有志舎の日々

社長の永滝稔が、 日々の仕事や出版・学問などに関して思ったことを好き勝手に 書いていきます。

慰安婦問題で歴史学の16団体が声明

2015-05-26 18:28:11 | 学問
普段はこういう目立つことをしない歴史家たちが堪忍袋の緒が切れて遂に起ち上がった、と言えるのではないでしょうか。
声明内容は余りにまともな事ながら、こういうまともな事がこれまで大手メディアやネットにおいては軽視されていた以上、こういう16団体にものぼるまともな歴史学関係団体の声明には大きな意味があると思います。
もちろん、歴史学専門書出版社たる有志舎と永滝稔は全面的にこの声明を支持します。
記者会見で、「声明には数千人の歴史研究者の意志が反映されている」と言い切った久保亨さん(歴史学研究会会長)の言葉は、歴史学という学問に誠実に関わっているすべての人の声であり、これを機に是非とも世間の人々はまともな歴史書を選んで読んでいって欲しいと思います。
とはいえ、一見実証的に見えながら、結局は排外的な言辞を弄しているだけの本があまりに多すぎますので、何を読めばよいのかを知らせていくような出版社の努力もこの声明に連動させて実行していくことが必要なのではないかと思った次第です。
http://www.torekiken.org/trk/blog/oshirase/20150525.html

こんな歴史理解しかできてない人がマイクロソフト社シンガポール・シニアマネジャーって・・・

2015-05-22 12:19:31 | 学問
以下のリンク記事、浅はかで通俗的な歴史理解しかしていない銭ゲバ新自由主義者が、歴史を引き合いに出して現代を語ると、いかにひどい言説になるかという典型です。
『週刊ダイヤモンド』を読んでいる経営者って、こういう話に感心しているのだろうか? だとしたら、そんな経営者って大丈夫なのでしょうか。
何が「松陰先生」だ。あんな排外主義者の創った塾だから、結局はテロリストと侵略主義者しか輩出しなかったんだろうが!
こういうことを言ってる人が、マイクロソフト社のシンガポール・シニアマネジャーをやってるって? 大丈夫か、マイクロソフト?
こういう悪質な歴史理解を世間に蔓延させないように、歴史研究者と歴史書出版社は頑張らないといけませんね。
http://diamond.jp/articles/-/71941

デマゴーグの去ったあとに

2015-05-20 15:43:18 | 政治・社会
以下は、大阪都構想をめぐる住民投票に関して、実に的をついていると思うコメント。
http://katuragi-jcpgiin.net/Blog01/archives/11154

橋本徹と維新の党は、端的にデマゴーグなのでしょう。そういうデマゴーグが流すデマ・ウソに、無骨かつ真面目に対抗した反対派。後者が勝って本当によかった。
在日特権を叫ぶヘイトスピーチの連中も、辺野古を普天間の代替だと未だに言い続けている政治家たちも、すべてウソを垂れ流しているわけですが、それらにもいちいち真面目に対抗して正々堂々と打ち破ること。その勇気をもらいました。
それにしても、橋本徹という人は、「改革派」などではなく単なる「デマゴーグ」にすぎなかった。しかし、そのデマゴーグが去ったあとには、住民の分断という大きな傷が残ってしまった。これって、全くマッカーシズムと同じなのでは?

あ、まだ去っていないんだった。12月まで市長のままだそうで。ふう・・・・・・。

「歴史修正主義」のなかのデジャヴ

2015-05-12 16:01:08 | 出版
『別冊正論 総復習「日韓併合」』(産経新聞社)というムックが刊行されてました。
有志舎は、近現代の日本と朝鮮に関する学術書をいくつも出している関係上、「こういったものも、内容は不愉快であっても一応目を通しておかないといけないか」と思い、我慢して購入、いま読んでいます。
まだ、全部読んでいませんが、大体の論調・方向性は以下のようにまとめられるということが言えますね。

