には農業を中心とした生業があり、住民がいて「社会」がきちんと存在していました。
私たちはともすると硫黄島は軍事要塞の島であって住民などいなかったように思ってしまいがちですが、そうではなく、軍事要塞化のために元々いた住民の殆どが他の小笠原諸島や本土に強制疎開させられ、103人の島民は徴用によって硫黄島戦という戦場に叩き込まれた(そして93名が死亡)という事実はあまり知られていないのではないでしょうか。
つまり、元々あった島社会は、軍事化と戦争によって崩壊させられたのです。
そればかりでなく、硫黄島は戦後も米軍統治・自衛隊基地化によって一時帰島以外で住民の帰還は許されず、いまも基地の島であるということ。そして、マーシャル諸島も戦後は米軍の核実験場となり多くの住民が故郷から引きはがされただけでなく、多くの人が核実験によって被曝し深刻な健康被害を受けました。
つまり、第二次世界大戦末期から冷戦そして現代という「戦時・戦後72年」は、硫黄島・マーシャル諸島の住民にとってはずっと「戦時」であり続けているということです。
私を含めた日本本土の住民はそれを視野の外において、アメリカの「核の傘」の元での平和を享受し続けてきたという事実に今こそ向き合わないといけないのだと思います。
日米安保の元で安全が保障された日本本土と、それによって住民の安全が壊された硫黄島・マーシャル諸島(そして、沖縄)。
安倍政権が言う、「みんなの暮らしを守るための安全保障」などというものは存在しないという事を、これらの島々の現代史は証明しています。
ご一読をお薦めします。

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