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ゆうちゃんの独り言

モーツァルトが大好きで毎日欠かさず聴いています。人生の生き方は仏教で毎日般若心経を唱え、時間を見つけて寺巡です。 合掌

■ 肝っ玉が小さい貧乏性の凡夫の嘆き!!

2009-07-18 10:58:48 | Weblog

 6月の中旬から7月の上旬まで仕事上でなにかと忙しい日々が続き自分の時間が持てなか
ったのが残念でした。読みたい本は机の脇に積み上げられたままであり、また、個人的に興
味を持っている分野の勉強も手を付けることが出来なかったので、はっきり言って心の安定
が得られない時期でもありました。

 時々、全てを忘れて自分の好きな時間を過ごしたいと思いますが、こころのどこかであの
案件をそのままにして置くと後で困る事態が発生すると思ってしまうことから、好きなこと
をしているのに集中出来なくなりストレスが溜まってきます。

 やらなければやらないで済むのかも知れませんが、貧乏性とでも言うのでしょうか、少し
でも良くなるのであれば休みを削って対応してしまう自分がいます。決して褒められたいと
思うのではなく、やっていないことに対する申し訳なさというか、自分が怠けているような
感じを自然にもってしまう自分がいます。

 この点は特に日本人の最も悪いところだと思いますが、毎日が日曜日の状態になるまで、
続くのではないかと思います。西洋人にくらべ働き過ぎの悲しい一面が出てしまうのだと思
います。

 正直言って1年のうちで本当に休みを自由に使ったという記憶はほんの僅かです。このよ
うな状態は、社会人になって部下を持つようになってから続いていますので、もうかれこれ
30年以上の生活様式です。本来のあるべき姿でないこては良く分かっていますが、ついつ
い現実のことを考えてしまい、結果的にはいつも仕事をしている感じです。

 このような光景を結婚以来見続けている我家の愚妻は何も言いません。多分このようなこ
とが世の中で普通の事であり、誰もが行っていると思っています。さらに、最近のこのよう
な不況の時代に至っては、反対に会社を首にならないようにしっかりと仕事をして!と、叱
咤激励されてしまう始末です。

 人間は何事に対しても徹底的に行うことが重要だと時々思います。仕事をしないなら徹底
的に仕事をしない、仕事をするのなら徹底的に行うことです。この辺のスイッチの入れ方を
間違えると何事も上手く動かないことになります。

 好きなことを優先に行い、仕事はそこそこに対応するのと、徹底的に仕事をしながら僅か
の時間を利用して自分の好きなことを行うのとどちらがよいのか迷うことがあります。

 しかし、あと数年で完全に退職する時期が迫っていることを考えると、その時点で毎日が
日曜日になるから、好きなことはその時まで少し伸ばそうと考えてします貧乏性な私です。

 肝っ玉が大きくて自分勝手に振舞うようなことができる性格であったら、このような悩み
に陥ることはないと思いますが、今の自分が全てであるので、これが自分らしさだとも思っ
ています。結局、今の自分にしかなれないのが自分の人生だと割り切って生きることが、こ
の齢になると重要だと思えるようになりました。 合掌

■ 第46回リコーフィルハーモニーオーケストラ演奏会を聴いて♪♪

2009-07-17 23:42:59 | Weblog

 先日、知人がメンバーとして活躍しているリコーフィルハーモニーオーケストラの第46
回演奏会に出かけました。会場は後楽園の脇にある、文京シビックホール大ホールでした。
個人的には初めて訪れるホールであったので、ホールの響きやその他の設備に興味があり、
早めに会場に行き、内部を探索しました。

 このホールの印象ですが結論的に言ってとても気に入りました。プロセニアム形式のホー
ルで、収容人員が1800名と大きくもなく、また小さくもなくさらに2階席までしかない
ところが好きです。残響時間も2秒程でとても耳心地よく聴こえるホールでした。

 さてこの日の演奏曲目ですが、フンパーディンクの歌劇「ヘンゼルとグレーテル」前奏曲、
リストの交響詩「前奏曲」、ベートーヴェンの交響曲第3番変ホ長調「英雄」でした。どの
曲も有名な曲なので、それぞれに楽しめる曲でした。

