清水女次郎長の想い

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カトリック横浜教区 梅村昌弘司教宛ての「通知書」

2020-06-19 18:17:31 | 清水教会
 カトリック横浜教区 梅村司教様宛の「通知書」について
皆さまは横浜教区の清水教会の「取り壊し」をめぐって、5年位前から信徒と司教との間で問題が起きていることは、すでにいろいろなメディアを通じて、ご存じのことと思います。
 2020年(今年) 4月23日、清水教会の保存を願う有志の一人と代理弁護士2名が梅村司教様宛に、内容証明付きの「通知書」を送りました。
 
 この通知書(文末に全文掲載)は、聖堂保存か取り壊しかをめぐり、信徒間司教、司祭と忌憚なく話し合う機会を求めたものです。しかし回答期限の5月15日が過ぎても、司教側からは何の返答もありませんでした。
 この事態を受け、清水教会のその有志は、この教区側の対応について皆様にお知らせし注意を喚起し、今後の推移を共に見守って頂きたいと願います。
 
 横浜教区梅村司教に手紙を出した人に代わり、私が主催しているブログにその記事を掲載したいと思います。私自身が、清水の美しい<歴史的価値の高い聖堂>の保存を強く願うものの一人です。
 
     
   上左の写真は聖堂内部の脇祭壇        上右の写真は中央部分
 
   下記、清水教会の「聖堂を残そう」有志の一人が、司教様に出した記事をお読みください。
 信徒の〇〇です。上記ご紹介の通り、私は弁護士の助言を戴いて、以下に添付した通りの「通知書」を横浜教区梅村司教様に、内容証明付きで送付しました。しかし、今までの数々の嘆願書、質問状、お願い状などと同様に、今回も期限までに何の応答もなく「またか…」と言う想いです。
 
 受洗依頼60年、私は司教・司祭はキリストの代理人、聖書に書かれた「羊の良き牧者」だと言うことを一度も疑ったことはありませんでした。が今は裏切られた気持ちです。問題は単純で、司教様が「司教顧問会(教区の神父)には誰も聖堂を保存したい人はいない」と私たちに言うだけで、「なぜ取り壊したいか」の説明がないまま、信徒に取り壊しの方針を植え付けようとしていることです。現状は、司教・司祭の権威主義に影響されたために、信徒間の対話が行われない。話し合えば解決することなのに、話し合いがなされないため、こじれてしまっています。
 司教・司祭はこの状態がわかっているのに、なぜ手を差し伸べようとしてくれないのか。責任ある立場の人の誠意ある対応とは、到底思えません。もはや私〇〇個人の胸にしまっておくべきではなく、「ウヤムヤに」すべきことではないと思い、教会内外の心ある人々に聞いて頂きたい…と思うに至りました。
 
 とは言え、私は主観的な正義感と義憤に駆られて、闇雲に教会の権威ある牧者を一般社会に向けて告発しようとするものでは決してありません。この度の清水教会の保存をめぐって教会の中で起きている問題は、司教・司祭の権威主義が、信徒間の対話を妨げていることからきています。
 教会を愛する私の良心は一方では、こんな教会の恥を世間にさらすには忍びない、できれば公にしたくはないという思いで一ぱいです。しかし他方では、その教会を愛する思いが、結果的に教会の浄化を妨げ、教会が社会からの信頼と尊敬を失い、まじめに取り合われる価値のない<時代遅れの遺物>のように切り捨てられる結果を招くことにも耐えられません。
 
 一昨年、清水教会の保存を願う信徒や、保存を願う嘆願書に署名された7,800名の市民の切なる声に耳を傾けず、ひたすら対話を拒否して、司教主導で決定しようとすることは、見過ごすことはできません。
 教会を愛する信徒の一人として、このままではいけないと言う想いに駆られ、不本意ながらあえて声を上げる決心をしました。
 
 このブログの場で、問題を広く世に問い、貴重な聖堂の保存に向けて心ある信徒・市民の世論を喚起したいと願うものです。
 まずは問題の「通知書」(下記)をお読み下さい。 清水教会信徒の〇〇   
              
   左上の写真は祭壇の下(」中央に船の錨)    右は、聖堂後方:彫刻のある小部屋
 
〒231-8652 横浜市中区山手町44
カトリック横浜司教 梅村昌弘司教様
通知書
十 主の平和
 当職は〇〇氏(以下は「通知人」と言います)の代理人として、カトリック横浜教区梅村昌弘司教様に対し、以下の通りご通知いたします。
 さて通知人はかねてより、清水教会の存続を願っているところ、すでに複数回にわたり申し入れた通り、この聖堂を存続するのか、取り壊すのかと言う問題(以下「本問題」と言います)を根本から話し合うため、信徒の開かれた集まりがもたれることを望んでおられます。
 この点、2020年2月23日の清水教会の信徒大会においても、複数の信徒から本問題について質問・言及がなされましたが、司会進行役は全く問題としてとりあげようとせずに強引に大会を閉会してしまいました。また、信徒の一人から主任神父に対しても、本問題について話し合いのため、信徒の集まりを持つよう依頼をしましたが、断られました。
 
