5月は共通課題の「鬆(松)と静」、そして「方向」です。
方向には「方」と「向」というそれぞれの概念があります。
■鬆(松)と静
「鬆」は体のメイン意識。その意識の段階は3つ。
1.力鬆…筋力をゆるめる。動きに必要な最低限の筋力にとどめる
2.体鬆…体の密度が変わる。膨らむ。
固まっている状態から拡散する、太くなるような感じ。
3.形鬆…とける、溶解。空気と渾然一体となった感じ。
「静」は内部に対する要求、意識。段階は3つ。
1.無外…周辺は無視して練習する
視而不見、聴而不聞。
(みえてもみない、きこえてもきかない)
2.無欲…欲を持たずに練習する
事例:成敗(うまくいくか、いかないか)
得失(得られるか、失うか)
美丑(うつくしいか、そうでないか)
3.無情…感情を用いない、持ち込まずに練習する
鬆(松)と静は同時進行。
(両者は相互に影響し合う関係ということかなと理解)
■方向の「方」
空間(立体、球体)のイメージ
自分の体が空間の中心にあるようにイメージする。
それは中心からあらゆる方位に
自由に動けることを意味するイメージでもある。
そして空間の中心に重なるのが体(体幹)の中心、重心
動きのスタートはいつも中心からといわれる所以か。
ということは、バランスが崩れるときは
重心と空間の中心を重ねられなくなったとき
ということになるのかな。
■方向の「向」
向かおうとする意、「勢」(勢い)
「向」は動きをともなうイメージで
そのときの勢が目指している方位が「方」。
つまり「方」が先に決まらなければ
「向」は始まらないということか。
「方」が曖昧であれば「向」もまた曖昧になる。
明確な動きにはならない。
また、「向」は動き、即ち移動をともなうことで
時間という概念も含まれるようになる。
「向」はただいま現在であり、
「方」は未来とも言い換えられるのではないか。
現在(向)の行く手には未来(方)がある。
人の一生も同じかも。
「前向き」なんて言葉は
まさに方と向そのものではないのかな。
方向には「方」と「向」というそれぞれの概念があります。
■鬆(松)と静
「鬆」は体のメイン意識。その意識の段階は3つ。
1.力鬆…筋力をゆるめる。動きに必要な最低限の筋力にとどめる
2.体鬆…体の密度が変わる。膨らむ。
固まっている状態から拡散する、太くなるような感じ。
3.形鬆…とける、溶解。空気と渾然一体となった感じ。
「静」は内部に対する要求、意識。段階は3つ。
1.無外…周辺は無視して練習する
視而不見、聴而不聞。
(みえてもみない、きこえてもきかない)
2.無欲…欲を持たずに練習する
事例:成敗(うまくいくか、いかないか)
得失(得られるか、失うか)
美丑(うつくしいか、そうでないか)
3.無情…感情を用いない、持ち込まずに練習する
鬆(松)と静は同時進行。
(両者は相互に影響し合う関係ということかなと理解)
■方向の「方」
空間(立体、球体)のイメージ
自分の体が空間の中心にあるようにイメージする。
それは中心からあらゆる方位に
自由に動けることを意味するイメージでもある。
そして空間の中心に重なるのが体(体幹)の中心、重心
動きのスタートはいつも中心からといわれる所以か。
ということは、バランスが崩れるときは
重心と空間の中心を重ねられなくなったとき
ということになるのかな。
■方向の「向」
向かおうとする意、「勢」(勢い)
「向」は動きをともなうイメージで
そのときの勢が目指している方位が「方」。
つまり「方」が先に決まらなければ
「向」は始まらないということか。
「方」が曖昧であれば「向」もまた曖昧になる。
明確な動きにはならない。
また、「向」は動き、即ち移動をともなうことで
時間という概念も含まれるようになる。
「向」はただいま現在であり、
「方」は未来とも言い換えられるのではないか。
現在(向)の行く手には未来(方)がある。
人の一生も同じかも。
「前向き」なんて言葉は
まさに方と向そのものではないのかな。
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