 当日の演奏ですが、指揮は井崎正浩でした。井崎は、1960年福岡市に生まれ、21歳
の時に声楽及び合唱指導法を学ぶためウィーンに出かけ、ここでの勉強中に指揮者を志した
ということですから、なかなか行動力のある人物だと思われます。

 また26歳からアマチュアオーケストラを指揮し始め、1995年5月のブダペスト国際
指揮者コンクールに優勝してからは、一躍注目を浴びてプロ指揮者としてデビューし今日に
至っているようです。

 2007年にソルノク市音楽総監督に就任した中堅指揮者で、演奏を聴く限り才能がある
方だと思いますが、さらに世界で活躍するためには、より多くのオーケストラとの共演を実
現し、自己の能力をアピールする必要があると思います。

 アマチュアオーケストラを指揮することに関しては、なにも言いませんが、同じ才能を使
うのであればよりレベルの高いプロのオーケストラを指揮し、日本の柔軟な心により西洋音
楽の新たな感性を多くの聴衆に示してほしいと思います。

 さて当日の演奏内容ですが、始めの曲である歌劇「ヘンゼルとグレーテル」前奏曲は、ま
だオーケストラ全体で音をお互いに聴きながら演奏する準備段階であったので、今一歩の内
容でした。ひとことで言えば盛り上がりに欠けていました。

 2曲目のリスト交響詩「前奏曲」はかなり内容が良くなり、少しずつ心や感情が入ってき
た印象を受けました。

 最後のベートーヴェン交響曲第3番変ホ長調「英雄」ですが、3曲の中では一番優れた演
奏内容であったと思います。ただところどころで、弦楽器の低音部に力強さが足りないと思
われる個所がありました。弦楽器全体に言えるのは、弓と弦が表面的な優しい関係であり、
相互に吸いついている感じがなかったことが、力強さや弦の響きに魂が入っていないように
聴こえる原因になっていると思います。

 また、木管楽器の中でフルートの音色が全体の音楽の流れの中で曇っているような感じを
受けたので、余計にベートーヴェンらしくなっていないのが気になりました。

 個人的に素晴らしいと思ったのはオーボエで、特にリスト交響詩「前奏曲」では歌ってい
る心が音に現われており、素晴らしいと思いました。ベートーヴェンのときはセカンドを吹
いていましたが、できればファーストを吹いて欲しいと思うくらいに、歌うオーボエを久し
ぶりに聴きました。

 普段はモーツァルトしか聴かないのですが、久しぶりにベートーヴェンを聴き、懐かしさ
が蘇りました。いろいろな点で改善してほしい個所はありましたが、アマチュアオーケスト
ラですので、このレベルまで演奏できれば素晴らしい出来に入ると思います。

 プロのオーケストラの演奏では大きな誤りは起こしませんが、反対にスリルがないのが難
点の場合があります。その点、アマチュアオーケストラは何が起きるか分からないのでドキ
ドキしながら聴けるので、個人的には、真面目な思いで満足できた演奏会でした。

 次回は来年の2月に川崎シンフォニーホールで開演されるとのことですので、可能な限り
聴きに行こうと思っています。

■ 七年に一度の盛儀 善光寺御開帳「牛に引かれて善光寺まいり」!!

2009-06-07 23:46:09 | Weblog
 善光寺と言うと昔ばなしの中で「牛に引かれて善光寺まいり」がすぐに頭に浮かびますが、
詳しい話の内容が分からなかったので調べてみました。話の舞台は、栗で有名な信濃国小諸
であり、ここに不信心な老婆が住んでいたそうです。

 ある日、川で白布を洗濯し軒先で干していたところ、どこからか一頭の牛が現れて角で布
を引っかけ走り出したそうです。老婆はその牛を追いかけ、なんと善光寺まで追いかけて来
て突然に消えてしまったといいます。

 日が暮れたので、老婆はお堂に入ってみると光明に照らされて、牛のよだれが「牛とのみ
思いすごすな仏の道に 汝を導く己の心を」と読めたことで、不信心な老婆の心に仏の心が
芽生え、すっかり信心深い人間に生まれ変わってしまったとのお話です。

