ガーデニングと野菜作り

初めての野菜作りとガーデニングに夢中な私。花や、収穫した野菜の写真を紹介するブログです。

医師中村哲73年の軌跡を観て

2021-02-18 11:51:41 | 日記
知らなかった。
中村先生が次男の死に報いるようにアフガンの干ばつ事業に情熱をささげられたことを。
次男の死に不条理を感じ、その後執念のごとく事業を成功された。
アフガンの人達の笑顔を見た時の中村先生の喜びはいかほどであったろうか。
医師でありながら、最後は土木工事者であった。
泥にまみれ汗にまみれなりふり構わずに仕事を全うされた。
一口に国際貢献だなんて単純に言えたものではない。
「人は愛するに足り、真心は信ずるに足る」
それを最後まで実行された人である。
この言葉を残して亡くなられた。
我が子を看取る事も出来ずアフガンの為に命を懸け最後はアフガンの人に命を奪われた。
こんな不条理な事があってよいものか。とは言ってはならない。
毎日おいしいものを食べ、健康できれいな衣服を着て、生活に不自由しない。
娯楽を追求し平坦に物事を見て想像する事さえしない。
そして自分の保身だけを考え、損になる事や面倒な事には深入りしない。
利己的な正義を振り回して身の程を知らない。
私は自分の内部にある罪を感じる。罰ではなく罪だ。
安泰な生活にどれだけの価値があると言うのだろう。
しかしこれだけは真実である。「死」だけは誰にも平等で避けられない。
私は還暦になってしまった。各自の年代によって社会に役割があるはずだ。
それはささやかであってよいと思う。家庭だって小さな社会だ。
名もなき人々が生きてきた歴史の恩恵によって我々は今日を生きている。
くじけそうになったり、おごりそうになったら、中村哲さんのビデオを観るだろう。
最後に中村哲さんの長男が弔辞で、父親の事は何一つ言わず一緒に亡くなられた
アフガンの人達を思いやっていらした事が印象的だった。
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おとぎの世界

2021-02-17 13:28:04 | 日記
緑のトンネルを入り、竹林や桃畑を通り越してそう、シイタケ小屋もあったけ。
藪でかぶさったくねくねしたけもの道を通り抜けやっと一本の広い道に出る。
道のあぜ横には清水が流れている。春になると田んぼはれんげでいっぱい。
息をひそめてのれんげ畑のかくれんぼは少し冷たくてミツバチが怖かった。
蝶々や菜の花を追いかけ、つくし取りに夢中になった。
夏には樹液が流れ出た木の幹にカブトムシやクワガタ、蜂が集まっていた。
秋には草の根をかき分けてお尻を震わせて鳴くコオロギや鈴虫を捕まえた。
農場には豚や牛がいる。鉄線に囲まれて中には入れなかったけど。
ああ、考えてみれば私はおとぎの世界にいたのだ。
一人きりでも全然怖くなかった。
太陽と自然と虫たちに囲まれて。
幼稚園の帰りにやっと一本の広い道に出て、遠くを仰ぎ見てため息をついたっけ。
6歳の私の足では家までまだ遠かったのだ。
子供の頃はあの道があんなにも果てしもなく遠かったのに
大人になった今見るとやけに近い。
もうあの頃には戻れない。
しかし確実にあの時あの場所に私はそこに居たのだ。
永遠に。


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後世を信じて

2021-02-02 11:22:15 | 日記
古の太古、大いなる海からあらゆる生命が生まれた。
それは、血液の循環のように流れ続けている。
その結果洗練され進化し新しいものをどんどん生み出して来た。
同様に人間の生命の営みも同じだ。
消えては生まれ、生まれては消え途切れることなく続いていく。
何を嘆くことがあろうか。
成しえなかった夢も、自分のふがいなさも落ち込む必要はない。
必ず自分から子どもたちへ、そして孫たちへときっと・・・・。
後世を信じて、私たちはただ水の流れに身を任せて行けばそれでよいのだ。

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