信仰とは土壌の中に浸みこまれていると言う。真の信仰はそこから生まれる。
遠野の人たちはまさにそうであった。そして遠野物語が柳田国男によって生まれた。
幼少の頃、私も母から伝え聞いたことがある。
遠野の人でなくても私の年代の人なら少なからず親から「狐や狸に化かされた話や河童に池へ引きずり込まれた話」などを寝物語などで伝え聞いたのではないだろうか。
人間は自然の恩恵を受けると同時に自然への畏敬も生まれてくる。
私達は目に見えないことを信じることによって心の安らぎが得られると言う。
カズオ・イシグロの本ではないが知りたがり屋でなく信じたがり屋になることだ。
遠野物語には子供の間引きや、姥捨てなど悲惨な物語も多々出てくるそうだ。
厳しい環境下で生き抜いた人たちは物語にすることで心をおさめたのかもしれない。
私が幼少のころ母から聞いた話では、昔は婚礼は家で行うのが常で、ある日母の祖父が婚礼に行きお酒や御馳走を賜ってさあ帰ろうとお土産の折包みを丁寧に自転車の荷台にくくりつけた。そして家路に向けて一生懸命自転車を繰るのだが、一向に家へ着かない。すると暗闇の中同じように自転車を繰る「カタンカタン」の音が聞こえて来た。恐ろしくなって一層一生懸命ペダルを繰るのだがどうしても家に着かない。我に返った時には自分は池のなかでずぶぬれになっている。そこで初めて「狐にだまされた」と気がついたのだと言う。もちろん折詰の包みはすでになくなっている。
キツネやたぬきに騙されている人は遠目から見てすぐにわかるのだと言う。
そんな人は同じ道を何度も行ったり来たりしている。
しかしいっこうにその先へ行く様子がない。
それで「ハハ~ンだまされているな」とわかるのだそうな。
遠野の人たちはまさにそうであった。そして遠野物語が柳田国男によって生まれた。
幼少の頃、私も母から伝え聞いたことがある。
遠野の人でなくても私の年代の人なら少なからず親から「狐や狸に化かされた話や河童に池へ引きずり込まれた話」などを寝物語などで伝え聞いたのではないだろうか。
人間は自然の恩恵を受けると同時に自然への畏敬も生まれてくる。
私達は目に見えないことを信じることによって心の安らぎが得られると言う。
カズオ・イシグロの本ではないが知りたがり屋でなく信じたがり屋になることだ。
遠野物語には子供の間引きや、姥捨てなど悲惨な物語も多々出てくるそうだ。
厳しい環境下で生き抜いた人たちは物語にすることで心をおさめたのかもしれない。
私が幼少のころ母から聞いた話では、昔は婚礼は家で行うのが常で、ある日母の祖父が婚礼に行きお酒や御馳走を賜ってさあ帰ろうとお土産の折包みを丁寧に自転車の荷台にくくりつけた。そして家路に向けて一生懸命自転車を繰るのだが、一向に家へ着かない。すると暗闇の中同じように自転車を繰る「カタンカタン」の音が聞こえて来た。恐ろしくなって一層一生懸命ペダルを繰るのだがどうしても家に着かない。我に返った時には自分は池のなかでずぶぬれになっている。そこで初めて「狐にだまされた」と気がついたのだと言う。もちろん折詰の包みはすでになくなっている。
キツネやたぬきに騙されている人は遠目から見てすぐにわかるのだと言う。
そんな人は同じ道を何度も行ったり来たりしている。
しかしいっこうにその先へ行く様子がない。
それで「ハハ~ンだまされているな」とわかるのだそうな。