 何か今の自分にも当てはまるような気がしてなりません。人間は本来素直であるべきであ
り、さらに正しい心を持って道を生きる必要があります。しかし、悲しいかな凡夫にとって
は、多くの煩悩に支配され、なかなか正しい道を歩めないのが現状です。

 さて、今から15年ほど前ですが一度だけ善光寺を訪れたことがあります。本堂床下の真
っ暗な回廊を手探りで巡り、ご本尊である一光三尊の阿弥陀如来にかかる極楽の錠前に触れ
て、ご本尊と結縁を果たすことで有名な戒壇めぐりをしました。

 しかし、そのころは仏教には全く興味がなく、ましてや仏像を拝みたいと言うような心も
持ち合わせていなかったので、単なる観光感覚で立ち寄っただけでした。今考えると不謹慎
極まりない振る舞いであったと反省しています。

 その後仏教に興味を持ち始めた頃から、再度善光寺を訪れて秘仏である御本尊一光三尊阿
弥陀如来の御身代わりとして鎌倉時代に作られた御本尊の前立本尊を、一度拝顔したいとの
思いが強くなりました。

 普段は大勧進の宝庫に安置されている前立本尊ですが、七年に一度の御開帳の時だけ、特
別に拝むことが叶うとのことで、日程的にきつい工程でしたが5月の下旬に日帰りで参拝し
てきました。

 前立本尊は、ひとつの光背の中央に阿弥陀如来、向かって右に観音菩薩、左に勢至菩薩が
並ぶ、善光寺独特の一光三尊阿弥陀如来となっています。このようにひとつの光背の中に三
尊が並んでいる仏像は非常に稀ではないかと思います。その姿は金色に輝き遠くから拝顔し
ても眩しいばかりの光を放っていました。

 この御本尊の前立本尊の右手に結ばれた金糸は、五色の糸から白い綱として本堂前の回向
柱に結ばれています。この回向柱に触れることは、前立本尊に触れるのと同じことで、ご本
尊と結縁を果たすことになります。私が訪れた日は、平日であったので1時間程並んで無事
に回向柱に触れることが出来ました。気のせいだと思いますが、心が軽くなった感じを受け
たことは確かです。

 前立本尊と回向柱以外に興味を持ったのは、本堂の内陣と内々陣を隔てる3枚の欄間には、
来迎二十五菩薩像が燦然と輝いていることでした。これらの来迎の彫像も前立本尊と同様に
金色に輝いていましたが、不思議と派手さは感じず、反対に安堵感が伝わって来るようでし
た。

 これらの来迎二十五菩薩像ですが、以前に宇治の平等院を訪れたときに出会った木造雲中
供養菩薩像と同じ感動を受けました。平等院の木造雲中供養菩薩像は木製で質素な趣があり
ますが、善光寺の来迎二十五菩薩像は金ぴかであるにもかかわらず、不思議と落ち着きを感
じました。これらの来迎二十五菩薩像は、極楽浄土からこの世へと阿弥陀如来と菩薩が往生
人を迎えに来る様子を現しています。

 善光寺は過去に十回以上火災にあっているとのことですが、1400年もの間途絶えるこ
となく今のこの世に仏教の定着を願って生き続けています。歴史の流れに偉大さを感じます。

 今回の善光寺御開帳に出かけ、また改めて仏教の奥の深さと人間の信心に感じ入るものが
ありました。善光寺の本堂、大勧進、大本願と釈迦堂をお参りし、それぞれ御朱印をいただ
きました。充実した一日を過ごしました。

 帰路に着くときに信州の山裾に落ちる夕日を見ながら、自然の美しさが目に染み入るとと
もに、自然界に中で生きている人間が中心ではなく、人間は他の生き物と全く同じ位置づけ
にあるものであると再確認した次第です。 合掌

■ 第1649回NHK交響楽団定期演奏会を聴いて(Aプロ初日)♪♪

2009-06-07 23:44:19 | Weblog
 今回の定期演奏会は、全4曲とも古典ではなく20世紀前半の作品ばかりでした。前半が
ストラヴィンスキーとプロコフィエフというロシアの作曲家たちの作品であり、後半はラヴ
ェルとドビュッシーのフランスものが続き、とても対照的な選曲だと思われます。

