「GとかLとか騒ぐ前に、今の日本の大学は何なのか」(城繁幸 : 人事コンサルティング「株式会社Joe's Labo」代表)というこの記事、色々おかしな事が書いてありますね。人材活用会社の人って、どうしてみんな同じような発想しかできないのか。
「社会の変化に対応=正しいこと」という固定観念に呪縛されていることに気づかない。歴史学を勉強していれば、そういう短期の変化は信用出来ないという判断になると思うのですが。
これだから人文学を勉強していない企業人は使えないんですよ(笑)。
まず第一に、世界の変化や企業の雇用形態に応じて大学教育の在り方が変わる必要などないということです。社会がどんなに変わろうとも、数千年もの「知」の蓄積のうえにある高等教育は、そんな短期の変化など歯牙にも掛けず、超然として数千年間伝えられてきた知を教え続ければ良いのです。それが高等教育最大の価値です。ですから、企業が長期雇用から短期雇用に変わったのだから、大学もその変化に合わせるべきだという言説には「そんなの知ったことか!」と言いましょう。
第二に、卒業証書だけ欲しくて勉強したくないという学生に対して、これまで大学が何もしてこなかった(そういう学生を落第もさせずに卒業させ続けた)のだとすれば、それはそれで、大学は見事に顧客のニーズ(勉強したくないけど、卒業したい)に応えてきたわけで、企業人は大学を礼賛しないといけないでしょう(「見事な顧客対応!パチパチ」)。今になって、「大学はきちんと学生を教育してしてきたのか」などと良い子ぶっては困ります。
第三に、大学は自分で勉強する所であって、手取り足取り勉強させられる場所ではないという事です。したがって、試験が教科書持ち込み可であろうと持ち込み不可であろうと、必要な教科書は買えば良いし、必要なければ買わなければ良いのです。持ち込み可だから買わないといけないということはないのだから。教科書なんか買わなくても、これまでの自分の勉強と講義内容を書いて来た自分のノートがあれば良い成績がおさめられるならそれで良いわけですし、一方で、買わなくてもいい本であっても、勉強したければ買って勉強するのが大学生だと思います(私はそうしていました)。そもそも、この人は大学で勉強しないのが当たり前みたいな言い方をしていますが、そこが根本的に違いますからね。しつこいですが、大学は自分で勉強する所なのであって、誰かに勉強させられる所ではありませんから。勉強したくないんだったら、大学に来なければ良いのです。
最後に、企業がこれまでの新卒採用で使えない学生ばかりだったので辟易しているのだとしたら、それは採用・面接官の人材採用の眼が節穴だったからであって(体育会系の人間ばかり優先して採用するみたいなアホなことをしていたから)、大学教育が悪かったわけではないでしょう。単に、仕事で使えない(もしくは、使えるようになるまで時間がかかる)レベルの学生しか採用できなかった、人材活用スキルが低い社員しかその企業にはいなかったということなので、経営者はそういう採用担当者にこそ厳しい処分を下さないといけないのに、それを大学に責任転嫁をするとは卑怯千万です。
私はこれでも、企業の経営者ですから、「企業から見ると・・・」みたいな言い方はやめて欲しいものです。