自己嫌悪や葛藤、苦しみを持つ人ほど若い。
人間は老成すると一気に老いるだろう。これは私の個人的な意見である。
そういう意味で三島由紀夫は最後まで若かったと思う。
この本は私にとって難解だがある意味心地よかったのも本音だ。
それは共感できる部分があるからだ。主人公の私は私の一部でもあると思うからだ。
「私の感情はいつも間に合わない」はいつも自分の鈍感さに自身が歯噛みしていたことだ。
ただ三島由紀夫のそれとは本質的に違うかもしれないけど。
また文末で、柏木と主人公の私が「美」と「認識」で議論するところは、自分も「美」についてずっと考えていた。
広大な自然は言わずもがなで、私は羽生弓弦の動画を中毒の様に観つづけた。
「美を追求したい。創造したい」と切に私は願った。
宮沢賢治の言葉で、「人間として美しさを求め、美しさを好むからには、そこには必ず芸術が生まれる。ことに百姓は自然の現象に大きな芸術を実現しつつあるのだ。ただそれに本当に感激せず、またそれを求め挙げずにいるだけなのだ。それを磨き、それを生かすことが大事なのだ。」
この文章は田植の度に稲刈りの度にどれほど私を慰めたであろうか。
汗みどろで外見は惨めなものに違いはないのに心は些細な美を作り上げた喜びを感じた。
だから「美」は「認識」ではなく「行動」である。
そう私は思うのである。そう私は思いたいのである。
最後に三島由紀夫の「死」は「行動」で終わった。
これは私の思いだがもし三島由紀夫が、戦争に行っていたならあのような最期を迎えたであろうか。