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ゆうちゃんの独り言

モーツァルトが大好きで毎日欠かさず聴いています。人生の生き方は仏教で毎日般若心経を唱え、時間を見つけて寺巡です。 合掌

■ 鞄の中の手作り弁当!!

2009-02-14 16:04:06 | Weblog
 私に通勤用の鞄の中には、常にB5ノートPCが入っており、何かあった場合でもインタ
ーネットが繋がる環境にあればその場でほとんどの仕事がこなせるので重宝している。しか
しこれらを普通の鞄に入れて持ち歩いているが、普通の鞄にPCとそれに付随する電源ケー
ブルやインターネット接続機器、さらに最低限の書類と筆記用具、新聞、読みかけの文庫本、
常用の薬、さらにモーツァルトだけが入ったIpodで、ほぼぱんぱんの状態である。

 このような窮屈な状況の中で、今年から愚妻が作った弁当を入れることになった。愚妻が
弁当を作るきっかけとなったのは、年末年始に仕事で出勤したことに端を発している。年末
年始は勤務先のビルは全ての店舗が閉まっているので、どうしても昼食を用意して行かなけ
ればならなかった。

 その際に愚妻におにぎりを3つ頼んだのがきっかけとなって、今年から手作りの弁当を作
ってくれるようになった。昔々子供が学校に行っている時には弁当持参が原則だったので子
供用のついでに作ってくれていたが、さすがに子供が卒業した後は一つだけ作るのは大変な
ようで、自然と弁当がなくなり外食をするようになった。

 しかし、時々愚妻に対して外食は脂っこいとか、味が濃いので胃がもたれたり、さらに食
べるメニューが限定されてしまうようなことを話していたが、当時は手作り弁当の復活はな
かった。それがどのような気持ちの変化があったのか知らないが、今年から弁当を作ってく
れるようになった。正直言って手作り弁当は、どのような高い外食よりも美味しいと感じる。
結婚以来数十年間食べなれた味であるからだと思うが、本当に昼食を美味しく食べられる幸
せを感じている。

 歳をとって感じることは、食べるものに対して体から自然に発するものがあり、結果的に
食べるものが限定されてくるような気がしている。脂っこいものよりもよりさっぱりとした
ものとか、味も自然と薄味の嗜好になるとともに、食べる量も数十パーセント減少している。

 昔から言われている腹八分目というのが今の自分に合っているように思える。さらに歳を
重ねるうちに量は七分目、六分目と少なくなり、最後は仙人のように霞を食べて生きるよう
になるのではないかと思う。

 食べる量は少なくなっているが、反対に最近日本酒の量が多くなってきているのが気にか
かる。毎日のように飲みの誘いがあり、もともと断ることが出来ない性分であることと酒が
好きなこともあって、ここのところ飲む量が増えてきているので、注意が必要だと思ってい
るし、胃の調子も良くない。

 また歳のせいだと思うが、さすがに昔のように午前様になるようなことはほとんどなくな
ったが、一つだけ大変なのは、帰った後に弁当箱を洗うことだ。弁当を作ってもらっている
事に対する最低限の感謝の意味でも洗うように心がけているが、一度だけうっかり洗うのを
忘れて鞄の中に入れたままになっていたことがあった。

 そんなときは当然のことであるが翌朝、愚妻はすこぶる機嫌が悪い。丁重にお詫びし何と
か弁当を作ってもらって出勤したことがあった。なんだかんだで弁当を作ってもらうように
なって、弁当だけでなくいろいろなことに対して感謝する気持ちが強くなったことは事実で
ある。仏教でも感謝する気持ちは重要だと説いているが、何事も経験して初めてそのことの
大切さが分かるのだと思う。