 指揮はジョナサン・ノットという1963年イギリス生まれの指揮者でした。2000年
以来バンベルク交響楽団の首席指揮者として活躍中の中堅指揮者です。当初はオペラハウス
でキャリアを積み、現在では現代音楽にも精通しているとのことで、興味がありました。

 演奏曲目ですが、ストラヴィンスキー/管楽器のための交響曲、プロコフィエフ/ヴァイ
オリン協奏曲第1番ニ長調作品19、ラヴェル/優雅で感傷的なワルツ、ドビュッシー/交
響詩「海」でした。

 どの曲も個人的には苦手な分野にはいるものばかりです。最近のN響の演奏曲目で、本来
古典と呼ばれる曲の演奏が少なくなっている感じがしましす。近・現代音楽を無くせとはい
いませんが、もう少し古典の雰囲気を味わう曲目を入れて欲しいと思います。

 今後N響に登場する指揮者は、当然のことですが若い指揮者が中心になります。そのよう
な中で近・現代音楽にチャレンジし、力量を示すことは本人のため、また現在の音楽をさら
に発展させるために必要なことと思いますが、私のように還暦が目前の年齢で、さらにモー
ツァルトに凝り固まった頑固な凡夫には、いまさら近・現代音楽は不要なのです。

 さて、当日の演奏内容ですが、個人的にはプロコフィエフとラヴェルはその内容が良かっ
たと思います。特にヴァイオリンの庄司紗矢香ですが1715年製のストラディヴァリウス
から奏でられる音色は、とても不思議な感じを受けました。

 庄司の演奏方法ですが、弱音の演奏技術は抜群だと思います。全ての楽器に共通でいえる
ことですが、しっかりとした弱音を出すことに対する難しさがあることです。今回の庄治の
ヴァイオリンからはこの弱音の素晴らしさが特に際立って伝わってきました。

 また、演奏している姿勢も堂々としており、体全体から出てくる音楽の美しさを見ながら、
才能を持った人は違うなぁと感じました。個人的には好きなヴァイオリニストの部類に入る
と思いました。モーツァルトのヴァイオリン協奏曲でも弾いてくれるといいのですが・・・

 さて、アンコールですがバッハの無伴奏ヴァイオリンソナタ第3番からラルゴを演奏しま
した。聴いていて他の人が演奏するバッハとは異なる視点での演奏で、とても新鮮に感じま
した。それは心が暖かくまたまろやかで清楚でゆったりとした感情が湧き出てくるようなも
のでした。久しぶりに嬉しくなるような演奏が聴けて幸せでした。

 また、ラヴェルの「優雅で感傷的なワルツ」ですが、初めて聴く曲でしたが聴いた瞬間か
らフランス音楽だと確信できる楽想でした。もともとピアノ曲をオーケストラ向けに編曲さ
れたものです。全体で8曲からなる作品ですが違和感なく流れるように聴けるものでした。

 指揮者のジョナサン・ノットが素晴らしいのだと思いますが、N響がこのようなフランス
音楽を高レベルで演奏できるのは、これまでにシャルル・デュトワが鍛えた結果がN響のな
かに残されたのではないかと思っています。日本のオーケストラでもここまでフランス的内
容で演奏できる楽団はほとんど無いと思います。

 今回の演奏会での収穫は、指揮者のジョナサン・ノットとヴァイオリンの庄司紗矢香でし
た。これから注目しながら音楽を聴いてみようと思いました。

■ バランス感覚は全ての原点!!

