
木造檜づくり、ゴチック様式、双頭の「清水カトリック教会」は、町のシンボルです。
清水エスパルス・ドリームから西に、巴川の橋を渡り、船越公園通りを行くと左側に(手前に聖母保育園があって、少し見えにくいけど)、双頭の教会が見えてきます。
この教会は、徳川家康の浜御殿の跡地に建てられたものです。キリシタンは迫害され、すぐ近くの入江岡では殉教者が出たと記録されています。そんな地に、キリスト教の教会ができるなど…、不思議なことではないでしょうか?
高台にあり、昔は清水港がよく見える地であったそうです。
第二次世界大戦時の1945年7月7日に、この街は猛爆撃を受け、その後の7月31日には、海からの艦砲射撃を受け、町は壊滅状態になりました。現在の<桜橋駅>の路上から、ぽつんと残った教会がよく見えたと言われています。
焼け残った聖堂には、たくさんのけが人や、行き場を失った市民が押し寄せ、内部の「白い柱が血で染まっていた」と証言した人もいます。
その時には、宣教師と近くに住んでいた宣教師と親しかった医師が、押しかけた怪我人を治療し食べ物を分け与え、「生き残った人がかなりいた」と言う、生き証人もいます。もちろん、生き残った信徒たちも食料を集め調理をして、怪我人たちを看病したといわれていす。
静岡平和資料センターでは、この教会を貴重な<戦跡地>と指名し、子供たちに「平和教育の現場として」見学させています。話だけでは現在の子供たちには理解させにくいことを、現場を見せることで、容易に戦争時を想像させ、戦争の悲惨さを感じさせることができます。
昨年の秋、清水第三中学校の先生が、40人以上の生徒をこの聖堂に連れてきて見学させました。
ぜひともこの聖堂を取り壊さず、残してほしいと言う希望があるのは当然です。
