ガーデニングと野菜作り

初めての野菜作りとガーデニングに夢中な私。花や、収穫した野菜の写真を紹介するブログです。

コーヒー一杯から広がる世界

2017-07-28 14:37:04 | 日記
我が村の檀家の寺や民家の庭に百日紅の花が咲き出した。
鮮やかな濃いピンク色がきれいで遠目にも目を惹く。
お昼のBS番組で「老人と海」の著者で知られるヘミングウェイが愛したキューバの海を
女優の鶴田真由さんが体験紀行していた。
私はキャラメルマキアートを飲みながらそれを見ていた。
テレビの画面を見ているだけで、キューバの海にいるような気分になって癒された。
エメラルドグリーンが地平線まで広がる海やその中で漁をして暮らしている人々を
見ていると羨ましくなってくる。
しかし実生活はそれほど甘いものではなさそうだ。
漁をしても釣った魚をサメに取られることも多々あるそうだ。
どうりで釣った魚がところどころえぐられているのが映っている。
それでも現地の人は海が好きだという。
母なる海、しかしそれは時には厳しく闘いにもなる。
山に住む人、海に住む人、砂漠にすむ人、極寒に住む人、地球上には
ありとあらゆる場所で人間が住んでいる。
みんな自然と共存しながら、また闘いながら生きてきた。
自然の恩恵を受けながら、しかし畏敬の念も抱きながら。
鶴田真由さんがインタビューの中で「マザーアース」と言っていた。
良い言葉だと私は思った。
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蝉の声

2017-07-26 16:43:45 | 日記
朝洗濯物を干していると、いきなりつんざくような猛烈なセミの鳴き声がした。
どこにいるのかと見上げてみると庭の松の木の幹でクマゼミが羽を震わせて鳴いている。
また永くて暑い夏がやって来たなと私は少しうんざりした。
セミはひとしきり鳴いたかと思うと急に静かになる。そしてその繰り返しだ。
はかない命ゆえに、精一杯鳴いて存在を知らしめているのかと思うと
だんだん鳴き声のやかましさも健気に思えてきて、へては自分の生き様にも考えが及ぶ。
生き急いでいるのか、もうそんな年になったのかわからないが、私にとって
短絡的な快楽の生活はあまり魅力がない。
それでも先日高野山へ行ったことは、とても癒しになったし新鮮な体験だった。
現在自然と日々の暮らしは癒しと単調な継続の連続である。
しかしそれが私のすべてであり、終活にに向かっての手応えになると思う。
おじいちゃんを見送ったら自由になってその時はあそこへ行こう、こんなこともしよう
世界旅行も夢じゃないねと夫と話すことがある。
だが果たしていざ自由になった時、自由を満喫できるだろうか。
また先の事ばかり考えて、それもよくないことばかり考えてしまう私の悪い癖が出た。
「そんなネガティブな事ばかり言っているお母さんはほんまにマゾやな」と
子どもに言われそうなのでいい加減にやめとこう。
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腰痛がやって来た

2017-07-25 11:28:16 | 日記
高野山の日帰り旅行から帰った翌日から、腰痛が始まった。
いきなりギクッと来たわけではなく、最初は筋肉痛かと思いながら
だんだんひどくなった。
それでも歩けないことはなかったので何とか家事をこなした。
痛くなってから今日で一週間目、今はほぼ痛みはない。
しかし主人から借りたコルセットをまだ離せない。
つらつら思うと私は高野山でこけてしまったのだ。
別に尻もちをついたわけではないが、つんのめって左の膝を打撲した。
それで、左の膝をかばいながら歩いていたせいかもしれない。
日頃から身体だけは丈夫で、毎日30回の腹筋をしていた。
まあ、だからこそこの程度で済んだとも思える。
今はおじいさんの風呂の介添えが少ししんどいので
それを言い訳にしてあまり外へ出ず家の中でダラダラしている。
ほっかほっか亭のお弁当も2日間頼んだ。
特に鶏の照り玉弁当が安くておいしかった。
買い物や調理の手間を省いてそして配達もしてくれる弁当屋さんは
こんな時とてもありがたい。そして安上がりだ。
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劉暁波氏と7月21日産経新聞モンテーニュとの対話より

2017-07-21 11:24:57 | 日記
私は劉暁波氏のことをよく知らなかった。
獄中でノーベル平和賞を受賞した人程度の知識しかなかった。
彼が亡くなってから新聞で詳しく彼のことを知った。
特に目を引いたのは、天安門事件で多くの若者を殺され、そのことに劉氏は自身の過失として懺悔をされた。
投獄されながらもその上私には敵はいない、私には憎しみはないという信念を固く守られた。
新聞の見出しに「真の愛国者が持つ強さ」と掲載されていた。
掲載者は劉氏の死を機にモンテーニュを想起せずにはいられなかったと
書いている。
残虐な宗教戦争の嵐に抗して内面の自由を守り通したモンテーニュ。
彼の伝記を書いたツヴァイクは、モンテーニュの作品の中に不動の主張
「自己の独立を知る」を見出した。
ツヴァイクは死の自由を行使することで自己の独立を守り、劉氏は自由を奪われながら、自己の独立を決して失う事がなかったと書いている。
それは劉氏が真の愛国者だったからだろうと言う。
コラムの右に2007年3月北京市内の自宅での劉暁波氏が載っている。
私は彼を見たとたん、チベットの迫害された僧を思いおこした。
そして崇高な面立ちに祈りたいような気持になった。
マザーテレサが言われたことで印象に残っている言葉がある。
マザーに心酔してインドで働きたいといった娘にマザーはこう言われた。
「あなたの身近な家庭から愛を行いなさい。家庭が不和であればいさかいも戦争もそこから始まるのです」
そんな内容だったと思う。
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高野山への旅行

2017-07-18 10:03:46 | 日記
7月16日に高野山へ夫と日帰りの旅行へ行った。
毎年一回は娘がおじいちゃんを看てくれるので
それに甘えて日帰りのバスツアーを申し込む。
今年は実父も亡くなり、行くなら心の癒しを求めて聖地へ行きたいと申し込んだ。
弘法大師が入定された奥の院をたっぷりと見学した。
海抜900メートルと言われている高野山は炎天下にもかかわらず
私達にとってはとても過ごしやすかった。
1時間半ほど歩いたがほとんど苦痛はなかった。
一番古いのであれば樹齢800年以上と言われる老杉の中を諸大名や
庶民の墓を見て歩いた。
私は子供の頃に来て以来今回が2回目の参詣である。
しかしこの年齢でここへ来たことは大きな意味があったように思う。
実父の死後本格的に念仏に出会い、少なからずそれが心の拠り所となった。
そんな思いで奥の院へ入った時、絶えず消える事のない線香の煙と匂い
ろうそくの灯をみて大師様の存在を自分なりに感じた。
大師様は世の中の人の苦しみの身代わりとして入定されたそうである。
参詣する人たちは私たちも含めて何かしら自身の物語を持っている。
楽しそうにしているが、悩みのない人はいない。
当たり前である、生まれた以上死ななければならない苦しみを
誰しもが背負っているのである。
今生をどのようにして生き抜くか。十人十色である。

★連休の最中で道が混んでおり、ドライバーさんの計らいで
地道と高速のはしごでくぐり抜け、定時には最寄りの駅に連れて帰って
もらった。








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