昨日、新しいシーズンの開始であるN響の9月定期演奏会を聴いてきました。指揮者は、
ドイツのドレスデン生まれで、今年79歳の名匠ハンス・ドレヴァンツでした。10年振り
にN響を振るとのことで、期待して会場へ向かいました。
後期ロマン派の大作が得意とのことですので、今回の演奏曲目である、マーラー/交響曲
第5番嬰ハ短調は最適なものかも知れません。また、前半にソ連の作曲家であるデニソフの
絵画(1970)という現代曲が用意されていました。
演奏会のはじめに今年の7月27日に逝去した、指揮者ホルスト・シュタインを悼んでバ
ッハの組曲第3番ニ長調BWV1068から「アリア」が演奏されました。ホルスト・シュ
タインは好きな指揮者の一人でしたので非常に残念でした。偉大な指揮者がまたこの世から
あの世へ旅立っていきました。
追悼演奏はとても厳粛な中に暖かい思いが込められた演奏でした。通常のバッハの厳しい
面が抑えられ、優しさが前面に出ていた演奏であったと思いました。演奏終了後、だれも拍
手をせず、静かに指揮者のハンス・ドレヴァンツが舞台の袖に消えて行った後に、楽団員も
いったん全員がいなくなる形で行われました。ちょっと感動モードに入った感じを受けまし
た。
さて、当日の演奏ですが、前半のデニソフの絵画(1970)という現代曲ですが、以前
から現代曲に関して述べているように、頭の固い私には今の現代音楽は全く理解できない範
疇に入るもので、聴いていて苦痛になります。
絵画であれば目に入って来たものを、いままでの人生経験を通して自分の心でいったん消
化して考えることができるので、近代絵画に関してはまだ許容範囲にありますが、現代音楽
は音が強制的に入って来るとともに、消化し感じようとしている矢先にまた次の音が飛び込
んでくるという繰り返しになり、石頭で保守的な対応しか出来ない今の自分にとっては、理
解することは至難の技です。
ですから、現代音楽に関しては一生かかっても理解できないと思います。そのために時間
を費やすのであれば、現代音楽以外のジャンルの作曲家の作品をさらに聴き、それぞれのさ
らに奥に秘められた感動の深さを味わいたいと考えています。
休憩後は、ドレヴァンツが得意としているマーラーの交響曲でした。今回のマーラー/交
響曲第5番嬰ハ短調ですが、今から15年ほど前に、アムステルダムでテンシュテットの指
揮によるロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団により初めて聴きました。
それまで気違い音楽家と思っていたマーラーの作品をその時に聴き、何故か涙が自然と流
れて止まらない不思議な体験をしました。その頃は感動する心が今まで以上にあったのだと
思います。あの感動はいまでも覚えています。ですから、初めて聴く曲でこのような体験を
してしまうと、次に同じ曲を聴くと自然に比較をしてしまうので本当は、いけない聴き方を
してしまいます。
今回のドレヴァンツの演奏もは、普通以上の演奏だったと思いますが、最終的にはいろい
ろな点に関してケチ付ける結果になってしまいました。最も不満だったのは、マーラー独特
なテンポ、強弱、音色に関して、異なった位置づけのパート間で連携をとる際の連続性がな
かった感じを受けました。
流れるような感覚がなく、どこかパート・パートで独自にクローズしてしまっていたよう
に聴こえました。言葉で表現しているので感覚を十分に伝え切れていないのは残念ですが、
私にとってのいい演奏と異なるものであったことは確かでした。
マーラー/交響曲第5番嬰ハ短調は、人生の起伏を現したものと個人的に捕らえています。
ですからあるときは感傷的にまた悲劇的に、またあるときは狂ったように突進するとか、我
を忘れてしまうほど官能的にとか、何しろ人生で生じるあらゆる事象がいろいろな場面に散
りばめられているように感じています。
それも立ち止まらずに連続して延々と続くことが人生であり、それを現しているのがマー
ラー/交響曲第5番嬰ハ短調だと今でも思っています。ですから今回の演奏はちょっと残念
なものでした。常に名演奏には恵まれないのが普通ですので、名演奏に恵まれるようにまた
次回も演奏会場に足を運びます。
