その後の清水教会聖堂は…
2022年7月31日に、横浜教区建設諮問委員の谷脇師が、カトリック静岡教会に<清水教会の信徒>を集めて「清水聖堂の説明会」が行われた。以前は、教区の建設諮問員会の担当神父は、保久師だったが、いつの間にか谷脇師に変わっていた。
「聖堂は、もし残したいなら<移築>しか方法はない」(鉄骨での見積もりを司教諮問委員会が依頼したKR社からの、鉄骨を内部に入れた耐震方法で、900万円以上もの多額の費用がかかるので)維持はできない」「もしどうしても残したいなら…<移築しかない>とのこと」…と書類が配られた。
信徒との間に質疑応答があり、何人かの聖堂を残したい信徒が、その決定に反論した。その中で私:小畑は、「最も疑問が残るのは、第二バチカン公会議後は、(清水教会)信徒の話し合いを十分したうえで、司教が決めるならわかるが、話し合いが十分とはとても言えないうちに<取り壊し>が決まった。それは教会法に違反するのでは…」との質問に、谷脇師は「確かに、信徒の話し合いが十分にされることが必要だが…」と言った。
集会が終わったので、私が静岡教会聖堂を出ようとしたら、谷脇師が、後ろから私を引き留めた。驚いた私が振り返ると、谷脇師は「話し合いが不十分だった…と言ったが…」と。聖堂の出口を出たところで、私は谷脇師にこれまでのことをかいつまんで話した。谷脇師は、不思議な顔をして私の話を聞いていた。 つまり谷脇師は、清水教会聖堂の過去約7年間のことを知らなかったのようだった。
一人、海辺に立つ人
日本共産党、2022年7月15日、創立100周年!!
日本共産党は、2022年7月15日、創立100周年を迎えた。
心から「よくぞ頑張り続けた、おめでとう!!」と言いたい。
私は、2016年、静岡平和資料センターに「清水教会の聖堂」のことで意見を聞きに行ったことから、そこに来ていた「清水の戦争展」の人の勧めで、「清水の戦争展」のメンバーに入った。私も戦争体験者、親しい人が死に、悲惨な想いをした「太平洋戦争」のことを伝えたいと思っていた
しかし、日本共産党については「暴力革命をする人たち」とか、カトリック信徒の私は「神を信じない人たちだ」等…マイナス面しか知らなかった
実際に「清水の戦争展」で一緒に活動してみると、イメージとは全く違い、学校の先生をしていた人が多かったが、知的で人間的な温かな人たちだった。<日本共産党は、近年、かつての「暴力で革命をする~考え方」を、間違いだと変更した>:(志位委員長宣言)
「清水の戦争展」に入った私は、清水カトリック聖堂が横浜教区長により「取り壊し」の危険がある…と言うと、年一度の「清水戦争展のイベント」に、4年間も展示スペースを割いて「清水教会と関連事項の展示」をさせてくれた。初年には、清水教会信徒から「赤旗に宣伝した」と、猛烈な「抗議電話」があったが、関係者は、それを上手に振り切ってくれた。
展示では「清水カトリック教会が建物ととしての値打ちがあることや、1945年爆撃で焼け野原の中にポツンと残った聖堂が、爆撃で倒れた人たちの施療院になったこと」などを、2020年まで4年間4回も、大きく展示してくれた。
その間、戦争展メンバーの一人一人を見ると、会合の時に、最長老なのにいつも菓子をもって来てくれる人、「平和憲法」を守ろう:イベント(駅前での宣伝、署名活動)に健康状態が悪いのに毎回参加する人、選挙の時には(私から見ると当選はできない…と思われる候補者を(負けを覚悟で)応援し、全ての私的な時間を「選挙運動」に使っている人…その底辺には、貧しい人への応援や想いが、非常に強いことを知りました。
片や、カトリック信徒の我々はどうか?
イエスを伝える聖書には「よきサマリア人(強盗に襲われ半殺しにされ、道路に放置された人を、社会的指導者たち:司祭・レビ人が見て見ぬふりをして立ち去ったが)当時は軽蔑されていた外国人のサマリア人が通りかかり、襲われた人を助けた」の話がある…が、いま現在、イエスを奉じているはずの清水のカトリック教信徒は、全く違う行動をしている。
私たち教会では(神父・信徒委員が先頭に立って)身近に困窮しているコロンビア母子4人家族も、ダルク(アルコール、薬物依存者の施設)にも「支援しなくてよい」どころか「してはいけない」等。「ホームレス支援はフィィッピン人信徒がやっているから、手を出すな」と言っている。
もちろん信徒の一部は、こっそり支援活動をしてはいるが、教会指導者には「白い眼で」見られている。とてもヘンではないか!!
カトリック教会でも10年前頃までは「赤い羽根募金」他、積極的に教会学校の子供たち先生たちが、近くの駅前などで、大きな旗をかかげて積極的に募金活動をしていたのに、なぜやめることにしたのか?
