人間というのは不思議なもので、何か期待して行った時に、目の前の現実の様子を観て期
待以上だとすごく感激するが、期待外れの場合はひどく落胆するとともに、無駄な時間とお
金を使ってしまったと思うものですね。
今回京都訪問は、本法寺を訪ねるのが大きな目的であり、大きな期待を持って行きました。
今回本法寺を訪れたのは2つの理由があり、一つは長谷川等伯の「沸涅槃図」と本阿弥光悦
の「巴の庭」を観ることでした。
「沸涅槃図」は原本でなく原寸大の写真が展示されていましたし、また「巴の庭」も国指
定の名勝とされていましたが、書院から眺める庭は室町時代の書院風枯山水の影響があるよ
うな気がしましたが、いまいち心に伝わってくる力が弱い感じを受けました。
このように期待して行った本法寺でしたが、テンションが下がってしまったと言うのが正
直な感じでした。本法寺を訪れた後のこのような状態の時に、道案内標識にあった妙蓮寺の
名前が自然と目に飛び込んで来たという不思議な縁で、何気なく妙蓮寺を訪れました。
妙蓮寺は、本門法華宗の大本山で、卯木山と号し、日像上人を開基としています。永仁2
年(1294)に、柳屋仲興入道妙蓮法尼が、日像上人に帰依して、西洞院五条の邸を寺に
改め、柳寺と称したのがこの寺のはじめとのことでした。その後たびたび寺地をかえ、天正
15年(1587)に豊臣秀吉の聚楽第造営のとき、今の地に移り現在の建物は、天明の大
火(1788)後の再建だそうです。
寺務所に拝観出来ますとの看板が掲げられたいたので、ちょっと寄ってみようかとの軽い
気持ちで扉を開けました。奥には女性の方が一人だけおられ、拝観の旨を伝えあがらせてい
ただきました。
この寺には、石庭があるのと奥書院の襖に描かれた幸野豊一画による四季の襖絵があるの
でゆっくりと観てくださいとの説明があり、石庭に面した表書院に案内されました。
そこで観た石庭の素晴らしさは言葉にならないものでした。今まで、京都の有名な枯山水
の庭は多く観てきたのでそれなりに目は肥えていると思っていましたが、また新たな発見を
した石庭でした。
この石庭は、桂離宮の造営に携わった妙蓮寺の僧侶 玉淵坊日首(ぎょうくえんぼうにっ
しゅ)の作庭で「十六羅漢石庭」(じゅうろくらかんせきてい)と呼ばれているものでした。
庭の中央にある青石は、臥牛石といい、豊臣秀吉公によって伏見城から移された名石であ
り、よく観ると涅槃像とも観えるし、他の15の石は羅漢を表し、真理に呼応する地涌の菩
薩を現しているともとれます。
16羅漢の庭であるにもかかわらず何故か石は15個しかないので、一つ石が足りない理
由に関して謎になっているとのことですが、私はこの庭を観る人が最後の一人の羅漢であり、
観るものを入れてこの「十六羅漢石庭」は完結するように作られているのではないかと思い
ました。
臥牛石(青石が永遠の仏陀を表現)と15の羅漢石の間は白砂が敷き詰められており、か
つそれらの間には心の繋がりが波紋に表現されているような感じさえ受けました。これらの
庭が無限の宇宙を現しているといっても過言ではないと言えます。
この庭ですが火災による損傷が激しかったとのことで、近年に至って造園当時の姿に復元
されたとのことです。京都でも妙蓮寺は意外と知られていない寺にもかかわらず、素晴らし
い石庭があり、さらに現代画家の作ではありますが四季の襖絵は素晴らしいものでした。特
に「秋の山」は日本人の心を素直に表した、何故かほっとする心を感じました。
今回の京都訪問は、何か不思議な縁で妙蓮寺を知り、そこでまた新たな感動の出会いがあ
り、世界が広がった感じを受けました。縁とは本当に不思議なものですが、必然的なもので
もある思っています。紅葉の季節にまた訪れてみたいと感じた妙蓮寺でした。
