今朝は通勤ラッシュの中を成田空港へ向かい、ピーチエアで博多へ。
ここに来たのは、はたしていつ以来なのだろう。
ずいぶんと間があいてしまったような気もします。
博多空港に着いたのはお昼ちょっと前。
ちょうどお腹のへる時間でしたが、誘惑にも負けず、地下鉄で天神に向かうと、脇目も振らずに西鉄の特急に乗り込みました。
天神から電車に揺られること1時間。
太宰府も久留米ラーメンも通り越して、もうここが福岡県なんだか佐賀県なんだか、はたまた長崎なのかわからなくなってしまいましたが、やって来たのは柳川という城下町です。
いつだったかFacebookかインスタで、ここの『うなぎのせいろ蒸し』なるものを見て、こんど博多に来る機会があったら、ついでに行ってみたいなと思っていたのです。
そして今回、びっくり亭本家とどちらに行くか、悩みに悩んだ末にやって来たのは『元祖本吉屋』さんです。

そもそもうなぎのせいろ蒸しとはなんぞやということですよね。
うなぎのタレをまぶしたご飯をせいろに敷いて、それを一度蒸した後に、焼いたうなぎの蒲焼を載せて再度蒸したもの・・・!?だそうです。
でも文字だとわかりずらいので、座敷で待っていると、こんな奴がやって来ましたよ。

いやあこれは、すごい迫力でした。

もうね、ただただ圧巻の一言。
蒲焼は、かなり"蒸す"ということを強調していたので、ともすれば関東風よりも柔らかいものを想像していたのですが、むしろかなり香ばし目に焼いたものを蒸したんですよという趣き。
そして、うなぎの下には、うなぎの旨味を吸いこんだ褐色のご飯が(ToT)

そりゃあ今の時代、共水うなぎのような極上の養殖うなぎだったら、それぞれ関東風なり関西風なりのやり方でうな重にするのが最も美味しくいただける方法でしょう。
しかし約300年前の江戸時代から、この柳川でなされるようになったこの『せいろ蒸し』。
きっと江戸時代に、近所の水路とかで採れたちっちゃなうなぎなんかを使って蒲焼を作っていたわけでしょう。
そんな、皮がゴムみたいに固いうなぎでも、美味しく食べられるようにということで、試行錯誤の上に出来上がったのが、この『うなぎのせいろ蒸し』なのではないでしょうか。
ということで、九州1日目は、先人の知恵に感謝です。
大満足で、博多行きの電車に乗りましたとさ。
ここに来たのは、はたしていつ以来なのだろう。
ずいぶんと間があいてしまったような気もします。
博多空港に着いたのはお昼ちょっと前。
ちょうどお腹のへる時間でしたが、誘惑にも負けず、地下鉄で天神に向かうと、脇目も振らずに西鉄の特急に乗り込みました。
天神から電車に揺られること1時間。
太宰府も久留米ラーメンも通り越して、もうここが福岡県なんだか佐賀県なんだか、はたまた長崎なのかわからなくなってしまいましたが、やって来たのは柳川という城下町です。
いつだったかFacebookかインスタで、ここの『うなぎのせいろ蒸し』なるものを見て、こんど博多に来る機会があったら、ついでに行ってみたいなと思っていたのです。
そして今回、びっくり亭本家とどちらに行くか、悩みに悩んだ末にやって来たのは『元祖本吉屋』さんです。

そもそもうなぎのせいろ蒸しとはなんぞやということですよね。
うなぎのタレをまぶしたご飯をせいろに敷いて、それを一度蒸した後に、焼いたうなぎの蒲焼を載せて再度蒸したもの・・・!?だそうです。
でも文字だとわかりずらいので、座敷で待っていると、こんな奴がやって来ましたよ。

いやあこれは、すごい迫力でした。

もうね、ただただ圧巻の一言。
蒲焼は、かなり"蒸す"ということを強調していたので、ともすれば関東風よりも柔らかいものを想像していたのですが、むしろかなり香ばし目に焼いたものを蒸したんですよという趣き。
そして、うなぎの下には、うなぎの旨味を吸いこんだ褐色のご飯が(ToT)

そりゃあ今の時代、共水うなぎのような極上の養殖うなぎだったら、それぞれ関東風なり関西風なりのやり方でうな重にするのが最も美味しくいただける方法でしょう。
しかし約300年前の江戸時代から、この柳川でなされるようになったこの『せいろ蒸し』。
きっと江戸時代に、近所の水路とかで採れたちっちゃなうなぎなんかを使って蒲焼を作っていたわけでしょう。
そんな、皮がゴムみたいに固いうなぎでも、美味しく食べられるようにということで、試行錯誤の上に出来上がったのが、この『うなぎのせいろ蒸し』なのではないでしょうか。
ということで、九州1日目は、先人の知恵に感謝です。
大満足で、博多行きの電車に乗りましたとさ。