今日も
10時3分ころ 大きな地震がありましたね
毎日のように 揺れているので
少々のことでは驚かなくなっているのですが
あ!って思わず声をあげてしまいました
震災から 10日が経ちました
今まで パソコンを開く気になれませんでした
お見舞いを云ったり 義援金を出したりするぐらいでは
私の気持が済まないからです
何をすれば気が済むのかしら
あの日から
シャワーは2日に一度(夫は仕事があるので毎日)
下着だけは 毎日とり換えています
万が一の時 取り換えることができなくなるかもしれないと思って
暗いところが大嫌いな私ですが
節電しています
買い物は 昨日初めてしました
家にあるもので間に合わせるようにして
買いだめなんて一度も考えませんでした
生協もお休みになってしまったのですが
自分たちだけが 普段通りに食べようとも思わないし・・・
冷蔵庫の中も 戸棚の中も結構隙間ができて
スッキリして気持がいいです
少しでも 不自由さを共有することが
今のところ一番気の済むことみたいです
気になっていた仙台の娘達は
北海道行きを取りやめることにしたみたいです
予約していたチケットを昨日 キャンセルしたそうです
仙台空港は閉鎖状態なので
山形空港から千歳空港まで行くようになるのですが
私達夫婦は反対でした
乳飲み子と 6歳と4歳の子供を3人つれて
娘が1人で移動するのは 無謀だと思ったからです
娘達は 放射線のことを一番心配していて
できるだけ遠くに行ったほうがいいと思ったみたいなの
それで パパの実家のある旭川に行くことを考えたみたいです
それにしても
交通事情が悪くて 仙台から山形空港まで
タクシーやバスで移動するのは
無理だという結論に達したみたいです
幸い 娘のところは ガスも電気も大丈夫だそうです
幼稚園が一緒で 親しくしている一家も実家に帰られたとか
次々に疎開している人たちが
紙おむつとか食糧品とかを置いていってくれたので
物資も不自由していないようです
山形にも帰らないでいいという娘の気が変わって
山形に来る気になった時のことも考えて
昨日 新潟までガソリンを詰めに行ってきました
電話のむこうで
舞ちゃんや彩ちゃんのキャアキャア騒ぐ声がしています
連絡がつくまで気が気じゃありませんでした
3月11日
14時46分だそうですが
私がメモした時間は14時51分です
すぐに仙台に携帯で電話したのですが
全く通じませんでした
初めて経験するようなものすごい揺れ方でした
ひどい時はじっとしていましたが
揺れる中で 高いところに置いてある
ガラスの飾り物を下ろしたりしました
小皿数枚とスープカップが一個割れただけですみました
暗くなってからでは 踏ん付けたりしたら大変なので
大急ぎで片付けました
ず~と揺れっぱなしです
バカみたいですが 紙のモップで廊下を掃除しました
全部崩れちゃったら 綿ぼこりなんか関係ないのにね
停電になってしまい 外がどうなっているのか全くわかりません
夫は 送別会の予定があって
帰りが遅いことが分かっていましたので
私は2階の寝室で 服を着たまま寝ていることに決めました
寝室は12畳あるのですが
私の寝ている間上には何もないので
どうせ死ぬなら 布団の上がいいな~と もぐっていました
山形の娘から電話があって
懐中電灯を用意しておくように云われました
明るいうちに ご飯を食べておいたほうがいいと思ったので
簡単な夕飯をとり 又ベッドにもぐりました
情報がないのが 一番不安でした
携帯でニュースを見ることができることが分かったのですが
電池がどんどん減っていって・・・
電車も止まってしまったことが分かり
夫は帰ってこれないと思いました
帰ってこないと思っていた夫が
山形の娘の連れ合いさんから 送ってもらって帰ってきました
起きてこないのか?
真っ暗い所で 転んだりしたら大変
私は そのまま眠ってしまいました
22:21
みんな 無事です。そちらは大丈夫?
仙台の娘から短いメール
ほっとして又すぐ寝てしまったみたい
3月12日
朝起きて 夫がラジオに電池を入れたり
登山用のヘッドランプやいろいろ用意しました
区長さんから隣組の人の中に
困っている人がいないか聞いてくるように云われて
16軒回ってきました(組長なので)
その前にも気になる人がいたので
12軒ほどまわってきました
コンビニも閉まっていたので 家にある飴をかき集めて
万が一の時の時のために ポケットにでも入れておいて
そういって置いてきました
携帯の電池がなくなってきたので
充電器を買いにホームセンターヘ
どこも行列で待っているのが嫌なので
車を買ったホンダに頼みに行きました
充電はできたけれども
どこにもつながりません
入院している人の玄関のカギが
地震で開いてしまっているという電話があったので
夫に病院まで乗せていってもらい
鍵を借りてきて 鍵をかけてきました
3月13日
テレビが見られるようになって・・・
あまりのひどさに 元気がなくなってしまいました
町全体を一瞬にして呑みこんでしまう津波の威力に
現実のような気がしないというか
信じられないような気持です
3月14日
家庭電話がつながるようになって
いろいろな方からお電話いただきました
アメリカの友達からも電話がありました
ガソリンがないので 夫は3時間くらい並んで
2000円分いれてもらって(約13リッター) 職場へ
仙台の娘とようやく電話で話ができました
みんな無事なのと
自宅と避難所を行ったり来たりしているとか
3月15日
毎日余震があって
いつも身体が揺れているような感じがします
3月16日
朝から大荒れのお天気
昨夜からの雪も40センチくらい積もっていて
吹雪みたいなので
合間をみて 最後の市報を配って歩きました
夕方 ごみ収集の連絡がはいって
16軒もあるので 回覧板では間に会わないと思い
5軒ほど連絡して 後は 回覧板でお願いしました
離れたところの5軒にも行くつもりで出かけたのですが
雪が深いのと遠いので 夫に頼みました
かなり不満そうだったけど 行ってくれました
ご近所との付き合いも
夫と私の思いには いつもズレがあって
気まずい思いを何度もしています
3月17日
仙台の娘と何度も電話のやりとり
北海道では来て欲しいと思っているし
私達は遠すぎるとう理由で反対で
娘は板挟みになっているみたい
19日の山形空港からの臨時便がとれたとかで
予約をしたみたい
私は娘の判断次第だと思うことにしました
私達には 現場の様子が分からないし
ただ 時間も相当経っているし 疲れてきていると思うと
山形で休ませてあげたい気もするのですが・・・
私たちは 安全なところにいるので
パニックになっていない分
冷静な判断ができるということもあるかもしれませんよね
3月18日
彼岸の入り
すごくいいお天気なのですが
雪はすごいです
鉢に触るとあっという間に崩れそう
外に置いちゃいけない鉢だったみたいね
ブログは 私が死んでも
ず~と見ることができるらしいので
私の場合 日記も兼ねているところがあって
メモのつもりで書きました
被災者の人たちは
生きているだけでも幸せ そう云っています
逆境の中でも 人間は生きるように出来ているんですね
救助隊の人達もそうとう疲れているに違いありません
状況が少しでも良くなることを祈っています
明日が今日よりも少しでもいい日でありますように
またね
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