1.韓国人は「日本人は間違った歴史認識を持っている」と非難するが、そもそも「正しい歴史認識」など存在しない。
2.19世紀~20世紀初頭の朝鮮社会は遅れていて野蛮で(論者によってはその身体刑への苛烈さから「古代社会だった」とさえ言っている)、反人権的な社会であった。その朝鮮社会に近代的人権意識をもたらしたのが日本である。
3.日本が朝鮮に近代的な教育やインフラ導入をしたことで、朝鮮社会は野蛮な状態からテイクオフし、近代化することができた。そして近代的な知識を持った教育者・技術者・ジャーナリストなども輩出し、生活改善・民度上昇が行われた。したがって、欧米の植民地支配は搾取を目的にしたものだったが、日本とその植民地とは「国家発展のパートナー」であった。
4.植民地支配は苛烈なものではなく、逆に新しい知識人やモダンガールのような新世代を生み出した。また、李光珠のように、積極的に日本による近代化に協力した朝鮮人もいて抑圧だけされていたのではない。
5.従軍慰安婦などになった女性は、朝鮮社会における前近代的な家父長制の犠牲者であり、日本の責任ではない。
6.戦時動員は、戦時下において日本人も朝鮮人も等しく動員されたのであって朝鮮人だけが強制されたのではない。

という感じで、要は笑っちゃうほど典型的な「相対主義」と「近代化論」のオンパレードです。加えて、「前近代=遅れた社会=克服すべき野蛮状態」「近代=達成すべき明るい目標」と単純に考えていて、これではまるで昔の「講座派」理論じゃありませんか。ものすごいデジャヴです。
でも、これを本気で「新しい」歴史だと信じているんだから始末が悪い。結局、かつて柳田国男が言ったように、過去から現在へという歴史の流れを横倒しにして、「ここは発展している」「ここは野蛮だ」とレッテル貼りをしているだけで、個々の地域にある独自の「野性の論理」を見いだす努力を最初から放棄しており、さらには逆に「近代の中にある野蛮」というものにも全く目がいっていないのには驚かされます。
もっともかつての硬直した共産主義者くずれが歴史修正主義者に転向している例はいっぱいあるので、結局は発展段階論という、同じ思考様式から脱せないんですかね。
それに、常に「日本は朝鮮に○○をしてあげた」という記述ばかりで、一体、この利他主義の押し売りは何なのでしょう。気持ちが悪い。百歩譲って、良い事をしてあげたように見えても、「タダほど高いものはない」わけで、「愛の名のもとの支配」ほど巧妙でいやらしく、悪質なものはないということに気づくべきなのでは?
でも、こういう人たちにいくら言っても認めないんだろうなあ・・・。

天野正子先生が逝去されました

2015-05-08 11:36:21 | 出版
天野正子先生(社会学・ジェンダー学、東京家政学院大学学長・お茶の水女子大学名誉教授)が亡くなられました。
天野先生とは、吉川弘文館勤務時代に『近代社会を生きる』『戦後経験を生きる』という2巻本の編者を、安田常雄先生・大門正克先生と共にお願いしたときに知り合い、有志舎を起ち上げてからも『現代「生活者」論』という単著を出版させていただくなど、お世話になりっぱなしでした。
とても凜としていてカッコイイ方でした。そして、ときどき有志舎に電話をくれては、「学術出版を一人でやっていくのって大変なんでしょ。でも、良い本を出していて、よく頑張っているわね」と励ましてくださいました。
実は先月、ご自宅に呼んでいただき、ご自身最後の仕事として、ここ数年で書いた論文などをまとめて本を出版したいという構想と決意を聞いたばかりでした。そのときには、病いがだいぶ重くなっていてつらそうでしたが、最後まで凜とした姿は健在でした。
本当に、天野先生にはたくさんの事を教えていただきました。とくに「生活者」という視点で政治・社会を考えることの大切さです。「生活者」とは政治家が言うような都合のいい消費者の言い換えではなく、もっと能動的でオルタナティヴなもの、すなわち、ご著書『現代「生活者」論』のオビに入れた言葉でもある、「他人(ひと)まかせにしない、できることは自分で。でも、一人で出来ないことは他者(ひと)と支え合って」という新しい公共性を求めていく生き方だという事。この言葉の射程は「3・11」後の日本社会を貫き、今、まさに重要になってきているのではないでしょうか。
ですから、その生涯の最後に信頼して声を掛けていただいた出版社・編集者として、天野先生の本は必ず実現する決意です。
ご冥福をお祈り申し上げます。