2009-05-30 12:23:22 | Weblog
 昨年の健康診断で高脂血症と胃にピロリ菌がいるので治療するようにとのコメントがあり
ました。高脂血症は遺伝性のもので、かれこれ30年程薬を飲み続けていますが、それでも
基準値をクリアできない状態です。

 このようような状態の中で、さらにピロリ菌ですからたまりません。すぐに行きつけの医
師に相談し適切な専門医を紹介してもらいましたが、結局行かずに今日まで来てしまいまし
た。

 常日頃ピロリ菌に関しては気になっていたので、日経新聞の健康欄のところ連載されてい
る「菌とつきあう」という内容に興味を持ってからは、今更ですがヨーグルトを毎日欠かさ
ず食べるようにしています。

 それもピロリ菌と戦う力をもったLG21という乳酸菌を食べています。統計上数週間食
べ続けると少し効果が出るとのデータを信用して取り組んでいます。人間とは面白いもので
効果があると初めから信じて取り組むと、その気になるものです。

 LG21を食べ続けて1週間程たったときに、不思議と胃の調子が良いと思われるように
なったのです。それ以来毎日欠かさず食べています。さらに先日TVを見ていたら腸内には
100兆個の細菌が生息し、これらは善玉と悪玉に分けられると聞いて笑ってしまいました。

 高脂血症の原因となるコレステロールにも同じように善玉と悪玉があるからです。これら
の菌やコレステロールと同じように、自然界の中にもこの相対するものの存在があり、これ
らが上手く調和して最良の状態を保っているのが通常ですが、どこかでこれらのバランスが
崩れたときにいろいろな弊害が生じるのです。

 また、人間の心の中も善の心と悪の心が常に同居しています。善の心で行動している間は、
人間として当たり前の状態で過ごしますが、反対に悪の心の下で行動すると、人間としてし
てはならない行動を引き起こすのです。

 このように人間の体もまた心も全て相対するものや状況が存在し、常に周りの環境や要因
に従ってバランスの調整が行われますが、調整が出来ない範囲まで達すると問題が発生する
のです。

 どんなに素晴らしい心の状態を維持できる人間でも、また強靭な肉体を持っている者であ
っても相対する要素のバランスが崩れると、それ以前の状態が嘘のように壊れてしまうので
す。

 このような状態にならないようにするためには、相対する要因に対して常に中庸という考
え方に従って冷静にまた素直に行動することが重要だと思いうのです。ただ中庸という概念
ですが、凡夫にとって着実に実行するのは難しいものだと思うこの頃でもあります。

■ 第1646回NHK交響楽団定期演奏会を聴いて(Aプロ初日)♪♪

2009-05-30 12:22:02 | Weblog
 N響の定期演奏会へ出かける場合は、原宿駅から代々木公園の脇を通ってNHKホールへ
歩いているが、毎回土曜日の夕方であることも影響し、やたら若者が多くおりそれぞれに特
徴のある行動をしている光景に出会います。

 路上で自信たっぷりに楽器を演奏したり、また持参の音響機器で歌で人の迷惑を考えずに
がんがんと歌っている。またその前を無関心に通り過ぎたり、あるいはじっと聞き入ってい
る若者達がいるのです。

 べつに若者を非難する気は毛頭ないが、不思議なことにこれらの若者に共通した特徴があ
ることに気づいたのです。それは自分を確実に認識できていなのに背伸びをして自分を大き
く見せたり、あるいは他よりも優れているといった過剰な主張する行動です。

 自由闊達で良いではないかと言う方がいると思いますが、根本的な面で自我が確立されて
いないのでは全く意味がないと思うのです。自由と責任と他人あるいは社会との関係をきち
んと理解しそして認識する必要があると思うのです。こんなことを考えながらNHKホール
に向かい、5月の定期演奏会を聴いたので今までとはちょっと異なる聴き方になってしまい
ました。

 さて、今回の演奏ですが、指揮者がオリ・ムストネンで、2曲目のピアノ協奏曲では弾き
振りをしていました。演奏曲目は、ムストネン自身の作品である3つの神秘(2002)、
ベートーヴェン/ピアノ協奏曲ニ長調(ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61の作曲者自身に
よる編曲)、シベリウス/交響曲第6番ニ短調作品104、シベリウス/交響詩「フィンラ
ンディア」作品26の4曲でした。

 演奏を聴いた感想ですが、ムストネン自身の作品である「3つの神秘(2002)」です
が、静寂とした楽想のなかに感情や主張が静かに流れる感じの曲で、現代音楽と少し異なる
内容のものでした。心に響く度合いで述べるのであれば普通レベルのものでした。

