ガーデニングと野菜作り

初めての野菜作りとガーデニングに夢中な私。花や、収穫した野菜の写真を紹介するブログです。

2021-01-31 10:18:39 | 日記
今朝、仏花の水を取り替えに仏間へ入った。
薄暗い中仏壇の扉を開けた時、金色の戸板の片隅が光っている。
どこから朝日が入っているのだろうと座敷の廊下の方を見た。
注意深く見渡してみたが、はっきりした光線は見当たらない。
その時私は認識した。
光の速さと恵みはどこでも誰にでも平等だと。
それは阿弥陀様の後光の様だと。


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三島由紀夫の「金閣寺」を読んで

2021-01-11 14:15:22 | 日記
自己嫌悪や葛藤、苦しみを持つ人ほど若い。
人間は老成すると一気に老いるだろう。これは私の個人的な意見である。
そういう意味で三島由紀夫は最後まで若かったと思う。
この本は私にとって難解だがある意味心地よかったのも本音だ。
それは共感できる部分があるからだ。主人公の私は私の一部でもあると思うからだ。
「私の感情はいつも間に合わない」はいつも自分の鈍感さに自身が歯噛みしていたことだ。
ただ三島由紀夫のそれとは本質的に違うかもしれないけど。
また文末で、柏木と主人公の私が「美」と「認識」で議論するところは、自分も「美」についてずっと考えていた。
広大な自然は言わずもがなで、私は羽生弓弦の動画を中毒の様に観つづけた。
「美を追求したい。創造したい」と切に私は願った。
宮沢賢治の言葉で、「人間として美しさを求め、美しさを好むからには、そこには必ず芸術が生まれる。ことに百姓は自然の現象に大きな芸術を実現しつつあるのだ。ただそれに本当に感激せず、またそれを求め挙げずにいるだけなのだ。それを磨き、それを生かすことが大事なのだ。」
この文章は田植の度に稲刈りの度にどれほど私を慰めたであろうか。
汗みどろで外見は惨めなものに違いはないのに心は些細な美を作り上げた喜びを感じた。
だから「美」は「認識」ではなく「行動」である。
そう私は思うのである。そう私は思いたいのである。
最後に三島由紀夫の「死」は「行動」で終わった。
これは私の思いだがもし三島由紀夫が、戦争に行っていたならあのような最期を迎えたであろうか。

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Pカフェ「写真家白川義員と世界百名山」を観て

2021-01-10 14:52:41 | 日記
朝、この番組を観て、即サンテグジュペリを思った。
白川さんもこの本を読んだだろうか。
私はサンテグジュペリの「人間の大地」を最後まで読破出来なかった。
観ているうちに白川さんのお話が、自然と「人間の大地」の一文とオーバーラップした。
白川さんは、写真撮影のフライト中、乱気流に巻き込まれて命を失いかけた。
「8000メートル以上の世界は人間が立ち入ってはいけない神の領域であり、また
魔の世界だ」と言われた。
山々が雄たけびを上げ牙をむいて立ち向かってくる。
生きていればサンテグジュペリも同じことを言ったのではあるまいか。
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