清水女次郎長の想い

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2021年 清水教会の聖堂は残せるか?

2021-01-04 18:49:35 | 清水教会


 コロナの真っ最中ながら…皆さま、新年、おめでとうございます。

 司教に<小教区共同体をすっかり壊された清水教会の信徒>にとっては、この新年が「めでたい」年になるかどうか…?ですが。清水教会聖堂を残したい信徒にとっては、なおのことです。

 私たち横浜教区、清水教会聖堂は司教から昨年秋に、信徒が決められない(?)からと、司教建設顧問委員会により「聖堂取り壊し命令」が出ました。

 このブログを見ている人には繰り返しになりますが、清水教会聖堂は、多くの日本建築専門家から「耐震性が高い、美しい木造建築である」と診断されているもので、県知事の高い評価、日本建築学会からも「優れた建築であり、文化遺産になるものだ」と言われています。

 昨年9月に「聖堂を取り壊す」と決定され、表だって「取り壊し反対です」と言えない信徒が多い中、旧年11月・12月に3回行われた「聖堂関係の集会」に、30人位の信徒は、公の集会に出て来ました。一昨年までは「聖堂を残したい」信徒は70人いたので「聖堂を残したい潜伏信徒」がいることになります。(上の写真は12月の集会風景です)

横浜教区司教は、まだ中世期の「権力者」のままですが、50年以上も前の「第二ヴァチカン公会議」で大きく近代化され、司教の裁治権は実質<信仰と道徳>についてになりました。小教区の聖堂などの建物は教区のものであっても、司教個人の物ではない。長年保険をかけ、修理し管理してきた小教区の信徒のものでもあります。信徒意見の集約なしに、司教がイエスマンを集めた「司教諮問委員会」で決めるのか?

教会に近い公園から見た富士山と清水の港街

 一般の信徒が「教会が近代化されたことを知らない」ことをよいことに「ある時は反対する信徒を(破門にすることを考えている…などと)脅し、ある時にはパワーハラスメントで威嚇し「取り壊しを決めた」司教を…、ヴァチカンやフランチェスコ教皇が知ったら、何と嘆くことだろうか!

 この教区の司教がその程度なら…神父も似ている。この静清地区のある神父は「自分たちは難しい勉強をしてきた、信徒と話す必要はない」と信徒と話したり訪問することもない。故に信徒の生活を知らない。信徒の喜びも苦しみも考えていることも知ろうとしない神父たち。神父の説教にケチをつけるつもりはないが「主日の説教」に説得力がない。イエスとどう結びついた生活をすべきか…結びつけることができていない。神父自身がイエスと結びついていないかもしれないと…思ってしまう。

 プロテスタントの友達が「カトリックさんだけではない、今どきの牧師は…ね」と。しかしプロテスタントの信徒たちは、自分たちの意思・総意で牧師を辞めさせ、交代させることができます。

 カトリックでは信徒たちの総意で「神父を首にすること」ができない。ひとたび神父になれば「神父様」と尊敬され、一生涯生活を保障してもらえる。だからなのか…一般世間で真面に仕事ができない青年が、インターネットでカトリックの神父を志望する人が増えている…と。ここの司教は「インタ-ネットで応募する人がいるから助かる…」と言っている。又、他教区で問題を起こし、その教区にいられなくなった神父を、当教区に受け入れる…それで良いのか?

 信徒は「逸脱したヘンな神父」を訴える権利があるのですが…、それも知らないし、日本のカトリック教会は、信徒に知らせようとしていない。

 信徒の方も「主日のミサに行け良い信徒」と言われて満足している。現に、新興宗教の信徒たちは、市民ボランティアに参加し、一生懸命やっている人が多い。カトリック信徒の多くは近くにホームレスや困窮者がいても気づこうとしない。日曜日のミサ後に「仲良し信徒で、

お茶を飲んで」楽しく過ごして…満足しているように見える。

 それで…日本の教会・信徒は、大丈夫ですか? それでも自分は、イエス様と共にいると思っているのか? 私を含めしっかり反省したい。

 今の日本のカトリック教会(私たち静清地区の教会だけか?)は、若い人たちにも<神を信じることの素晴らしさ、信徒生活の魅力>を感じさせることができていないのではないか? 他教区の信徒の皆様にも聞いてみたい。信徒の皆様は、コロナの中で、どんな活動をしていますか?