我が家から川を挟んで東の方向にそびえ立つ1本の樹齢500年の楠木は、いつも私の目の片隅にある。
町の道路の真ん中に遮るように立つその姿は、朝日に照らされ、夕方暗闇の中も
影絵の様に浮かび上がってくる。
それがどこにいても私の心をとらえて離さないのだ。
高さは25メートルもあり幹の太さは、大人が何人手を繋いで到達するのだろう。
壮大なその姿で500年前から現在までの「時」を私たちに魅せつけている。
千手観音の様に枝を張り葉を埋め尽くし、そこはあらゆる生物の安らぎ所になっているに違いない。
さて近くの公園の八重桜もようやく見納めだ。
公園全体がピンク色から深い緑に覆われはじめた。
溝の中に散った花びらを両手ですくってみると羽の様に柔らかくて暖かだった。
そっと鼻を寄せるてみると、かすかにニッキのような香りがした。
八重桜は桜の中でも長い間咲いてくれ、遠目には果物が実っているように見える。
そぞろ歩きで桜並木を行く人々が携帯でそのあでやかさを撮っていた。
町の道路の真ん中に遮るように立つその姿は、朝日に照らされ、夕方暗闇の中も
影絵の様に浮かび上がってくる。
それがどこにいても私の心をとらえて離さないのだ。
高さは25メートルもあり幹の太さは、大人が何人手を繋いで到達するのだろう。
壮大なその姿で500年前から現在までの「時」を私たちに魅せつけている。
千手観音の様に枝を張り葉を埋め尽くし、そこはあらゆる生物の安らぎ所になっているに違いない。
さて近くの公園の八重桜もようやく見納めだ。
公園全体がピンク色から深い緑に覆われはじめた。
溝の中に散った花びらを両手ですくってみると羽の様に柔らかくて暖かだった。
そっと鼻を寄せるてみると、かすかにニッキのような香りがした。
八重桜は桜の中でも長い間咲いてくれ、遠目には果物が実っているように見える。
そぞろ歩きで桜並木を行く人々が携帯でそのあでやかさを撮っていた。