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日光街道 2日目 草加宿 ▶️ 越谷宿 7.2km / 25.5km 2015.4.29

2015-04-29 | 街道歩き

 さて、二日目です。草加駅からのスタートになります。家から1時間半と少し
かかります。次回は泊まりになるかな・・・。

 駅前から旧日光街道に出ます。
何とか旧道らしい商店街です。が、ほとんど古いものはありません。
そんな時突然ビルの前に現れました。本陣跡の碑。



 そして少し歩くともう一つの本陣跡碑。
先のが大川本陣、次が清水本陣。




 どうやら途中で場所を変えたようですね。全て当時のものは消滅したようです。



 草加と言えば”草加せんべい”、その関連の掲示がありました。
草加せんべいの創始者は”おせんさん”だそうです。だからせんべいなのか?









 元祖と書いてありましたので撮影しました。


 古い建物です。街道沿いにありました。久野家の古い住宅です。1855年の江戸
大地震に耐えた建物だそうです。いつまでも残してほしい遺産です。






 神明宮です。







 やはり出ました松尾芭蕉。この日光街道は奥の細道の一部なんですね。



 河合曾良(芭蕉の門人、奥の細道に随伴)像です。
先を行く芭蕉を案じて何か呼びかけるような姿です。



 再びおせんです。草加せんべい発祥の地です。いまはおせん公園となっています。






 おせん公園内、藤が満開、綺麗です。左の石碑は奥の細道と書いてあります。


 こればナマズ!!企業の宣伝のため造ったようです。
最近新宿にゴジラが出現したようですね。




 札場河岸跡と書いてありました。少し街道の雰囲気がでてきました。
この橋を渡ると札場河岸公園、今は草加市民の憩いの場所です。




 望楼とは、遠くを見渡すための櫓です。火事発生の発見につとめたようです。





 公園内にありました。松尾芭蕉・・見返り版です。江戸の方を向いて思いをはせているの
でしょうか?それともあとから追いかけてくる河合門人を心配しているのでしょうか。




 芭蕉はどうやら江戸深川から船に乗って千住宿まで行き、そこから歩み始めた
ようですね。その距離2400kmですって。
ちょうどドイツからサンティアゴ・デ・コンポステラまで歩けばこのくらいかな?
頑張らなきゃ・・・。いつかは・・・。
やはり芭蕉は凄い。一日16km150日続けるなんて・・句を詠みながら・・・
草鞋で・・・。



 草加松原です。綺麗な並木が続きます。江戸の方を向いています。遠くに芭蕉が
振り返っているのがわかります。



 こちらは河畔の桜ですね。もう少し早く来れば花見ができたな。








 なんかいい道です。大名行列が向こうからやってきそう。
薄曇り、爽やかな風、気持ちよく歩ける道です。







 木船を運んでました。お祭り用でしょうか?

























 亀がいました。といっても石造りですが・・。何故亀?わかりません。










 川向こうにあるのは一里塚です。遠くからでもはっきりわかります。旅人の目印であり
休憩所です。東海道、中山道では多く残っていました。この日光街道では唯一この
一里塚だけのようです。














 清蔵院です。この山門に左甚五郎作?の龍がいたようです。ちょうど外出していたようで
見ることができませんでした。











 当時は飢饉多く、その逸話が石碑になったようです。金網で囲ってあり、
よく見ることができませんでした。







 照蓮院です。ここは木造地蔵菩薩立像が有名らしいのですが、
見ることはかないませんでした。





 こうして街道は越谷宿に入りました。ここは特に旧跡がなく、下町っぽい通りが続くだけ、
保存がきいてないようです。

ただご覧の旗が唯一ここが日光街道であるとたなびいておりました。残念です。


 はずれに古い建物が二さんありました。せめて説明版でもあればなあと思います。





 こうして越谷宿を出、北越谷駅に近づいたころ、娘から連絡あり、どうやらかみさんが
熱を出している様子、
仕方なく北越谷から家に帰りました。
今日は快適な気温、30kmは行けたなと思うと残念です。次回3日目はこの北越谷駅
から再開します。

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