タローがゲストです。パーソナリティーは小堀勝啓さん。
生放送かな?
小堀さん「タイガースの完全復活は、ミュージック界の大きな台風の目になりましたね」
タロー「ありがとうございます」から始まりました。
★終わってほしくはないとも思うけど、タイガースも40年ぶりにきちんとできたことがまたいい思い出になったから。自分の人生の中でも大きな思い出になったと思う。
タイガースは京都でみんなでやってた仲間がそのままでやってきて、ビッグネームになって、まだ現役って奇跡に近い。
遊び仲間から始まって、バンドの中での確執、会社との考え方の違い、方向性などから、いろいろあって、5人揃うことはなかったんですけどね、それがまたいい形で終わることができて、こんな素晴らしいことがあるのかなぁと。青春時代がそのままよみがえったわけだから。
70になっても、そんな変わんないですよ。四捨五入したら、5人とも70ですからね。
昔は世の中にそんなに70のミュージシャンいなかったですよね、昔は70っていったら、もうおじいさんで、盆栽かゲートボールだった。
エレキギター弾いてるのはいなかった。
みんなしかも立って弾いてるんだから。
昔は圧倒的にガールズのファンが多かったけど、いつの頃からか、タイガースはだんだん男性のファンも多くなってきたから。実は、おれ、隠れタイガースファンだったとかいますよね。
昔はジュリーのことなんか、男性に、なよなよしてなんだ~みたいに言われてたりね。
それは、嫉妬かもしれないけどね。自分のガールフレンドなんかがタイガースだとか言ってたら、バカヤロー、どこがいいんだよ~とかね。
★小堀さんの時代は、学園祭で、昔、学生服のボタンを取って、下に体育の白いズボンはいて、コカ・コーラのプルトップをつなげて、モナリザの微笑の真似をしてた人がいたそうです
★モナリザの微笑について。
エレキハーモニカを吹い
てた。特別にハーモニカを作ってもらって、ハーモニカのなかにマイクが内蔵されてて。
すぎやまこういち先生にだったと思うけど、「タローくん、これ練習しなさい」とか言われて。今までそんなの吹いたことなかった。そんな大きいの。30センチ以上あるから。
モナリザの微笑
当時、シャボン玉ホリデーなどでは、カバーの曲もよくしてた。レギュラーだったから、曲を毎週変えなきゃいけなくて。オリジナルがそんなになかったし、B面やらないから、毎週曲が変わるし、カバーはよくやってた。元々はカバーしかなかった。ジャズ喫茶ではずっとカバーだったし。
普通はタローがサイドギターで、かつみがリードギターなんだけど、ときどきタローがリードギターを弾いてたのが小堀さんには新鮮だったそうです。
↓
どっちがどっちでもいいんだけど、かつみが先に手をあげたので、まぁやったら、ということで。僕は謙虚だったから。図々しさがないんで~。あ、自分で言ったらだめか~。
練習場所は、タローのうちのお姉さんの踊りの稽古場だったり。今みたいにスタジオがなかったからね。
学校の教室とか、倉庫とかね。
親戚が、運送会社を経営してたので、車を止めてあったところとか。
あと、お寺とか。
軽音楽部を学校に言って交渉したことも。学校からはお金は出なかったけどね。一応認められてた。
まとめ役ではないけど、1曲1曲、音楽的なリーダーみたいなことはやってるけど。
まとめ役ってのは、どうかな。ほんとにみんな個性が強いから。僕以外の4人は。
だいたい、サリーも落ち着いてたけどね。サリーもあんまり言わないから。
他の3人はよくけんかしてたからね。
だから、サリーがお父さんで、僕がお母さんで、ワルガキ3人息子みたいなね。
言い出したら聞かないとこがあるから。
タイガースになって、すぐ合宿して、大変だったけど、スターを夢見てたからね。そっちの意識が強いから。ほとんど外食で、二段ベッドがあって、マネージャーも、いっしょにいたからね、
ほとんど寝るだけだったけど、窓が開けられないのがつらかった。
常に誰かに見られてるってのはあったね。当時はパパラッチみたいのはなかったけど、ファンが多くてクレームが多くて、引っ越さなきゃいけないとかあって、しょっちゅう引っ越してた。
シーサイドバウンド
まだ続くようですが、いったん送ります。
生放送かな?
