1.17 今、神戸市役所南、東遊園地のAM5:20ころです、
2016年1月17日(日) 5:30~18:00
「第21回1.17阪神淡路大震災 ”追悼・連帯・抗議の集い”」
ところ 神戸市役所1・2号館前一帯
プログラムが朝から進行しています。
神戸市役所前ステージ
15:10頃~16:35頃に、ホーリー・ホーシー(アコースティック、ソロ弾き語り)で、出る予定です。 (例年、出演時刻が大きく前後することがあります)
私、ホーリー・ホーシーの出場は、6回目になります。
”復興、未だならず!
一人の被災者も取り残さない!
「借り上げ復興住宅」の「転居強制」を許さない!”
<プログラム>
お焼香 献花 記帳(祭壇) 5:30~18:00
展示コーナー 10:00~16:00
お振る舞い(おぜんざい)13:00~
ステージ 12:00~17:00
<発言>
阪神大震災から21年、 東日本大震災4年10ヶ月 追悼・鎮魂の読経
真宗大谷派僧侶(ネットワーク朋)
主催者、賛同団体のあいさつ
被災者の訴え「東日本と阪神淡路」など
<ステージ~歌・演奏・舞踏>※12~17時 時間詳細未定
浪花の歌う巨人/チョウ・バギ
沖縄民謡と三線/大城敏信
兵庫の歌姫/おーまきちまき&はるまげん
ギター弾き語り/岡本民、ホーリー・ホーシー(=徳井由美子は、15:10~15:35予定、あくまで予定)
浪花の歌い手・バグンヘ
御影真秀とラズライクエアー
エイサーと沖縄民謡/月桃の花歌舞団
<主催>
1・17追悼・連帯・抗議の集い実行委員会
(兵庫県被災者連絡会内)
<実行委員会参加団体>
神戸の冬を支える会/在日韓国民主統一連合兵庫本部/日本基督教団兵庫教区/真宗大谷派(ネットワーク朋)/平和と民主主義をめざす全国交歓会/兵庫県被災者連絡会
2016年1月3日(日)PM16:50~17:20
年明け、最初のライブは、釜ケ崎三角公園(西成区)での、越冬闘争にて。(ホーリー・ホーシー)
年末の人パトロールに続いて、この3日も釜ケ崎講座による、”街歩き”(ガイドつき)に、午後1~3時半まで、がっつり参加したあと・・
三角公園に戻ってきて、のライブでした。この写真を撮ってくれたYamadaさんもですが、あと、知人・友人、牧師が、数名来てくれ、また同じ場所に、声がけ・顔見せは互いに出来なかったが、同時に多くの知り合いが集まってきていたようです。
<動画(全部)> この日のセットリストは、 『希望の灯り』『ひかりのかがやくなかで』『Eternal~永遠の都』「雪の降る街を」「愛の賛歌」「南国土佐を後にして」「見上げてごらん夜の星を」『空の彼方へ』「ふるさと」でした。{※『 』=オリジナル曲です}
{以下の1・2・3・5枚目は、photo by"Milky Way"(K.Yamadaさん) }
(↑ photo by S.N)
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報告、というより、やはり文章を書く暇が惜しいので、写真のみで ・・・ と思ったけれど、少し、最低限だけ、記しておきたい。
2015年12月6日(日) 大阪水上隣保館~ゆりの礼拝堂にて 古楽ユニット Pastime With Good Companyで、アヴェ・マリア コンサート。は、120名ほどの、地元のお客様と、私達がお呼びできた、幾人かの知人に応援してもらって、大好評でした。(動画も、Youtubeにアップしています。 https://www.youtube.com/watch?v=Lb4U1D2pD8U https://www.youtube.com/watch?v=8eJl4yoEPtU )
..ほんとうは、ライブ写真ばかりでなく、ほんとうに、本当に、この山崎の土地で、戦前から大阪水上隣保館が作りあげられてきた人の尽力、愛、そんなものがある事を知って、また、当日、お世話をしてくれた主催側の方々と、朝から夜までご一緒して、最後には、打ち上げ(西村亭)をし、ざっくばらんに、土地の話、いろんな事を話しできたこと。私は、また、ここ、ゆりの礼拝堂で、朝から(日曜)ここに住む、子どもたち200数名のうち、とくに中学生が出席するという、礼拝に参加した。朝は、車ではなく、1人先だって、JRの山崎駅に降り立ち、ここまで徒歩で来た。途中、JR高架下をくぐり、”京都府と大阪府”の府境になるという、小川沿いを歩きながら。自然の道をたどって、ここについた。中学生たちと、幾分か話もしたし、また、毎週、持ち回りで、外部から礼拝のサービス(ボランティア)に来ている、教会、ちょうどこの時は、江坂のライフ・チャーチという教会から、外国人宣教師を含むグループが奉仕に来ていた、ので、礼拝(クリスマスのプレゼントも配られた、中学生達は喜んでいた)が終わったあと、その奉仕などについても、しばらく、話をうかがうこともできた。
また、コンサート終了後に、隣保館から、「懐妊の聖母」の本を贈呈された。何も宗教的な内容ではない。日本の、戦後の社会福祉の在り様、キリスト教と社会奉仕活動の関わりについて、また、このゆりの礼拝堂がなぜここに建てられたのか。マドンナ・デル・バルト(懐妊の聖母)という、中世のピエロ・デル・フランチェスコが、イタリアの片田舎=モンテルキの村の墓教会の内壁に(1465年か)描いた、というその絵の現物を、模写した、野村義照という、日本画家がいたこと。その人の熱意がこの施設に礼拝堂を建立し、ひいては老朽化していた、児童の住む棟の全面改築の実現を果たせた経緯と、そこへ至るまでの多くの分野の人々の様々な生き様の織りなすドラマよりもドラマチックなノンフィクションが、そこに正確に(当事者がお墨付き)記されています。ぜひ、一読をおすすめしたい。
ほんとうは、山崎の自然を撮った写真なども、少しあり、ここに載せたいし、様々な人と話した内容、感じたこともここに書きたいが、今は、次の予定の準備があるので、ここまでにしておく。
写真のみで、まず。
雨にもかかわらず、モンゴルのゲル(住居)、建てて、催し、7~8日と、されてました。私達も、演奏できました。(8日午後3時すぎ~4時半まで)