有志舎の日々

社長の永滝稔が、 日々の仕事や出版・学問などに関して思ったことを好き勝手に 書いていきます。

目標募金額をついに突破!(「かよちゃんを救う会」より)

2015-06-27 12:37:29 | 政治・社会
このブログでもお願い、お知らせをさせていただきました「かよちゃんを救う会」から嬉しい報告がありました。

目標募金額をついに突破しました!

ついにやりました!
これで、かよちゃんは心臓移植のために渡米できるそうです。
ご賛同、ご協力をいただいた皆さん、本当に有り難うございました。
これからは、かよちゃんの手術の成功を祈りたいと思います。

日本植民地研究会大会に行きます

2015-06-24 09:54:00 | 販売情報
7月5日(日)に日本植民地研究会大会(於:立教大学)が開催され、有志舎も書籍展示・販売コーナーを開設します。
この研究会には初めて行くのでどれくらいの人数の方が来られるのか分かりませんが、キャリアバックに本を詰めて引っ張って行くので、雨が降らないことを祈るばかりです。
皆さん、ぜひともご来場ください。


企業人によるおかしな大学批判がはびこる件

2015-06-19 15:22:09 | 雑談

「GとかLとか騒ぐ前に、今の日本の大学は何なのか」(城繁幸 : 人事コンサルティング「株式会社Joe's Labo」代表)というこの記事、色々おかしな事が書いてありますね。人材活用会社の人って、どうしてみんな同じような発想しかできないのか。
「社会の変化に対応=正しいこと」という固定観念に呪縛されていることに気づかない。歴史学を勉強していれば、そういう短期の変化は信用出来ないという判断になると思うのですが。
これだから人文学を勉強していない企業人は使えないんですよ(笑)。

まず第一に、世界の変化や企業の雇用形態に応じて大学教育の在り方が変わる必要などないということです。社会がどんなに変わろうとも、数千年もの「知」の蓄積のうえにある高等教育は、そんな短期の変化など歯牙にも掛けず、超然として数千年間伝えられてきた知を教え続ければ良いのです。それが高等教育最大の価値です。ですから、企業が長期雇用から短期雇用に変わったのだから、大学もその変化に合わせるべきだという言説には「そんなの知ったことか!」と言いましょう。
第二に、卒業証書だけ欲しくて勉強したくないという学生に対して、これまで大学が何もしてこなかった(そういう学生を落第もさせずに卒業させ続けた)のだとすれば、それはそれで、大学は見事に顧客のニーズ(勉強したくないけど、卒業したい)に応えてきたわけで、企業人は大学を礼賛しないといけないでしょう(「見事な顧客対応!パチパチ」)。今になって、「大学はきちんと学生を教育してしてきたのか」などと良い子ぶっては困ります。
第三に、大学は自分で勉強する所であって、手取り足取り勉強させられる場所ではないという事です。したがって、試験が教科書持ち込み可であろうと持ち込み不可であろうと、必要な教科書は買えば良いし、必要なければ買わなければ良いのです。持ち込み可だから買わないといけないということはないのだから。教科書なんか買わなくても、これまでの自分の勉強と講義内容を書いて来た自分のノートがあれば良い成績がおさめられるならそれで良いわけですし、一方で、買わなくてもいい本であっても、勉強したければ買って勉強するのが大学生だと思います(私はそうしていました)。そもそも、この人は大学で勉強しないのが当たり前みたいな言い方をしていますが、そこが根本的に違いますからね。しつこいですが、大学は自分で勉強する所なのであって、誰かに勉強させられる所ではありませんから。勉強したくないんだったら、大学に来なければ良いのです。


最後に、企業がこれまでの新卒採用で使えない学生ばかりだったので辟易しているのだとしたら、それは採用・面接官の人材採用の眼が節穴だったからであって(体育会系の人間ばかり優先して採用するみたいなアホなことをしていたから)、大学教育が悪かったわけではないでしょう。単に、仕事で使えない(もしくは、使えるようになるまで時間がかかる)レベルの学生しか採用できなかった、人材活用スキルが低い社員しかその企業にはいなかったということなので、経営者はそういう採用担当者にこそ厳しい処分を下さないといけないのに、それを大学に責任転嫁をするとは卑怯千万です。
私はこれでも、企業の経営者ですから、「企業から見ると・・・」みたいな言い方はやめて欲しいものです。