小堀さん「タイガースの完全復活は、ミュージック界の大きな台風の目になりましたね」
タロー「ありがとうございます」から始まりました。
★終わってほしくはないとも思うけど、タイガースも40年ぶりにきちんとできたことがまたいい思い出になったから。自分の人生の中でも大きな思い出になったと思う。
タイガースは京都でみんなでやってた仲間がそのままでやってきて、ビッグネームになって、まだ現役って奇跡に近い。
遊び仲間から始まって、バンドの中での確執、会社との考え方の違い、方向性などから、いろいろあって、5人揃うことはなかったんですけどね、それがまたいい形で終わることができて、こんな素晴らしいことがあるのかなぁと。青春時代がそのままよみがえったわけだから。
70になっても、そんな変わんないですよ。四捨五入したら、5人とも70ですからね。
昔は世の中にそんなに70のミュージシャンいなかったですよね、昔は70っていったら、もうおじいさんで、盆栽かゲートボールだった。
エレキギター弾いてるのはいなかった。
みんなしかも立って弾いてるんだから。
昔は圧倒的にガールズのファンが多かったけど、いつの頃からか、タイガースはだんだん男性のファンも多くなってきたから。実は、おれ、隠れタイガースファンだったとかいますよね。
昔はジュリーのことなんか、男性に、なよなよしてなんだ~みたいに言われてたりね。
それは、嫉妬かもしれないけどね。自分のガールフレンドなんかがタイガースだとか言ってたら、バカヤロー、どこがいいんだよ~とかね。
★小堀さんの時代は、学園祭で、昔、学生服のボタンを取って、下に体育の白いズボンはいて、コカ・コーラのプルトップをつなげて、モナリザの微笑の真似をしてた人がいたそうです
★モナリザの微笑について。
エレキハーモニカを吹い
てた。特別にハーモニカを作ってもらって、ハーモニカのなかにマイクが内蔵されてて。
すぎやまこういち先生にだったと思うけど、「タローくん、これ練習しなさい」とか言われて。今までそんなの吹いたことなかった。そんな大きいの。30センチ以上あるから。
モナリザの微笑
当時、シャボン玉ホリデーなどでは、カバーの曲もよくしてた。レギュラーだったから、曲を毎週変えなきゃいけなくて。オリジナルがそんなになかったし、B面やらないから、毎週曲が変わるし、カバーはよくやってた。元々はカバーしかなかった。ジャズ喫茶ではずっとカバーだったし。
普通はタローがサイドギターで、かつみがリードギターなんだけど、ときどきタローがリードギターを弾いてたのが小堀さんには新鮮だったそうです。
↓
どっちがどっちでもいいんだけど、かつみが先に手をあげたので、まぁやったら、ということで。僕は謙虚だったから。図々しさがないんで~。あ、自分で言ったらだめか~。
練習場所は、タローのうちのお姉さんの踊りの稽古場だったり。今みたいにスタジオがなかったからね。
学校の教室とか、倉庫とかね。
親戚が、運送会社を経営してたので、車を止めてあったところとか。
あと、お寺とか。
軽音楽部を学校に言って交渉したことも。学校からはお金は出なかったけどね。一応認められてた。
まとめ役ではないけど、1曲1曲、音楽的なリーダーみたいなことはやってるけど。
まとめ役ってのは、どうかな。ほんとにみんな個性が強いから。僕以外の4人は。
だいたい、サリーも落ち着いてたけどね。サリーもあんまり言わないから。
他の3人はよくけんかしてたからね。
だから、サリーがお父さんで、僕がお母さんで、ワルガキ3人息子みたいなね。
言い出したら聞かないとこがあるから。
タイガースになって、すぐ合宿して、大変だったけど、スターを夢見てたからね。そっちの意識が強いから。ほとんど外食で、二段ベッドがあって、マネージャーも、いっしょにいたからね、
ほとんど寝るだけだったけど、窓が開けられないのがつらかった。
常に誰かに見られてるってのはあったね。当時はパパラッチみたいのはなかったけど、ファンが多くてクレームが多くて、引っ越さなきゃいけないとかあって、しょっちゅう引っ越してた。
シーサイドバウンド
まだ続くようですが、いったん送ります。
お返事遅くなってごめんなさい。
タローのことも、これからも、わたしなりに応援させていただきたいと思っています。