 本問題に関してはすでに、2018年12月17日の司教諮問会で、今後は補完性の原理・原則をもって教区が主導権をもって解決にあたるとの決議がなされ、2019年1月29日付決定通知が送付されたことは承知しております。しかしながら、過去に清水教会の信徒間で、聖堂を「なぜ保存したいのか」その場合の「各々の問題点」「費用の比較」等、費用負担をすべき信徒として、確実になされるべき、ごく基本的な議論すらなされておりません。
 かかる状況の中で、教区から一方的に、補完性の原理・原則をもって本問題の解決については教区が判断し(教区の改修費等を実質的に負担することとなる清水教会の)信徒の意向が反映されないと言うのでは、信徒に不信感が生じるのもやむを得ないものと考えます。
 
 本来、補完性の原理・原則は、小教区の信徒がなすべき決定を促し、もしくはフォローするために働くべきものであって、上記のように基本的な議論すらなされないまま、<清水教会では解決できない課題であるとか、力不足により責務や機能を果たせない>などと結論づけられ、議論することすら許されないというのは、信徒として大変遺憾で心苦しいものがあります。
 このまま、信徒と牧者との対話もなく、また信徒たちが話し合うことも禁じられたまま、本問題の解決が図られれば、結論がどうあれ、教会の中で十分な対話がつくされていなかったという事実が、信徒同士の不信感や不和につながるのではないか、懸念されるところです。
 
 つきましては、梅村司教様におかれましては、改めて、信徒の集まりの実現にぜひともご協力をお願い致します。どのような結論になろうとも将来、信徒同士が不信感を持ち合うような関係は避けるべきであり、どうか、信徒たちが自由に話し合い、また、主任神父と心を開いて話し合う場を設定して下さるようお願い致します。
 時期につきましては、世間的な情勢もありますので、ミサが通常に行われるようになり次第、早期にお願いできればと存じます。
 
 なお本件に関するご回答につきましては2020年5月15日(金)までに、〇〇氏本人に対して下さいますようお願い致します。以上のとおりご通知致します。
 令和2年4月23日
 〒424-☓☓静岡市☓☓☓ 電話:054-☓☓ FAX:054-☓☓ 通知人 〇 〇
 
 〒424-☓☓ 静岡市☓~☓ ☓☓ビル☓階
 静岡☓☓法律事務所 電話:054-☓☓-☓☓  FAX: 同 左
 通知人代理弁護士 〇〇 〇     同 上 弁護士 〇〇 〇
 
     
左上は、聖堂内:天井と照明      右上は、聖堂の後側(赤い屋根が美しい) 
 
 以上の件、如何 思われますでしょうか?
 長崎・五島の世界遺産にも比肩、本県ではたった1つ残っている「木造檜造りゴシック建築」の清水教会は、多くの信徒や市民に長く愛されてきた貴重な遺産です。先の世界大戦で奇跡的に空爆と艦砲射撃から護られ、多くの負傷者の避難所になったこの聖堂は、現在も子供たちの平和教育のために現存する数少ない教材として「平和資料センター」、教育界から「保存」が望まれています。
 この聖堂が、密室の中で知らぬ間に闇に葬る決定がなされ、問答無用で取り壊されることがないように、注視し、護り、その保存を実現させて頂きたく、皆さまにもお願い致します。    ブログ管理者:小畑雪江     
 
 
     
 
  
 
 
 
 
 
 
 

84年前、徳川家康:浜御殿の跡地に、清水聖堂を建てたフランス人宣教師:ドラエ神父 (その2)

2020-06-03 18:28:09 | 清水教会
 フランスの北部、港町出身の宣教師ドラエ師は、静岡県に赴任して間もなく、精力的に自転車で宣教したと言うが、最初にその実りを見たのは静岡郊外の谷津よりも早く、1909年に、静岡市から少し西の藤枝市に、小さいながら清水教会聖堂と酷似したステンドグラス、リブヴォールト(こうもり天井)の聖堂を建てた。
 床も清水聖堂同様、中央に通路のある畳床のもの。この聖堂は現在、同じ藤枝の
少し東、岡部町に1978年移築され、隣接の保育園があり、子供と先生たちがこの聖堂で毎日祈っている。

 清水聖堂が建てられたのは1935年だから、藤枝聖堂はその26年も前だが、ドラエ師は藤枝の地に信徒を増やし、さらに発展させるため目立つ「聖堂」という建物で、人々の注目を集めたのであろう。その後の清水聖堂を建立するまでの26年間、「木造の聖堂」についてドラエ師自身、発展的に勉強されたと思われる。
 清水聖堂は、岡部聖堂と内部は似ているが、清水聖堂の柱の装飾、両脇の小祭壇の品格、質的に格段の差がある。清水聖堂は、今、移築することさえ<技術的に難しい>と言われる程、宮大工と船大工が協労して建てたものではないか。檜の一本柱など材質も極めてよいと。現代の和建築の専門家が「精巧な木造建築」だと、高い評価をしている。
 ドラエ師は、岡部と谷津聖堂の建設経験があるとはいえ、石造りのフランスとは違い、木造での「こうもり天井」などには苦労されたであろう、極薄のキョウギのような板を使い、現在の建築士が驚くような作り方をしていると。