 仕事に出かけるときに愚妻が作ってくれた弁当を窮屈な鞄の中に入れるのはちょっと難し
いが、工夫しながら入れ、ぱんぱんとなった鞄を持ち出かける小さな幸せは大切にしなけれ
ばならないと素直に思っているこの頃です。今日も朝は重い鞄が帰りには少し軽くなった鞄
をもちながらほろ酔い気分で帰宅する平凡な日々が続いています。 合掌

■ 第1637回NHK交響楽団定期演奏会を聴いて(Aプロ初日)♪♪

2009-02-14 16:02:14 | Weblog
 1月の初旬に、今年初めてのN響の定期演奏会を聴いてきました。演奏曲目はショスタコ
ーヴィチ/ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調作品77、シューベルト/交響曲第8番ハ長調
D.944「ザ・グレート」の2曲でした。指揮はN響初登場のデーヴィッド・ジンマンで、
ヴァイオリン独奏は、リサ・バティアシュヴィリでした。

 シューベルトの交響曲以外は、私にとって曲も指揮者も独奏者も全て初めて出会うもので
した。聴いた感想ですが、バティアシュヴィリのヴァイオリンは上手いと思いましたが、問
題はショスタコーヴィチの曲でした。

 いつも述べていますが、モーツァルトとかブラームスに凝り固まった私のような聴き手に
とってショスタコーヴィチの今回のヴァイオリン協奏曲は聴いていられません。なぜならば、
聴く側の心が安定しないからです。

 聴きながら常に不安が付きまとい、さらに音楽と自分の心の動きを同期させることが出来
ないことから、非常に強いストレスを感じます。最後は嫌になって寝てしまいました。聴き
ながら寝るには合っている曲かも知れませんなどと暴言を吐いてしまいたいほどです。

 ただし、吃驚したのはリサ・バティアシュヴィリというグルジア出身のヴァイオリニスト
の演奏です。生まれが1979年ですから今年で29歳です。すでに結婚しており、夫が名
オーボエ奏者のフランソワ・ルルーで愛娘がいるとのことです。

 演奏からはそのような生活感的な雰囲気は感じられませんでした。ただ、音が鮮明である
という強い印象を持ちました。これは才能であると思います。可能であれば、モーツァルト
やブラームスのヴァイオリン協奏曲を聴いてみたいものです。今後の活躍が期待される若手
ヴァイオリニストだと思いました。

 一方、指揮者のデーヴィッド・ジンマンですが、1936年アメリカのニューヨーク生ま
れで、往年の名指揮者ピエール・モントゥーに師事した後、各国のオーケストラを指揮しな
がら1985年にボルチモア交響楽団音楽監督としての活動を開始し、同楽団をアメリカ屈
指のオーケストラへ高めたとして評価されています。

 感じとしては、前回のメルマガで紹介したレナード・スラットキンに似ている感じを受け
ました。今年73歳になるマエストロですが、スイスのチューリヒ・トーンハレ管弦楽団の
首席指揮者に就任後、「ベートーヴェン交響曲全集」や他の作曲家の作品を録音するなど活
発な活動を行っていますが、CDの世界以外に日本では意外と知名度が低いと思います。今
回がN響に初登場となりました。

 さて、シューベルトの交響曲ですが、全体的に清楚でこじんまりとしたシューベルトでし
た。もともとシューベルトの交響曲は繰り返し部分が多く、緊張の糸が切れてしまいがちで
すが、今回はさらりと流したような感覚で、洋風ではなく和風的な演奏だったと思います。

 若い頃はいい曲だなぁと思う時期もありましたが、今回久しぶりに生演奏を聴いて感じた
のは、なんと退屈な曲との印象を持ちました。人間は本当にいい加減な生き物だと思います。

 昔涙を流しながら感動した曲が、人生の後半になって改めて聴くと何の感動もないことが
多くなります。人間として感動がなくなったら終わりだと思っているので、最近の演奏会で
感動を得ることが少なくなり、そろそろ人間として終わりなのだろうかと時々寂しくなる時
があります。昔のような感動を再度体験してみたいと思う今日この頃です。