中国に関する2著

2015-06-15 17:18:48 | 書評・紹介
明治維新史学会の宇和島大会に行ってきました。
東京以外で行われた大会としては、参加者は多かったのではないでしょうか。もっとも、私は一日目にしか行っていないのですが(殆ど、懇親会に参加しに行っただけという感じです)。
また、大会直前に亡くなられた藤田正さんの追悼会の意味合いもあって、感慨深い大会でもありました。私も改めて、藤田さんの朗らかな人柄を思い出しました。
でも、移動時間が長かったので、すっかり疲れてしまいました。昔は半日くらいの移動は何でもなかったのですが、51歳にもなるともうダメですね。
なお、この移動中に『日本と中国、「脱近代」の誘惑』(梶谷懐 著、太田出版)と『殷-中国史最古の王朝-』(落合淳思 著、中公新書)を読みました(前者はだま読了しておりません)。いずれも素晴らしい本です。
前者は、中国と日本における「公と私」に関する認識の異同と民主主義との関係に納得できる議論を展開しており、西洋哲学的な民主主義理解だけでは東アジア世界の近代化・民主主義は語れないことがはっきり分かります。
それから後者は、最新の古代王権論を実証的にきっちり示してあり、マルクスが言ったような「アジア的専制」なるもののフィクション性が明らかにされています。中国古代王権というものは「専制」ではなく、むしろ「民衆の合意を合理的に調達した王権」だったという事には驚きました。つまり、神権政治といわれたものの実態が(卜占が「やらせ」だったという事も含めて)、すべて合理的な民衆統治のシステムだったことを証明していて「目からウロコ」でした。それに、殷王朝の王統が5つの否血縁集団によって順繰りに継承されるものであったということ、これは知りませんでした。王統というと、どうしても親から子へという血縁継承だと思ってしまうのですが、そうではなかったんですね。まあ、日本の天皇制も「万世一系」はフィクションでしょうが、古代史を甲骨文字という同時代資料からきちんと証明できる中国はうらやましい。


出張は疲れましたが、中国に関するこれら2著のお陰で移動の時間の間も充実したものになりました。
http://www.ohtabooks.com/publish/2015/06/06102743.html
http://www.chuko.co.jp/shinsho/2015/01/102303.html

付け加えると、梶谷書にあるように、中国民衆が多数の幸福を実現するため「貪官汚吏」を追放するのに、それより上位の権力者に依願するという心性のルーツは、殷の時代に創られた「天帝に問題解決をお願いする」というものにあるのではないかと思い、両方の本が私の中で架橋されたのでした。さらにこれは、日本の「仁政イデオロギー」との関連性という点でも面白いと思うのです。日本民衆思想史は絶対に東アジアの民衆思想史と連携・比較していかないといけないのではないでしょうか。

ホームページのURLが変更になりました

2015-06-12 14:35:25 | 有志舎について

突然ですが、有志舎のホームページURLが変わりましたので、お知らせ致します。

http://yushisha.sakura.ne.jp/

ご利用のインターネット・ブラウザに「お気に入り」登録をいただいている場合は、上のURLに変えていただきたくお願い致します。


実は、弊社が利用しているプロバイダであるOCNから「ホームページの接続・更新は5月一杯で終了、ホームページのサーバー自体は6月一杯で閉鎖します」という通知をもらっていたのですが、すっかり忘れていて、今日になってホームページを更新しようとしたら接続が出来ず、それで上のことを思い出して、慌てて別のレンタルサーバー業者と契約しました。
そのおかげで、新しいホームページは表示できたのですが、古い情報のままの旧ページもそのまま残ってしまっています。というのは、OCNに接続できないので削除も、「有志舎のホームページは○○に引っ越しました」という表示もできないのです。
このブログをご覧になった方々にはこうしてお知らせできたのですが、見ていない方々にはお伝えできないもので、困っています。
結果的に、6月30日に自動的にOCNが閉鎖になるまで新旧二つの有志舎ホームページが存在することになってしまいますが、お許しを。