清水女次郎長の想い

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コロンビア人・滞在許可がなかったゴンザレス4人の母子家族

2022-04-21 07:32:48 | 日記

「コロンビア人:4人母子家族」に出会い支援した5年半

 シリーズ1:ゴンザレス家族との出会い

 2016年秋、ある晴れた日の昼近く、カトリック教会横の歩道に出てきた私は、自転車3台で来た外国人4人の家族が立っているのを見た。母親らしい女性は小さな女の子を自転車に載せていた。4人は教会を見上げ「ここ、カトリック教会?」と私に聞いた。「そうですよ」と私。「入ってみたいの?」と聞いたらその女性は喜んだ。自転車が置ける場所に案内し、聖堂に入るとその家族は大喜び。小学生らしい男の子は、聖堂の中をぐるぐる回って、指をさして「これはマリアだ」…等と言っていた。

 母親は少し祈った後、日本語がたどたどしいが「男の子に洗礼を受けさせてほしい」と言う意味のことを言った。日曜日のミサが終った後で、まだ主任神父がいたので、そのことを伝えると「毎週、日曜日朝8時にここに来なさい」と。すると母親は意味が分かって「日曜日はサッカー(の練習)があるので、来れない」と言うと、神父様は「それではダメだ」と行ってしまった。私が聞くと「長男はサッカーが好き」毎日練習があるが、「木曜日は(サッカーの)練習がない。勉強できる」と言った。

 その後、教会に近い私の家に寄ってもらい、聞くと、母親はコロンビア人で日本に来て10年以上たっていた。「長男は小学校5年生、長女は小学校4年生、下の女の子はまだ学校に行っていない」「三保に住んでいる」と分かり、住所を聞けた。母親は日本字が書けないが長男が書いてくれた。

 後日、聖堂のことで家庭集会をするために、三保地域の信徒たちを、かつて三保に土地勘のあるT/I さんと一緒に訪ねたので、前に聞いたコロンビア人の家族を訪ねた。

 母親が一番下の女の子と一緒にいたが、私たちを見ると意外や、厳しい顔で「来ないで…」と言い、追い払われてしまった。どうしてかわからなかったが、後日、彼女は「不法滞在者だった」ので日本人を非常に警戒してのことだった。

 その後、又ついでがあったのでその家に行ってみると、やはり母親と女の子がいた。「なにか、欲しいものがあるか?」と聞くと「女の子の服が欲しい」といった。T/Iさんが服を4~5着を買って持って行くと喜んだ。今度は「ポータブルのガスボンベ」を欲しいと言うのですぐに持って行っただんだん信用してくれるようになり、その後も行って話すようになった。

 その家族4人がいたアパートは、6畳一間でベッドが2つ(一つは2階ベッド)、廊下の一角に台を置き、ポータブルガス・コンロで煮炊きし、廊下の奥にトイレがあるようだった。4人家族は、ベッドの隅に腰かけて、食事をしてた。私たちはこの家族が気になり、時々訪ねていた。

もっと驚いたことは、母親は働いていない。他人からの支援で生活していたこと。どうしてか?…母親は、不法滞在者で「日本に滞在してはいけない:働いてはいけない人で、働くと…罰せられる人だった」ことだった。

広めのアパートに引っ越してからの家族

 6畳一間のアパートで、長男が妹たちに気を使いながら着替えをしているのに気づいた私は、部屋数のある所が必要だと…気にしていた矢先に、長男が「敷金・礼金がいらないアパートを見つけた」と言うのでその不動産屋に行ってみた。

不動産屋は、外国人には絶対に貸さないことを知っていたので、私が借主で「コロンビア人の母親は息子の嫁、息子は急死した」と言うことにして2018年9月から2年契約で借りることにした。近くの東海大学の先生たちのアパートだったそうで割りに広い3DKだった。長男は、奥の部屋を自分の部屋にできたので、友だちを呼んでくるようになり非常に喜んだ。

以前から、母親が子供に「カトリックの勉強をさせたい」と知っていたので、引っ越しを機に3人の子供たちに、教会学校の先生を担当していた2人の信徒に快諾してもらい、毎週木曜日の夜、私と3人で家族のアパートに行って「勉強会」を始めた。子供たちは「クリスマスが、イエス・キリストの誕生日」だと知らず「プレゼントを貰える日」だ…と思っていた。

しかしだんだん気づいたことは、子供たちは絵本や紙芝居でも、字づらを読めたが意味を全く理解できないほど、日本語ができていなかった。家では全て、スペイン語で話していた。母親は日本語で挨拶ていどはできるが日本語をほとんど理解していなかった。「日本語を勉強する機会がなかった」と言うが、後日その機会があっても「自分は日本語が話せるから」と勉強しない。私たち支援者と、誤解の元になっていきお互いに苦しんだ。

私たちがにスペイン語を勉強すればよかったが「コロンビアには絶対に帰りたくない、日本に住み続けたい」と言い続けていたので、日本語を分かってもらおうとしたが、誤解続きで、なかなか難しかった。

3人の子供の夫は…どうしたのか? 日本にいるのか? 多くの疑問のある「母子家族」だった。 <次回につづく>