goo blog サービス終了のお知らせ 

有志舎の日々

社長の永滝稔が、 日々の仕事や出版・学問などに関して思ったことを好き勝手に 書いていきます。

藤野裕子さん・加藤直樹さんの対談トークイベント

2016-04-03 11:30:57 | 出版企画をめぐって
昨日の藤野裕子さん・加藤直樹さんの対談トークイベントは大成功でした。
会場を巻き込んで大いに議論が膨らみました。ご来場いただいた皆様、本当に有り難うございました。
それに、会場である稲生座さん(ライブハウス)が素晴らしかった!
なお、写真はすべて「本が育てる街・高円寺」のスタッフである下石嗣之さんの撮影です。


会場となったライブハウス稲生座


対談スタート


藤野裕子さん


加藤直樹さん


司会の角取明子さん


熱い議論が交わされます


フロアからの質問に耳を傾けます


議論風景をモノクロでも1枚


終了後の懇親会も楽しかった!


ライブハウスなので(?)、司会の角取さんが飛び入りで歌います


懇親会から愼蒼宇さん(法政大学准教授・朝鮮近代史専攻)も参加してくれました


最後になぜか愼さんもステージで歌うはめになり頭をかいてます(笑)

企画のこと

2015-08-28 14:22:50 | 出版企画をめぐって
今日は、新しい出版企画を企画書にまとめました。
前から漠然と考えていたものですが、ここで形にしておこうと昼前から集中して作業し、先ほど完成。企画書と同時に著者への依頼状も準備しました。
有志舎は一人出版社なので、企画会議なんてものはないですから、自分で考えたままで依頼できます。だから、わざわざ企画書にしなくてもいいだろうと思われるかもしれません。でも、私は殆ど企画の依頼の際には、企画書と依頼状をセットにして郵送します。
ただし、相手のメールアドレスしか分からないということもあるのですが、そういう時でも企画書は作って添付ファイルで送ります。
つまり、口約束だけで企画は進めないというのが原則。ただ、原則なので例外はあるかもしれませんが。
なお、飲み屋でまとまった企画も、文書にして後日に著者・編者へ送ります。そうしないと、無かったことになってしまうからです。「企画は会議室で決まるんじゃない、飲み屋で決まるんだ」というのは一面での真実ですが、飲み屋の話だけにしたら企画にはならないので、必ず文書にして著者に示さないといけない。

こういう、「企画は必ず文書にすること」というのは、吉川弘文館時代に上司から教わったやり方で、基本的には今も守っています。それは私が律儀だからではなく、そうしないと後で絶対分からなくなってしまう(私も著者も)からです。いつも、たくさんの企画を同時進行で進めていますので、企画の内容や進行状況を忘れてしまうのです。
だから、企画は必ず文書にまとめ、進行状況も企画ごとに記録をしておきます。
面倒なのですが、これをサボると「これはこの前会った時に聞いたっけ?聞かなかったっけ?」と絶対分からなくなってしまうのです。
つまり、私は私の記憶を信頼していないのです。
とはいえ、年をとるごとに次第に億劫にはなってきています。いつまでこの原則を続けられますか・・・・・・。

若林千代著『ジープと砂塵-米軍占領下沖縄の政治社会と東アジア冷戦 1945~1950-』、再校に進みます

2015-07-30 11:38:23 | 出版企画をめぐって
若林千代さん著『ジープと砂塵-米軍占領下沖縄の政治社会と東アジア冷戦 1945~1950-』の再校校正がほぼ終了。
明日、上京される若林さんにゲラを直接手渡します。
これから1か月かけて著者校正と索引原稿作成を頑張ってもらいます。

私はここ数日、校正をしながら改めてこの本の持つ意味に目を見はらされました。

本書は広い意味での政治史なのですが、単に政治勢力同士の動きだけを静体的に描くことはしません。そこには、固有名詞をもった沖縄の人々が必ず登場してきます。しかも一方で、東アジア冷戦という巨大な国際政治の影響というものが沖縄にどう発現しているのかを視野におさめながら、です。
加えて、この本の視点・スタンスとしてもっとも重要なのは、こういうことです。
沖縄戦後、焼け跡の中で沖縄の人々が米軍政に直面したとき、最初に批判の対象になったのは米軍ではなく戦前・戦時の旧い構造や価値体系であり、そういうものと格闘し克服しようとする中ではじめて、米軍に対する批判や抵抗が登場していったということ。
したがって、沖縄における「民主主義」は沖縄の内面的な問い・内在的は批判をともなって登場したのだという事。
沖縄戦のあとの食うや食わずの中でも、いやそうだったからこそ、「民主」とは何かがきちんと問われたこと。
その経験を持っているから、「沖縄はそう簡単に本土に屈服しないのか」。そう思いました。
ひるがえって、過去への内在的な批判を逃げ続けて来た本土の戦後史を考えるとき、沖縄に見習うべきことがたくさんあると改めて思うのです。

本書は11月上旬~中旬くらいに刊行の予定です。
お楽しみに!

