ゆーぼん街道歩きブログ(欧州カミーノ、東海道他(五街道)、熊野古道、北国街道他)

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高野山巡礼 2015.4.7

2015-04-07 | 街道歩き

  本来ならば、熊野古道・小辺路を歩く予定でした。
ただこの小辺路に対するイメージが自分なりに確立できず、今一つフィーリングが
合わないというか、機運・気運ともになく、こういう時は止めておこうという決心に至りました。
カミーノもそうですが、さあこれから歩こうという時に、何か引っかかる時は神様が
ブレーキをかけてくれているんだという思い強く、結局今回は高野山、小辺路、四国お遍路
にかかわりある真言宗総本山の勉強をしに行こうという結論に達した次第です。
 幸いカミーノで知り合ったY先輩がお遍路満願達成と重なり、もう一人のカミーノ友人Y氏とも
意見が合致、まずは大阪で待ち合わせをし、なんばより歩を進めることになりました。

 合わせて折角関西に遠征することでもあり、また桜花爛漫の季節、あくまで”歩き”を主目的
とした観光をしようということとなりました。
もちろん熊野古道・小辺路はあらためて歩きにまいります。

 まずは南海電鉄なんば駅スタートです。
高野山開創1200年を記念して、素敵なカラーで特急も装い新たです。






 3人もいるのに自分撮り、それにしても上手くなったものだ。


 やがて電車は極楽橋駅へ。さすがに奥地に来た感じがあります。
桜が満開、素敵な景色です。



 この極楽橋駅からはケーブルカーで登ります。凄い急坂です。
この勾配、日本一ではないでしょうか?まあ、高所恐怖症の小生にとって、ロープウェイ
でなかったことは助かります。地についてない乗り物は嫌いです。飛行機だけは
仕方ないが・・・。






 スカイツリーの高さを表示、外国旅行者には意味不明の634だろうね。
是非英語表示を!



 雨が降ってきました。天気が悪い。
深山幽谷・・雨もまた良しかぁ・・。



 到着です。高野山駅です。867mなんだ、寒いな。





 ここからはバスの移動しかありません。女人堂に向かいます。

 女人堂前に鎮座、お竹地蔵です。
人は突然不可思議な現象を体感、見たりするようです。
現代で言えばパワースポットになるのでしょう。









 これが女人堂。高野山はつい最近まで女人禁制のお山。よって女性の入山は
ここまで。ここで修行などをしたようです。
その昔、高野山には七つの登り口があり、高野七口(こうやななくち)と呼ばれていたようです。
明治5年(1872年)に女人禁制が解かれるまで、女性の立ち入りが厳しく制限され、そのため
各登り口に女性のための参籠所が設けられ、女人堂と呼ばれました。
現在の女人堂は唯一現存する建物だそうです。



 小杉さんですって。女人のためにやさしい接待・・神になられました。
凄いことです。



 さあ、女人堂からは山道を登ります。雨の山行、これも巡礼者の試練か。


 ちょうど峠の頂上あたりにおられました。嶽山弁天さま。
弘法大師が、大和の天川弁財天に千日参籠したときに用いた宝珠をこの峰に
埋め、弁財天を勧請したといい、この嶽山の古樹一本杉に住む、妙音房という天狗が
常にこの祠を守護すると伝えられて
いるようです。


 ほとんど文字が読めません。


 ここから下って行きます。


 

 発見!!四国お遍路のマークと方向を示す矢印。
カミーノの黄色い矢印を思い出します。
雨の日の遍路道・・幻想的です。



 下りきったところに標識。大門に着いたようです。





 出ました。大門です。霧がかかって神秘的です。何故か鳥肌がたちます。
この門をくぐると何か新しい体験ができる予感がします。
高野山の西の入口にそびえる高さ25mの巨大な楼門。江戸時代の仏師による
金剛力士像がありました。









 これは数ある宿坊の一つです。なかなか立派なものです。


 檀上伽藍です。弘法大師が高野山で最初に開いた地。
前を歩くはY先輩とY氏。これから中門をくぐります。




 金堂です。高野山の総本堂です。ご本尊”薬師如来像”秘仏です。
お参りをしました。最近は神社仏閣全てに”世界平和””家内安全””巡礼道中安泰”を
祈願しております。



 金堂の前で。


 根本大塔です。弘法大師と弟子の真然によって創建。真言密教のシンボルです。











 後醍醐天皇のお願により建設されたようです。愛染堂。何かご縁かな。
今回の巡礼で吉野の南朝後醍醐天皇陵へ
行く予定をしています。





 蓮池、池と神はやはり天候・農耕・水に関する信仰のようです。





 西行法師のお手植えの桜。西行法師も日本あちこちでその足跡に遭遇します。
巡礼者としては尊敬します。









 東塔です。





 開創当時このあたりは山深き奥地、現在でも大変なところだと思うに、よく1200年前に
この地に創建。

不思議なご縁なんでしょうね。今でも都から2時間以上かかります。
当時のことを考えると気が遠くなります。


  金剛峰寺に入ります。





 ここからは写真撮影に規制があります。可能な限りのアップです。


















































 弘法大師が眠る奥ノ院に入ります。
このエリアも写真規制厳しくほとんど撮影できませんでした。
弘法大師の御廟がある聖地です。大師が今も生きて人々を見守ってくれています。
遭遇できませんでしたが、毎日大師さまの食事を運んでおられるようです。
それが1200年も続いている。不思議なことです。
伊勢神宮の天照大神も食事されていますね。何か広大な大宇宙の法則があるような
気がします。





 司馬遼太郎も街道をゆくでお世話になってます。この人は電車・車の移動ですけどね。





 こうして高野山をあとにしました。必ずや熊野古道・小辺路のスタートに、また四国お遍路の
満願時に
戻ってまいることを固く約束し、大師様と別れました。

 今回の巡礼でY先輩が2回目のお遍路満願です。
こころよりお慶び申し上げます。Y先輩とは極楽橋駅でお別れ、我々Y氏とは電車で和歌山へ、
和歌山からフェリーで徳島へと移動しました。
日本誕生の地・おのころ島を目指して・・・・・。




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