人生旅路

タイトル変えてみました。
青森~茨城~濠州~石垣(沖縄)・・・
次はどこでしょう・・・というかそろそろ落ち着け,私。

地震の記録⑥ 3月13日

2011-03-14 23:08:49 | 徒然

2011年 3月13日 日曜日 未明


何時か忘れたけど、Twitterで知り合った、女川町で医療活動をする人の事を思い出した。

連絡が来ていた。


『自分は原発施設までは行けなかったが、女川町役場の人からの情報で
 原発職員は全員無事でいるとのこと。確定情報ではないですが。』


それだけでも嬉しかった。

弟本人がそこにいるかどうかはまだわからないけど、
どんな形であれ、弟に関する良い情報が聞けると勇気が出る。


朝になったら実家に連絡しよう。

情報集めを続けていると、
何人か原発施設内に避難している人と連絡がとれたという人が出てきた。

方法は衛星電話かPCメール。

4、5年前に弟がホットメールを利用していたことを思い出し、
無駄だと思いながらホットメールのアドレスに送る。

無精な弟だから、十中八九ホットメールの存在を忘れているだろうけれど。


そうしていたら朝10時30分くらいにまた大きめの余震。
あの後からちょくちょくあるけど、慣れない。

心配したのか父からのメールが届く。

『しんど4がでたけど、大丈夫か、たった今、東北電力から、連絡かきて
浦宿の仲間と一緒に避難していることが、確認が、とれたと、
電話があったから、安心したよ。』

どこでどう区切ったらいいのかわかんないいつもの父のメール。

でもびっくりしすぎて返信の文章が思いつかなくて。

とりあえず父に電話をかけた。

 

社員の方が弟の存在を確認したので、父に電話をかけたのだという。

ほっとして涙が出た。

良かったー!

 

そしたら丁度交代時間になったのか、相方から電話が来た。

父からのメールの事を伝えると、また泣けてきた。

 

ほっとしたら、なんかお腹が減ってきた。

そして、笑えるくらい何にも食べていなかったと気づく。

あれから2日目の朝を迎えていたなんて信じられない。

長い長い一日の途中みたい。

 

とりあえず適当に食べ、
心配をかけてしまった同僚や友達や親戚に連絡があったことを伝え、
mixiの方にも、原発職員が無事に施設に避難していると連絡が実家に届いたと伝えた。

ふーって息をついて、頭を垂れたらそのまま寝てしまった。

連絡をし忘れていた友達からのメールで目が覚め、慌てて弟の無事確認を伝えた。

 

ほっとしたらまた涙が出た。
こんなに涙もろかったかい。

今までの中で一番確信が高い情報。

弟は大丈夫!

 


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