ドイツのドレスデン生まれで、今年79歳の名匠ハンス・ドレヴァンツでした。10年振り
にN響を振るとのことで、期待して会場へ向かいました。
後期ロマン派の大作が得意とのことですので、今回の演奏曲目である、マーラー/交響曲
第5番嬰ハ短調は最適なものかも知れません。また、前半にソ連の作曲家であるデニソフの
絵画(1970)という現代曲が用意されていました。
演奏会のはじめに今年の7月27日に逝去した、指揮者ホルスト・シュタインを悼んでバ
ッハの組曲第3番ニ長調BWV1068から「アリア」が演奏されました。ホルスト・シュ
タインは好きな指揮者の一人でしたので非常に残念でした。偉大な指揮者がまたこの世から
あの世へ旅立っていきました。
追悼演奏はとても厳粛な中に暖かい思いが込められた演奏でした。通常のバッハの厳しい
面が抑えられ、優しさが前面に出ていた演奏であったと思いました。演奏終了後、だれも拍
手をせず、静かに指揮者のハンス・ドレヴァンツが舞台の袖に消えて行った後に、楽団員も
いったん全員がいなくなる形で行われました。ちょっと感動モードに入った感じを受けまし
た。
さて、当日の演奏ですが、前半のデニソフの絵画(1970)という現代曲ですが、以前
から現代曲に関して述べているように、頭の固い私には今の現代音楽は全く理解できない範
疇に入るもので、聴いていて苦痛になります。
絵画であれば目に入って来たものを、いままでの人生経験を通して自分の心でいったん消
化して考えることができるので、近代絵画に関してはまだ許容範囲にありますが、現代音楽
は音が強制的に入って来るとともに、消化し感じようとしている矢先にまた次の音が飛び込
んでくるという繰り返しになり、石頭で保守的な対応しか出来ない今の自分にとっては、理
解することは至難の技です。
ですから、現代音楽に関しては一生かかっても理解できないと思います。そのために時間
を費やすのであれば、現代音楽以外のジャンルの作曲家の作品をさらに聴き、それぞれのさ
らに奥に秘められた感動の深さを味わいたいと考えています。
休憩後は、ドレヴァンツが得意としているマーラーの交響曲でした。今回のマーラー/交
響曲第5番嬰ハ短調ですが、今から15年ほど前に、アムステルダムでテンシュテットの指
揮によるロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団により初めて聴きました。
それまで気違い音楽家と思っていたマーラーの作品をその時に聴き、何故か涙が自然と流
れて止まらない不思議な体験をしました。その頃は感動する心が今まで以上にあったのだと
思います。あの感動はいまでも覚えています。ですから、初めて聴く曲でこのような体験を
してしまうと、次に同じ曲を聴くと自然に比較をしてしまうので本当は、いけない聴き方を
してしまいます。
今回のドレヴァンツの演奏もは、普通以上の演奏だったと思いますが、最終的にはいろい
ろな点に関してケチ付ける結果になってしまいました。最も不満だったのは、マーラー独特
なテンポ、強弱、音色に関して、異なった位置づけのパート間で連携をとる際の連続性がな
かった感じを受けました。
流れるような感覚がなく、どこかパート・パートで独自にクローズしてしまっていたよう
に聴こえました。言葉で表現しているので感覚を十分に伝え切れていないのは残念ですが、
私にとってのいい演奏と異なるものであったことは確かでした。
マーラー/交響曲第5番嬰ハ短調は、人生の起伏を現したものと個人的に捕らえています。
ですからあるときは感傷的にまた悲劇的に、またあるときは狂ったように突進するとか、我
を忘れてしまうほど官能的にとか、何しろ人生で生じるあらゆる事象がいろいろな場面に散
りばめられているように感じています。
それも立ち止まらずに連続して延々と続くことが人生であり、それを現しているのがマー
ラー/交響曲第5番嬰ハ短調だと今でも思っています。ですから今回の演奏はちょっと残念
なものでした。常に名演奏には恵まれないのが普通ですので、名演奏に恵まれるようにまた
次回も演奏会場に足を運びます。
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