徳井由美子の音楽活動(アイリッシュ・ハープ、弾き語り/シンガーソングライター)、思い、日々の記録(2014年以降)

神戸出身・大阪在住。クリスチャン、シンガーソングライター、アイリッシュ・ハープ演奏や他活動・思いの記録

”小さくされた者の側に立たれるイエス”版画、炊き出しの列・・

2015-01-25 11:52:45 | 信仰・瞑想・考察

この版画絵、西成区の あいりん地区にある、(正確には、西成署横の、四角公園の真前)「いこい食堂」の中に、かけられている。いこい食堂は、金井愛明さんという牧師さん(永眠後約7年)が始められた、労働者の方のために 炊き出しをしている拠点で、・・自分は最近、ここに月1回(第4金曜)の割合で、活動に参加させてもらっている、つながりがある。

この絵に、年末に気がついて、写真を撮り忘れ、気になって・・・今年1月23日に行った折、やっと撮れたので、掲載している。

この絵の片隅に、製作者の名前と年月なのか、”T.FUKUI 2003.7” とだけ添えられている。先に、FACEBOOKにも投稿したところ、この版画そのものの作成者は、日本キリスト教団大阪東十三教会 斎藤 成二牧師より、”この版画の製作者はうちの教会員であると思う” というコメントがあり、さらには、オリジナルの絵について、

「フィリッツ・アイヘンバーグ(1901年〜1990年・ドイツ系アメリカ人)による作品『炊き出しの列に並ぶイエス』(1953年)だそうで、本田 哲郎氏による著作『釜ヶ崎と福音』(岩波書店)の表紙にも載っている」ということを、後で教えていただいた。(情報提供 永田恵さん~神戸バプテスト教会 による)



以下は、既投稿済みの(FACEBOOK)私の添付文である

”『小さくされた者の側に立たれるイエス』という版画絵です。・・”T.FUKUI 2003.7” (作製者と年月)が添えられています。
この版画は、西成区・あいりん地区の「いこい食堂」の内部に、かけられていて、最初、気づきませんでした。昨年末11月に気がついて、写真に撮り忘れ、今年になってようやくとれました。心打たれたんです
 この絵画で、列に並んでいるのは、当然この地域の、炊き出しに並ぶ、労働者・野宿者の男女の人々でしょう その中央に、(人の目に姿は見えずとも)キリストが、同じ姿で、並んでいます。・・信じない人なら、”なにをそんなバカな?” ”神がいるのなら、目に見えるだろう 見えないものは存在しないのだ” とおっしゃる・・かな? だけど・・今ではキリスト者になった私は、過去の自分の経験上から、キリストが、貧しい者、困った者、もっとも苦しんでいる状況の者と、”こそ共に” 寄り添って存在してくれるのが、よくわかるのです。(事実、十字架の刑の最後まで味わいましたから・人のかわりに) 損も得もかえりみない、神の子イエスが、労働者・野宿者の列に、見えなくても並んでおられるのは、よく理解できます。この絵に、とても敬虔な気配を感じ、尊く思います。”
==============

この日(1月23日)は、天候不順で公園の足元がぬかるんでいたので、いつもの四角公園でなく、配給を 新今宮の近くの あいりん労働センター(といっても、入り口の吹きさらしであるが)で 行った。・・

金井愛明牧師(故) ・・いこい食堂をはじめられた


四角公園、炊き出しの列ができるところです。
 

いこい食堂 正面玄関 (空く前)       おにぎり大を、この鍋4つ分位、200~300個台握る
 


以下は、余計であるが、最近の自分の考えたことである(おまけ・既投稿文)

”・・あの頃は、独身時代、たった1人で生きていたつもりですが、それも神と二人三脚で・・
貧しくて、生活が困窮していても、その中で 得られる、束の間の肉体的な休息とか、質素な最低限の食事とか、睡眠とか、または戸外で吸える空気とか、目に心地よい光とか、また自由とか解放感とか。精神的に完全な安寧と信頼感。それは、”神様と2人きりの貴重なひと時”だったのです。
つい、このごろは生活的に衣食住足りて、その上で、あれこれと人間的な考えで、より高度(えっ?ほんとうに、そうなのか。)な人間的欲求に関する不平・不満を心に満たしがちではないか?ふっとそのことに気づくことがある。
あの頃(物質的に貧しい頃)は、より豊かで満ち足りていた瞬間が、より多くあったことを思い出す。原点に、かえりたい。”・・と思う。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。