待以上だとすごく感激するが、期待外れの場合はひどく落胆するとともに、無駄な時間とお
金を使ってしまったと思うものですね。
今回京都訪問は、本法寺を訪ねるのが大きな目的であり、大きな期待を持って行きました。
今回本法寺を訪れたのは2つの理由があり、一つは長谷川等伯の「沸涅槃図」と本阿弥光悦
の「巴の庭」を観ることでした。
「沸涅槃図」は原本でなく原寸大の写真が展示されていましたし、また「巴の庭」も国指
定の名勝とされていましたが、書院から眺める庭は室町時代の書院風枯山水の影響があるよ
うな気がしましたが、いまいち心に伝わってくる力が弱い感じを受けました。
このように期待して行った本法寺でしたが、テンションが下がってしまったと言うのが正
直な感じでした。本法寺を訪れた後のこのような状態の時に、道案内標識にあった妙蓮寺の
名前が自然と目に飛び込んで来たという不思議な縁で、何気なく妙蓮寺を訪れました。
妙蓮寺は、本門法華宗の大本山で、卯木山と号し、日像上人を開基としています。永仁2
年(1294)に、柳屋仲興入道妙蓮法尼が、日像上人に帰依して、西洞院五条の邸を寺に
改め、柳寺と称したのがこの寺のはじめとのことでした。その後たびたび寺地をかえ、天正
15年(1587)に豊臣秀吉の聚楽第造営のとき、今の地に移り現在の建物は、天明の大
火(1788)後の再建だそうです。
寺務所に拝観出来ますとの看板が掲げられたいたので、ちょっと寄ってみようかとの軽い
気持ちで扉を開けました。奥には女性の方が一人だけおられ、拝観の旨を伝えあがらせてい
ただきました。
この寺には、石庭があるのと奥書院の襖に描かれた幸野豊一画による四季の襖絵があるの
でゆっくりと観てくださいとの説明があり、石庭に面した表書院に案内されました。
そこで観た石庭の素晴らしさは言葉にならないものでした。今まで、京都の有名な枯山水
の庭は多く観てきたのでそれなりに目は肥えていると思っていましたが、また新たな発見を
した石庭でした。
この石庭は、桂離宮の造営に携わった妙蓮寺の僧侶 玉淵坊日首(ぎょうくえんぼうにっ
しゅ)の作庭で「十六羅漢石庭」(じゅうろくらかんせきてい)と呼ばれているものでした。
庭の中央にある青石は、臥牛石といい、豊臣秀吉公によって伏見城から移された名石であ
り、よく観ると涅槃像とも観えるし、他の15の石は羅漢を表し、真理に呼応する地涌の菩
薩を現しているともとれます。
16羅漢の庭であるにもかかわらず何故か石は15個しかないので、一つ石が足りない理
由に関して謎になっているとのことですが、私はこの庭を観る人が最後の一人の羅漢であり、
観るものを入れてこの「十六羅漢石庭」は完結するように作られているのではないかと思い
ました。
臥牛石(青石が永遠の仏陀を表現)と15の羅漢石の間は白砂が敷き詰められており、か
つそれらの間には心の繋がりが波紋に表現されているような感じさえ受けました。これらの
庭が無限の宇宙を現しているといっても過言ではないと言えます。
この庭ですが火災による損傷が激しかったとのことで、近年に至って造園当時の姿に復元
されたとのことです。京都でも妙蓮寺は意外と知られていない寺にもかかわらず、素晴らし
い石庭があり、さらに現代画家の作ではありますが四季の襖絵は素晴らしいものでした。特
に「秋の山」は日本人の心を素直に表した、何故かほっとする心を感じました。
今回の京都訪問は、何か不思議な縁で妙蓮寺を知り、そこでまた新たな感動の出会いがあ
り、世界が広がった感じを受けました。縁とは本当に不思議なものですが、必然的なもので
もある思っています。紅葉の季節にまた訪れてみたいと感じた妙蓮寺でした。
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