清水女次郎長の想い

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徳川の浜御殿跡地に、清水聖堂を建てたフランス人宣教師:ドラエ神父(その1)

2020-05-25 21:06:56 | 清水教会
 ドラエ神父は1884年、フランスの北、ドーバー海峡に近い港町、ブローニュに生まれた。「パリ・ミッション会」という宣教会に入り、日本に来た。当時、パリ・ミッション会は東洋に宣教に行くのが目的で、日本や中国にに出たら2度と故国に帰ることはなかったので、命を懸ける信仰心がないとダメ、故郷でも尊敬された。
 
 ドラエ師が静岡に赴任したのは1914年30才。県西の浜松から東の富士の当たりまで100キロ以上を自転車で宣教した。今なら新幹線あり、車で高速道路なら1時間半~2時間だが、舗装もされていなかった時代の道路を、走りながら宣教したという

 ドラエ師が初めて清水に来た時、人口は3万5千人にもみたないさびれた町村だったが、富士山を眺望する港町の将来性に着目し、教会建設の構想を抱いたと。
 やがて現在、清水教会がある絶景の高台の地、すぐ近くに6人のキリシタン殉教者が出た地でもあるが、港が見える丘の上:徳川浜御殿の跡地を見つけた。時は第一次世界大戦、日本はロシアと開戦し土地が10倍にも急騰、資金不足で、その計画は頓挫した。しかしこの地に聖堂を建てることを諦めることはなかった。

 ドラエ師は静岡を拠点として宣教、郊外の「谷津」と言う所に1920年小さな聖堂を建てた。木造だが非常に美しいもので、「国の文化財」に指定され、毎年、大勢の小、中学生たちが先生と一緒に見学に来ていたと。
 ドラエ師が谷津で宣教した頃のエピソード。知的で優しいドラエ師は、その地の人たちと仲良くなり、キリスト教にも大いに興味を持たれたが、1年たっても信徒になる人がいなかった。ある日、突然ドラエ師が村人たちを前に怒り出した。「あなたたちはキリスト教に興味があるのになぜ勉強しないのか! 毎週勉強しなさい」と未熟な日本語ながらすごい剣幕だったと。仏様のように優しかったドラエ師の剣幕に、驚いた村人たちは毎週勉強して、イエスの教えを信じて洗礼を受けた。その後、その谷津から内野神父が排出、埼玉地方を司牧し、後に浦和教区長(司教)になった。静岡で名だたる<信仰の村>をドラエ師はつくった。

 谷津教会は10年位前に火事に見舞われた。それを知った全国の信徒からお金が送られてきた。信徒たちも資金を出しあって、前のものには及ばなくても聖堂を建てな直したいと思った。が、現管轄責任者の司教が許さなかった。今は庭にマリア像があるだけになっている。高齢化しているがその地には、今も信仰深い信徒がいて、その一人は清水教会にいる。80代の男性だが、その祈る信仰深い姿を見るだけでも、私たち信徒の刺激になっている。
       
 上の写真は、ドラエ師が最初に建てた「谷津教会」 小さいながら、バックの山の景色と共に美しい和建築。その裏手の丘の上には、村の人たちと信徒たちの墓地があり、その中心にドラエ師の少し目立った墓がある。
     <清水聖堂を建てたドラエ師(その2) を後日掲載の」予定>
            

コロナ終焉後の社会の仕組みは? 資本主義社会の終焉? どんな社会が望ましいのか?

2020-05-21 14:08:55 | 清水教会
 コロナ危機状態が解除され、「少しは外に出ることができるか…」とほっとしている。 しかしコロナは本当に終焉するのだろうか? まだまだ不安はぬぐえないし、長くなるのでは・・・とささやかれている。
それで、コロナ終焉後の政治・社会について、素人なりに考えてみたい。

 政治・社会の世界は、庶民とは別だ…などと思わず、今、われわれは庶民なりに、目を覚ましてしっかり考えておく方がよいのではないだろうか?
 コロナで失業したり、仕事が極端に少なくなった人たちに、政府が金を出し、システム支援をする:人はだれでも、生きていく権利があるので、当然なことだ。大手企業は、内部留保を今こそ吐き出して雇用を守り、人々を支援するべきだと、私も思う。

 ところで、コロナ後も、経済中心の成長が続くのだろうか? 素人が考えても・・・、特に経済の回復には時間、年月がかかるだろうし、経済のさらなる成長なんて難しいのではないか。現にコロナで資本主義社会、グローバル社会が打ち砕かれつつあると思う。
 19世紀の中頃からか、資本主義社会が発展し、人が中心というより経済が中心の大きな格差社会になった。20世紀の後半から格差はますますひどくなり、世界の富裕層1%の人が、世界の富の半分以上をもっている…という。このままでは資本主義社会が、私たち人間が、人間とこの地球を破壊してしまう:私たちが生きている
地球世界は、持続可能ではないこともわかってきた。