 それ以上にドラエ師が苦労したのは、建築費だと言われている。外国人が徳川の浜御殿の跡地を買うことの偏見や苦労があったと思われるが、最初に購入したいと思った時の10倍もの土地の高騰で、普通なら諦めるところをドラエ師は諦めなかった。彼の心に、将来性あるこの清水港の地に「宣教したい」という強い想いがあったからではないか。この聖堂は、静岡市が「責任者の許可さえあれば、即<文化遺産>になります」と言っている。
 清水聖堂を長年大切に使い、祈ってきた信徒の多くは、耐震修理して残したいと思っているが、6年前から「古いので、この聖堂を取り壊して現代風なものにする」と、横浜にいる上の責任者は言い続け、信徒間の話し合いも禁じて許さない組織の上層部と、信徒間にも深い溝ができ、今も、大きな問題になっている
 1980年代の高度成長期の、「何でも壊して新しくするのがよい」という価値観は、今は<ない。横浜在住の責任者が、古いものは修理に金がかかると、やみくもに「この聖堂を取り壊せ」と言うのは、すでに古い価値観だ。

 現聖堂の解体費用も驚くほど高騰し、解体して新しくすれば、驚くほど高額になることも分かってきた。長い年月、信徒の様々な想いのあるこの聖堂について、組織の上が決めるのではなく、使ってきた信徒が<しっかり話し合って決める場>を禁じないでほしい。「この聖堂を残したいのは、年配信徒のノスタルジーだ」と言う、近隣の神父がいるが、そうではない。彼らこそ上級権威者に忖度しているのではないか。
 若い世代も「近年の倉庫のような安っぽい外観の聖堂ではなく祈りの場としての威風堂々としたこ双塔の聖堂を、しっかり耐震修理して残してほしい」と言っている。
この聖堂で市民を集め「宣教したい」と願ったドラエ師は、どう思っているだろうか。

 上の写真は、岡部教会聖堂の外観
 下:岡部聖堂の内部(左)  清水聖堂内部(右)中央部分が岡部と酷似        
    
                   
   

コロナと、これからの子供たちの学校はどう変わるか?

2020-06-01 18:47:38 | 清水教会
 コロナが少しは収まって、公立、私立ともに小・中・高校の子供たちの学校が再開されつつあり、2か月遅れの小学校の入学式をするところもあった。
 9月入学、学期については、早急すぎるということになったようだが、日本の学校制度では私が気になっていることがいくつかある。
 1つは、義務教育後の大学などの教育費用が、他の先進国に比べて高い。大学の費用は欧米に比べると非常に高額であること。
 2つ目は、特に大切な義務教育で、先生の数が少なすぎること。
 3つ目は、基礎研究には金をかけない国になっている

 まず1.の「国の未来は子供たちの質にある」と言いながら、経済的に余裕のある子弟でないと希望しても大学、専門の教育、研究を続けることは厳しく、多時間のアルバイトをしないと続けられない。今回もコロナでアルバイトを奪われた学生たちが、専門学校や大学を続けられない…と言うのは、ヘンではないか。アルバイトに時間を奪われ、肝心な「学ぶ」がおろそかになっている。多額な奨学金で卒業しても、長期間の返済に苦労する、結婚もできないというのもおかしい。フランスなど欧米では、大学にかかる費用は日本の半分以下だ。
 
 その2.深刻なのは、小学校からの義務教育で、先生が圧倒的に不足している。1人の先生が夜の部活まで指導して、あまりに過酷で余裕などないブラック職業だという。 
 コロナで、教室にびっしり詰め込んでの教育ができなくなったのを機会に、せめて義務教育くらいは、先生の数を2倍~3倍以上にしてはどうか? 子供は国の宝。その将来で、世界の中でも活躍してほしい人材を、先進国として一人でも多く育成する必要がある。 
 外国人子供たちの日本語教育、国語・算数などの基礎的な教育も大いに半端。日本人の子供でも、通常のスケジュールについていけない子が多くきて、切り捨てられてしまう。現状では先生が、生徒一人一人に向き合って指導する余裕なんかない。少人数教室なら、一人一人の子供の名前を呼んで、個別に指導育成もできる。 障害を持っている子供にも、先生が大勢いて寄り添える余裕があれば、活躍の場や固有で貴重な生き方がより豊かにできるのではないか。

 その3、日本は基礎研究には金を使わなくなったので、今後ノーベル物理・化学などの賞はとれなくなると言われている。すぐに役に立つものにしか金をかけない。 
 政治家・専門家は「予算:金がない」というが、 価値をどこに置くのか? 
 
 私は静岡に住んでいる。富士山の広い裾野には自衛隊の演習場があり、5月末、米軍との共同演習で、一日ではない:わづかな時間での実弾演習に、3億5千万円位使っている。戦争を想定したオスプレイ、戦闘機やハイテクの軍艦、軍備に多大な金をかけるよりも、現にある、人の命と、少子化で、さほど多くもない子供の教育に、日本はもっとお金をかけるべきだと、素人ながら思う。