募金をする人たちからは、「カトリック教会の旗があるから、ヘンな人たちではないと、安心です」と言われていた。
イエスの弟子:ペトロたち初代教会からキリストの信徒たちは、貧しい人を自分の資産で(少ない人も)支え、彼らと生活を共にした。(神を信じるかどうかを別にすれば、共産党員の考え方そのものではないか…!)
いま私は、言いたい。イエスの教えに返って、カトリック(横浜教区)でも「良きサマリア人」を…実行するべきではないか…と思う。(もちろん日本の地域によっては、今もやっているが…)
安部元首相と自民党、長期政権の陰
(モリ・カケ・桜の疑惑も、葬られるのか?)
安倍首相が選挙:奈良県の応援演説時に、元自衛官だった人に、狙撃され亡くなった。
狙撃された理由はだんだんわかっては来た。しかし自由な言論を封じられた…という暴挙は許せない。
7月10日の参議院選挙では…自民党が議会の過半数をかなり上回り、圧勝した。15日、岸田総理は、安倍総理の葬儀は「国葬にする」と発表した。国民の税金を使うと言うことだが…それでよいのか? これには大勢の庶民が、疑問を持っている。
安部元首相が歴代最長政権を運営する一方、森友学園加計学園、桜見る会…の疑惑が消えたわけではない。森友学園では、深く関与した職員から「自殺者」も出ている。
安倍元首相の国葬で、その政治を礼賛することになり、事実上の「弔意の強制」と言う内心の自由への侵害であるし、国葬の明確な法的根拠もない。全てを葬り…全てをチャラにするだけではなく、安倍氏を霊賛させる危険があるではないか。
少し影が薄いが「加計学園」は獣医学部とは言うが、実際に何が研究されることになるかわからない、極端な想像ではあるが…「生物化学兵器」が研究開発される危険があるかもしれないと思っている。
東京地検特捜部は、安部氏に関する「森・加計・桜」の疑惑を「不起訴」とし、事実上終結させたが…、その疑惑を全て忘れてはならないと思う。
「清水教会聖堂を残そう]集会の3回目が、2021年4月17日実施されました。
昨年(2020年)9月に「清水教会聖堂は取り壊す」と司教から発表されましたが、その決定の仕方が 一方的で不透明、今でも多くの信徒は全く納得していません 。
集会の一回目は2020年11月21日(土)二回目は2020年12月12日(土)各回の信徒数は20人弱だったのが、三回目は、2021年4月17日(土)に建築学会の学者、日本建築専門家、県知事の顧問、3名の弁護士も加わり(ゲスト6名)信徒40人に近く、関心の高い市民や建築関係者10名くらい、テレビ会社のカメラマン等、総勢50人以上が集まりました。
県知事顧問からは、過去2回と同様に「この聖堂を診て感動したこと、外国にはない木造なのに荘厳な雰囲気があること」、建築専門の学者からは「フランスのノートルダムなど、ヨーロッパの有名聖堂の建築様式が、聖堂外部・内部各所に踏襲され、石でもない全てが日本建築(木造)で作れられていること、小聖堂ではあるが「文化的素晴らしさ」について話された。
日本建築専門家の松永設計からは、30年前から100件位の古民家の移築や、日本建築専門にやっている。5年前に清水教会聖堂の中に入り、天井裏、地下などを見て診断した。建物の美しさ、強さ、耐震性をみたが、素晴らしいものだと診断した。「横浜司教が、鉄骨での耐震補強を見積もった」が、この木造の聖堂は、木造での耐震補強の方が相応しく、しかもコストが非常に安くて済む」ことなどの説明が詳しくされた。
現実的な話だが、木造建築のお寺の内部に沢山の鉄骨を入れて耐震することなど、聞いたことがない:木造で耐震するのが常識ではないか(もし鉄骨を入れるにしても、表面からは見えないようにするだろう:高度な技術をもつ専門家なら、それができるはず)。
つまり、清水教会聖堂がどれほど日本の建築的、文化的、歴史的な価値があるかを、ゲストがデータで詳しく説明された。
3人の弁護士からは、
①清水教会の神父と「聖堂を残したい信徒」が話し合えれば一番良いのだが、それができないと言うのなら、我々弁護士を通して「話し合いができるようにならないか」行政的、教会法的に、どう解釈できるのか研究したい。
②司教は「教会財産の管理者」なのに、適切にやっていない。司教諮問委員会による「補完性の原理原則により…」にも問題がある…と。
後半の質疑で「大地震でドサッと天井が落ちて来るか」には、専門家から「この聖堂の場合は、壁や天井が塊で落ちることはなく、もし地震で天井が大きく揺れ落ちるとしても、パラパラと紙のような薄い木が落ちてくるよ」…と説明があり、すでに知っていた出席者たちが大笑いした一幕もあった。
主催者側としては「聖堂を取り壊す」に賛成の信徒にも来てほしいと、案内状を出したが、司教・神父に忖度する委員で固められた信徒委員たちは「司教・神父様に従うべきだ」とし、信徒たちに「集会に行ってはいけない」などの「妨害があった」こともあり、3回とも一人も「説明集会」に来なかったことは残念でした。