『都市と暴動の民衆史-東京・1905~1923年-』の校正

2015-07-23 16:52:41 | 出版企画をめぐって
今日は朝から6時間殆ど休みなしで校正作業。今、やっと終了。
10月に出す藤野裕子さん(東京女子大)の『都市と暴動の民衆史-東京・1905~1923年-』の初校アカ字と再校との照合でした。余りに修正が多いのでこんなに時間がかかってしまった。疲れた・・・・・・。
でも、彼女は今までの歴史研究に堂々とケンカを売っているので、その心意気に免じて許してあげることにしました。松尾尊兌・宮地正人・牧原憲夫・安丸良夫・安田浩・林宥一といったベテラン研究者であっても容赦なく撫で斬りであります。
それに、現代的視点からも興味深く、国会前で荒ぶる若者たちと100年前の暴徒化した若者たち、そして、現代企業から使い捨てにされる派遣労働者の怒りと100年前にいいように使い捨てられていた「日雇い」労働者たちの怒り、完全に同じではないですが、ダブる部分も大いにあって戦慄しました。
日比谷焼打事件から関東大震災での朝鮮人虐殺に至るまで、そこに通底するデモクラシーと暴力の問題に歴史学から迫る傑作になると思います。
ご期待ください。
定価3800円(税別)の予定。

有志舎 この秋の出版予定

2015-07-08 14:10:28 | 出版企画をめぐって
有志舎の出版情報です。

 この9月に出版する、清水美里さん(早稲田大学ほか非常勤講師)の著書『帝国日本の「開発」と植民地台湾―台湾の嘉南大シュウ(※特殊な漢字なのでフォントが無く、表記できません)と日月潭発電所―』の装幀に使う写真がようやく決定、著者校正も再校まで進んでおり、予定通り刊行できそうでホッとしています。
この本は、植民地台湾の重要な開発事業であった嘉南大シュウという広大な水利設備と日月潭発電所の事例に即して「植民地的開発」とは何かを論じていきます。なかでも最大の特徴は、これまで帝国と植民地の二項対立の中で不可視化されてきた、台湾現地社会の論理とそこに生きる人びとの営為を掘り起こしながら、帝国と植民地を貫く重層的な権力構造や官/民に対置され得ない台湾人・在台日本人の関係を立体的に浮かび上がらせたところです。単純な経済史というジャンルに収まらず、ある意味で民衆史でもあり、もちろん植民地研究でもありというユニークな研究。植民地台湾研究で有名な駒込武さん(京都大学)イチオシの若手研究者による力作ですので、ご期待ください。

 それに続くのは、藤野裕子さん(東京女子大学)の『都市と暴動の民衆史-東京・1905~1923年-』です。これまた民衆史とジェンダー史(男性史)を書き替える野心作です。特に最後のところで関東大震災時の朝鮮人虐殺を取り上げることもあって、こういう「民衆と暴力」の問題は現在の「ヘイト・反ヘイト運動」における暴力の問題とリンクしているように思われて、現代的な意味もある出版になるのではないかと思う次第。それにこの本では「デモクラシー」や民衆を理想化しておらず、むしろなぜ民衆運動・民衆騒擾はファシズムという暴力へと道を譲っていったのかを問題にしているので、いずれにしても賛否両論、色々な評価が出るだろうなー。10月の刊行予定ですが、残念ながら日本史研究会大会(10/10~10/11)には間に合いそうにありません。10月下旬刊行の予定です。

 また、それとほぼ同じくらいの出版時期かと思いますが、若林千代さん(沖縄大学)の『ジープと砂塵―米軍占領下沖縄の政治社会と東アジア冷戦 1945-1950―』が刊行になります。これは戦後沖縄の原点を国際政治と沖縄政治社会の両方から分析していく作品。戦後沖縄は、まず東アジアの冷戦体制との関係から見ていかないと何も分からないし、同時に、ときには米軍の権力・暴力に必死に抗い、ときには屈従しながらもノラリクラリといなしたり、逆にその権力を利用したりしながら必死に生き延びてきた沖縄の人びとの生き様というものにも注目していかないといけないという事を痛感させてくれます。
このように、この秋は次々と自信作が出版出来ますので、どうか皆さんお楽しみに!