 資本主義社会はすでに崩壊しつつあると言われている。コロナ災難が終り、時間をかければ、同じ経済体制の社会に戻るのか? ⅠTやロボットが社会を発展させてくれると言うが、全てをロボットがやり、人がやる仕事がなくなれば幸せなのか?
何もしなくてよいことは、人を幸せにはしない。ではどういう社会を作り、意義のある生き方をしていくのか? 政治家にそのビジョンがあるのか?
 すでに崩壊した共産主義社会でもなく、弱い人たちが共生し、皆が幸せな社会をどうき築いていけばよいのか? ものは持たず、定住もせず、格差のなかった平和な、<狩猟生活>に今更戻れるわけでもないし。

 ところでキリスト教、初代の弟子たちは、「ものを持っている人は、持ち寄って分け合い、貧しい人がいない」と言う生活、コミュニティーをつくった。旧約時代には、40年ごとに借財ゼロにする<ヨエルの年>があり、格差をなくしたと言う。
そこまではできなくても、格差なき生き方、格差を最小にする社会の在り方を考えるべきではないだろうか?

 経済専門のある研究者によれば、株主配当にこだわり崩壊しつつあるギャンブル資本主義社会から、配当を目的にしない<生活協同組合的な>フリマや、シェアリング・サービス:仲間でものを回す方法など、生活の方法はありそうだと。 しかし今までの体制で多くの資産を持てた富裕層、資本家たちは抵抗するだろうし、そう簡単ではない。
 ともかく私たちが、現在の「格差超大の社会は異常だ」…と気づくところから、「よりよい社会、より格差のない社会」を見据えて、目指すことができるのではないかと思う。
 ところで日本の現政治家、国のリーダーには失望している。国の仕組みづくりやコロナのような時には、日頃からいろいろな人たちの生活を知るリーダーに、良きリーダーシップを発揮してほしい。が、戦争のない平和な通常時には、強い政治家や、
政治家に限らず、長期に強い権力を持とうとするリーダーは、いらないのではないか。
 10年以上も前、元ソニーの上席常務、天外伺朗氏が、「GNHへ」と言う本に書いている。
ミヒャエル・エンデの「モモ」のような世界がよいのではないだろうかと、私も思う。


検察庁法改正?政府に都合よい検事総長・検事長の定年延長?ダメだよね! 宗教界も危険がある

2020-05-19 20:53:55 | 清水教会
 コロナで大変なのに、なぜ今、検事総長、検事長の定年延長するのか?
 <森、加計、桜>の事件…、文書隠ぺい、偽証も?…全てあいまいにされ、森問題では自殺者も出ているのに無視、安部政権に都合よいことを全て合法的にするのか、一般公務員の定年延長と一緒にされてはヘンだ…と素人でも思う昨今だった。
 国民の反対で5月18日、安部首相は採決を見送った。さらに週刊誌のリークで:賭けマージャン疑惑、黒田検事長が自ら辞職…一寸情けない幕引きに。

 マスコミの報道のおかげでもない。…今回はコロナで、市民がデモもできない中、元検事総長らOBが反対しただけではない、わずか一週間の短期間に、膨大な反対運動がネットでつながったことが大きかった。ネット社会の良い点でもある。
しかし今後とも、またゾロ、政府は都合の良い法案を通したいか? 許さないぞ!

 我々も学習した。多くの反対者がはっきりと声を上げれば、政府も引き下がらざるを得ない。次の選挙が怖いからだ。今回は、当人の不祥事で辞任と、おまけがついたが。 どんな政治、財界、宗教界でも「奢れるものは久しからず」。権力にあるものは、常に下の人々の話に耳傾け、振り返る必要がある。政治は一般人の選挙で決まる、質の悪い政治家が出れば…、私たち市民1人1人のレベルが悪いからだと思う。

