日々のことや思い出などを書きます。
個人的な覚え書き、日記のようなブログです。
私は少し焦っています。
せめて自分の物は
整理しておきたいと思っています。
それで
今日は過去の日記やメモを整理しました。
その時に
真っ白な日記帳やノートがあったので
メモ用紙にしました。
活躍したのが
父が遺した裁断機です。
昭和31年は1956年。
きれいなメモ用紙ができました。
一番右の片方だけの赤い手袋は
小学校三年くらいの時に
活躍していたお気に入りの手袋。
この手袋をして
冬の箱根の家族旅行に行った。
妹とお揃いだった。
赤いてんとう虫のついた手袋は
小学校四年生くらいの時の
お気に入り。
左端のお花のついた手袋は
六年生の時。
特別な思い出はないけれど、
そして
これを手放しても
差し障りはないはずなのに
何故か
捨てることができない手袋たち。
2月の実家奉公にて。
写真の建物が建つ前は
そこに
お豆腐屋さん
焼き肉屋さん
金物屋さん
整骨院さん
洋裁屋さん
鶏肉屋さん
がありました。
お豆腐屋さんのこと。
店内はいつも簡潔に
整然としていました。
お豆腐を買いに行くと
おじさんが
浴槽みたいな水槽の底に
きれいに並んでいるお豆腐を取り出してくれた。
お豆腐は白い。
おじさんの手も白くて
そして大きい。
その手で
水槽の底のお豆腐をフワリと
浮かばせる。
その瞬間がとても、好きだった。
今はお豆腐屋さんが
近くにないので
お豆腐を水槽から取り出す瞬間は
もう何十年も見ていない。
もう一度見たいなぁと思います。
1月の実家奉公にて。
実家からは
今は見えないこの山並み。
子どもの頃
この風景は家から
見えた。
私の育った地域は
海も山も川も湖も木もない所。
そして、
今では駅周辺に背の高い建物が多く建ち
空は四角になった。
それでも
この山並みの形は変わらない。
私の唯一の懐かしい風景。
今日は
これから
ホームに入っているおばへ
会いに行く。
彼女は
彼女の母(私からは祖母)を看取った後、
あらかじめ自分で探して決めていた
老人ホームに
さっと入所した。
パソコンと村上春樹の本だけあればいい、と言って。
それができる環境と
いさぎよさはうらやましい。
さて
私は
消えて無くなりたい病い、
人間を辞めたい病い。
いつだって
私は自分を
弁護して生きてきた。
だから
生きてこられたと思う。
だから
進歩がないとも言える。
これからも
私は自分を弁護しながら
生きて行くと思う。
自分だけは
自分を見捨てない。
このことは
とても強く思っているので。
数十年前の成人式の頃、
私には
晴れた気持ちが全くなく
成人する自覚も全くなく
晴れ着にも全く興味がなく
マントを買ってもらった。
写真の空と同じ色のブルーのマント。
自分の全てを覆い隠したかったから。
だから
マント。
そういえば
ハリー・ポッターが持っていたのは
透明になるマントだった。
毎年冬になると
私はそのブルーのマントのことを
思い出すけれど
マントは
タンスに眠っている。
いつか
かならず着る。
ブルーのマント。