ああいえばぐ~

ようととんぼの、日常のあれこれ、趣味の話、旅行の話、グルメな話などなど。。。

おばあちゃん

2009年02月18日 | 介護
by とんぼ 

今日お話ししたおばあちゃん、90歳になるのに、生まれてこのかた、洋服は着たことがないという方。
いつも素敵に着物を着こなしていらっしゃいます。
段のないサラサラの白髪が、ちょっとインテリな感じも受けます。
その方が41歳の時に、ご主人が亡くなってしまったそうです。

『私みたいに不細工な女には勿体ないくらい良い人でした。静かで頭の良い人だったんです』

『だから私も、静かで優しいおばあちゃんでいたいと思ってるんですよ』

『この年になってこの身体では、人様に良いことなんてしてあげられるわけがない。だからせめて・・・と、そう思うんです』

そう話してくれました。
ご主人が亡くなった当時、一番上のお子さんが大学生、一番下のお子さんは小学生だったとか。
女で1つで子育てと生活の維持、大変だったでしょうに・・・
随分と苦労なさったんでしょうに・・・
そんなことを微塵も感じさせない、穏やかなお顔と話し方をされる方です。

『こんなこと、人様に言うことでもないのに、嫌だわ』と、照れ笑いしてみせるその方が、とっても素敵に思えました。
普段拝見していて、静かで自我を出さない、頭の良い方だなぁとは思っていました。
ご主人と2人静かに坐っていても、心は通いあっている、心で会話している、そんな感じだったのかなぁと勝手に想像していたら、『素晴らしいなぁ・・・』と、思わず涙がこぼれてしまった私です(*・_・*)ゞ
感動しました。

私も、こんな穏やかなおばあちゃんになりたいと思いました。
・・・が、まだまだ修行が足りません


悲しい事

2008年01月26日 | 介護
by とんぼ

私の父も、3年前に亡くなりました。
2回の脳梗塞で脳血管性の認知症が徐々に進み、最後の1年位は福祉施設に入所していました。
認知症になって、父の悪い所だけが残ったような感じになってしまいました。
しかも、クローズアップされた状態で・・・。
施設の人の言うことを聞かなかったり、他の入所者さんとトラブルをおこしたり、問題児でした。
面倒を見ていたのは姉でしたが、姉が面会に行くと、姉を大きな声で罵倒したりするので、姉の精神状態も最悪でした。
姉のストレス発散の相手は私。
だから、私の精神状態も悪くなりました。
脳梗塞でも麻痺等の後遺症はなく、最初は『軽く済んで良かった』と喜んでいたのです。
でも終盤は『一気に死んでしまえば良かったのに・・・』と思うようになりました。
『こんなこと思ったら、そう思ったということを後で後悔するだろうな』と思いつつ、思わずにはいられない厳しい現実がありました。
ようのお友達と同じです。
父が亡くなった時、悲しい気持ちと同時に、『あぁ、終わった・・・』と思いました。
薄情だと思われるかもしれません。
でも、それだけ介護って大変なことだと実感しました。
24時間、『いつまで』という期限がないのが介護です。
父は3回目の脳梗塞が致命的になって、意識もなくなり、呼吸状態も悪くなって、いつ呼吸が止まってもおかしくない状態になりました。
それはわかっていたけれど、でも『その時』は、やっぱり急におとずれました。
『明日呼吸が止まる』とか『2時間後に呼吸が止まる』なんて、神様にしかわからないことですから。
姉と交代して私が家に戻っている間に、父は亡くなりました。
『急』でした。
『何で今なの?』って思いました。
だから『今が大事』って実感しました。
今父を思い出すと、病気になって困らせられた時の父を先に思い出します。
元気な頃の父は、その後です。
それが、悲しいです。

暗い話になってしまいました  ごめんなさい


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失って気づくもの

2008年01月25日 | 介護
byよう
友達のお母さんが亡くなりました。
昔から病気がちで彼女が家の事やってていつも大変だなって思ってた。
結婚後も同居してたんだけど2年前にお父さんが亡くなってお母さんも入退院を繰り返しながら生活してました。
先日久しぶりに会って話しした時介護が大変。自分の時間がないし、お母さんはわがままだし、入院して欲しいって言ってた。
まさかこんな事になるなんて思わんかった・・・
今ようの親は元気だけど人っていつどうなるかわかんないよね。
両親いなくなるって想像が付かないし、ようのばぁばもかなり年だけど想像もできないよ・・・