ひとりよがり。

日々のことや思い出などを書きます。
個人的な覚え書き、日記のようなブログです。

2024/09/14

2024-09-14 15:32:00 | 日記
書きたいことがあり過ぎて
いつも上手くまとまらず、
月日はどんどん過ぎて行くのに。

・・・・・

8/14蜂窩織炎(ほうかしきえん)と胸椎の圧迫骨折で、救急搬送され入院していた母は
9/12に退院して
老健に入所しました。

老健では
在宅生活に戻れるように
リハビリをします。

老健での入所期間は約3ヶ月。
その後、
どのような生活をしたいのか、
できるのか、、、、、
在宅に戻りたいのか、
戻れるのか、、、、
まだわかりませんが、
一応、施設への入所も考えて、
老人ホーム探しをしています。

そんな中、
隙間時間を使って
カヤックビルダーのオオタケデザイ
ンさんと沼津の海を漕ぎました。

沼津の海のすごいところは
富士山が目の前にあることです。
その日は雲に隠れていましたが、
富士山の存在のある
ありがたい海を漕げて
しあわせでした。

・・・・・・

老人ホームは妹と仲介の人と見学しました。
母の「終の住処」となるかもしれないと思うと
そう簡単には決められない感じです。
先日見学したホームは
建物内の壁に絵がひとつも掛かっていない、、、
そんな小さなこと(?)が気になってしまう、、、
まだ2ヶ所しか見ていないので
もっと見学しようと思っています。

そして
隙間時間に
30数年ぶりに
小田原のお蕎麦屋さんに行きました。
いつだったか、
「今日のころころこころ」さんのブログに載っていて
とても懐かしかったのです。




とてもおいしかったです。




実家模様。

2024-08-16 14:08:00 | 日記
救急車に乗り込んだのは
今回がはじめてだったかもしれない。
呼んだことは何度かあったけれど。

救急車の車内は
天井が高くて一つの部屋みたいだった。
ベッドに横たわっている母に
3人の救急隊員が変わりがわりと
母に質問をするのだけれど、
耳の遠い母は
たぶんあまりはっきり聞こえなかったと思う。

母の話によると
「夜中にトイレへ行き、
気持ちが悪くなり、吐いて、
それから
便器を抱えるようにして
朝、ヘルパーさんが来るまで
じっとしていた」

「ヘルパーさんが助けてくれて
ベッドまで連れて行ってくれて
寝かせてくれた」

母の右足の膝から下が赤く
腫れていて熱を持っていた。

熱は39度。

行き先の病院は
近くの行きつけの病院にすぐに
決まったが、
母の状況や問い合わせなどで発車まで
20分はかかったと思う。

病院の診断によると
蜂窩織炎(ほうかしきえん)の疑いと圧迫骨折でした。

高い熱は
蜂窩織炎の症状で
腰をひどく痛がっていたのは
骨折のせいだったようです。

こんなに高い熱ははじめて、と母。
そして、骨折は3回目。

流れを経験しているので
90歳、
きっと
なんとか乗り越えると思います。

14日の夕方に入院して
昨日の15時の面会で携帯電話を渡したら、
昨夜だけで10回の電話が私に来て
持って来てほしいものなど、
要望が盛りだくさん。
気持ちは少し元気になってきたようです。

見出しの写真は
今朝の台風7号の位置です。




ハンモック泊。

2024-08-10 06:32:00 | 日記
ハンモック泊はとても心地よいです。

寝ていると
蚊の訪問はありますが、
先日は秋の虫の声が響き、
蚊は一匹も訪れませんでした。

そして
夜中に必ず誰かが
ハンモックのそばを通り過ぎます。

最初に聞いた足音は
伐採した竹の上をミシミシガサガサと歩く音でした。
その音から想像すると
ある程度体重が重そうな感じでした。
しばらく続いたミシミシガサガサの音が一瞬、静かになりました。
たぶん、
ハンモックに気がついて
「???」と思って
立ち止まったのだと思います。
再びミシミシガサガサの音がして、
今度は
ピタリとその音がなくなりました。

まるでその存在(たぶんイノシシ)が
突然消えたみたいに。
私はそれが不思議でたまらなかったのです。
でも
あとから考えたら
伐採した竹がなくなり
土のところを歩いたので
足音がしなくなったのだと思います。

2度目に聞いた音は
伐採した竹の上を歩かないルートで誰か(たぶんイノシシ)が草の上を歩く音でした。
とても遠慮がちな上品な足音で
ハンモックのそばを通り過ぎました。
この時も実際に確認することはできませんでした。

3度目に聞いた足音は
あきらかに体重が軽そうな誰か
(猫かテンのような)の
軽やかな足音でした。

明け方(4時半少し前)には
ひぐらしの声が響きます。
それはとても幻想的で 
すばらしい音楽です。





実家模様など。

2024-06-30 20:49:00 | 日記
母90歳を車イスに乗せて
叔母(母の姉)の住まうホームを訪問しました。
叔母は
自分でこのホームを選び、
「パソコンと村上春樹の本があればいい」と言って
自らこのホームを住まいにしました。
部屋には
叔母の愛したバスクの写真と
ピカソの「ゲルニカ」が掛かっています。
今は
もう本を読むことも
パソコンを開くこともありません。
でも
叔母はとてもおだやかに
過ごしているようです。







見出しの写真、
叔母の膝には
母があげたクマのぬいぐるみが
ちょこんとのっています。