 こと変わって、宗教界は恐ろしい。
檀家や信徒の選挙で上層部が決まるのではない。仏教には世襲もあり、キリスト教も、要求された学問や修行をし、上層部が認めれば指導者になる。選挙されたわけではないのに、人の上に立ち、時に「神や仏の代理だ」と思われることもあり、空恐ろしい。
 実はそれらの権威とか権限は、<仏陀やキリストに倣おうとする、檀家や信徒のため>にあるのだが、長くなると錯覚し、檀家や信徒の上にある、自らが権威者であると思い、それを思いのままに使う人がいるし、それができやすいのが宗教界である。檀家や信徒たちにとって、彼らは、<政治家よりも上にあり、反発はしにくい精神世界にいる>からである。 檀家や信徒たち一人一人は、しっかり考える必要がある。
 そもそも宗教界の上層部の人は、仏陀やイエス・キリストを見習うべき人たちだ仏陀やキリストが実際に生きていた時は、権威者とは程遠い、慈しみに満ちた人だったのではないか。もちろん、現在の宗教界の上層部には、仏陀やキリストの再現のような人もいて、混沌とした現代世界の「ともしび」になっている。 片や金にこだわったり、権威・権力にこだわる上層部は、本物ではない。それをしっかり見分ける<檀家や信徒>が必要だと思う。
 でなければ宗教界はますます荒れ果て、その教えとは程遠い、現生の<金や安楽な生活を追求する>だけのものになり、消滅するのではないか。
 いま宗教界でも、檀家や信徒たちが、大きな声を上げる必要があると、私は思う。





 





コロナ災禍、宗教界の役割:カトリック東京教区からの呼びかけに想う

2020-05-16 10:17:22 | 清水教会
 昨日、親しいカトリックの友人から、私が外国人支援をしているのを知っていて、「外国人支援物資を、カトリック東京教区の〇組織から貰えそうだよ」と連絡があった。
 そう言えば、カトリック教会が「宗教法人として財産を所有してよい」と第二ヴァチカン公文書にも書いてあるが、なぜキリスト教会や仏教のお寺が財産をもつのか。
 財産を持つ目的は、1に「弱者を具体的、物質的に助けるため」、 2は、1に賛同し一緒に助けてくれる人を増やすため、 3  キリスト(仏陀)の無償の愛を宣教するため、 4 祈り、集まるための聖堂(寺院)や集会所などをもつため…だ。
 「宗教法人」として税金を免れているのは、その宗教の位階者(カトリックは司教)が個人的に財産を持つため(権利)ではなく、人々の精神的な支援をし、社会的弱者を助け、必要なら物質的な支援をするためではないか。

 コロナで弱者が多出しているこの時に、東京教区の信徒だけではなく、本質的にはどこの教会でも、この清水でも信徒が率先してやるべきことだと思う。
 残念ながら、現今のカトリック清水教会は内部事情があり、それは個人レベルでやるしかないが、いつかは信徒と、その意向を同じにする市民が一緒にできるようになることを…心から願っている。
                              ノラから我が家のお姫様に  
 


日本の「ジャーナリストと報道」の自由と、世界3大宗教「カトリック教会」の信徒について 

2020-05-14 12:43:20 | 清水教会
 政治評論家の孫崎亨氏のコメントから、「日本のジャーナリストの報道の自由」について。 「国境なき記者団の報道の自由度の世界ランキング」で、日本は66位。
トップは北欧諸国、G7ではドイツが11位、カナダが16位、フランスが34位、英国が35位、イタリアが41位、アメリカが45位。アジアでは韓国が42位、台湾が43位。
日本の66位に近い国は、ポーランド62位、アルゼンチン64位で、この2国はかつてメディア弾圧があった国。日本の66位はあまりにも低い。 
 安部首相が首相になってから、記者クラブはフリーランス記者と外国人記者を、差別し続けている。政権を批判すると、その記者はSNS上で攻撃されている。
 報道機関には2種類ある。
1つは、権力に迎合、権力の代弁をし、その権力の一部を担って社会の様々な特典を享受する。
その2は、権力の暴走を厳しく批判する<西側諸国メディア>がある。権力の「アメ」を避け、「ムチ」に耐えて初めてメディアらしい「ウォッチ・ドック」機能が確立する。
日本のメディアは、販売部数こそ多いが、質的に<世界の一流紙>には入らない。

 宗教界で大手の「カトリック教会」について。すでに50年以上も前に「第二ヴァチカン公会議」があり、カトリック教会の近代化が図られているのに、日本の多くの信徒は「ヒエラルキア(位階、権力者)」に意識もなく忖度する人が多いのではないか。「信仰と道徳の問題」でない限り、位階・権力者に盲目的に従うのは、本物の信徒だとは言えない。信徒としての基軸<聖書にあるイエスの言動>に従って考えるべきではないだろうか。
もしも教会側の位階・権力者が「ムチ」をふるっても、それに耐え、イエスを宣言するのでなければ、「本物のキリスト者」とは言えないと、私は思う。