 2曲目のベートーヴェン/ピアノ協奏曲ニ長調(ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61の作
曲者自身による編曲)は、ムストネンのピアノ演奏が問題ではなく、もともとヴァイオリン
のために書かれた協奏曲をピアノ向けに編曲した内容であることから、表現に違和感を持ち
ました。

 独奏楽器の協奏曲はその楽器の魅力を最大限に発揮するために書かれるものなので、それ
を他の楽器に変えて演奏するのは意味がないことだと思います。せっかく注目されているム
ストネンのピアノが聴けると思ったのですが、非常に残念でした。ムストネンのピアノを聴
きながら気持ち的にはベートーヴェン/ピアノ協奏曲第4番を聴きたいと思いました。

 休憩後に演奏されたシベリウス/交響曲第6番ニ短調作品104、シベリウス/交響詩
「フィンランディア」作品26はフィンランド生まれの演奏家が自国の作曲家の作品を演奏
するので、安心して聴くことが出来ました。

 特に交響曲第6番はなかなか演奏される機会がないので真剣に聴きました。シベリウスの
他の交響曲と少し異なる楽想でしたが、素直に聴く事ができました。積極的に再度聴きたい
かといわれると遠慮する分野の曲でした。

 最後の演奏の交響詩「フィンランディア」は特に有名であり、学生の時に実際に演奏した
曲なのでいろいろ興味を持ちながら聴きましたが、N響の力量も加わわりレベルの高い演奏
でした。個人的に満足しました。

 ムストネンのピアノ演奏は注目されているようにいろいろな場で述べられていますが、私
から見るとピアニストよりも指揮者に専念して活動を続けて欲しいと思いました。誠心誠意
取り組む演奏家の印象を持ちました。指揮の特徴としては、エネルギーを丸い球体に閉じ込
めて、適宜膨らませたり調整するような演奏内容でした。

 少し満足感を味わいながら帰宅の途につきました。幸いなことに代々木公園の脇で演奏し
てた若者は誰もいなくなり、心に安らぎをもちながら駅まで歩けたのは幸いでした。

■ 慈悲と智慧が仏教の原点♪♪

2009-05-06 16:32:07 | Weblog

 五木寛之を通じて仏教の世界に足を踏み入れた私ですが、まさか自分が宗教に興味を持つ
とは思ってもみないことでした。それだけ自分としての人生の生き方が定めっていなかった
というか、曖昧な状況の中でただ単に生きていたのだと思っています。

 しかし、整理はされていませんでしたが、自分なりの生き方の基本は持っていたつもりで
す。さらに昔は、宗教に興味を持つ者は自我の確立が出来ていない弱い者であると、勝手に
決め付けて生きていました。中途半端に理解するこということは本当に恐ろしいことです。

 仏教の誕生の背景を釈迦の人生を通して学ぶと、その本質の偉大さに驚きを感じます。正
にその広さと深さの規模は宇宙と同じだと思います。今から2500年ほど前に釈迦が6年
間の苦行を通じて最終的に悟りを開き、その本質を弟子たちに分かりやすく教え、さらに当
時の迷える衆生を優しく救った釈迦の行動の根本にある仏教の教えは、今の時代にも何の遜
色もなく心に響くものがあります。

 仏教の教えの基本は慈悲と智慧に尽きると思います。慈悲は、常に相手の立場やそのとき
の状況を判断し、優しさをもって接し想いやる心を大切にすることです。もっと極端な言い
方をするとい自分を捨てて他人のために生きるとでも言うことだと思います。正に利他のた
めに生きることだと想います。

 この考えを今の時代の中で実践することは非常に難しいことです。今の世の中は個人の自
由を尊重することに重点を置きすぎている感じを受けます。教育がこの考え方で進んできた
ので、ゆとり教育を受けた若者に関しては、特に自我の成長の面で問題の多い実態が浮き彫
りになる事件や出来事が毎日のように生じています。

 個性は尊重しなければなりませんが、その基本となる自我を確立させるべきことがなされ
ていないことがもっとも大きな由々しき点です。あまりにも心の問題に注意を払わずに目に
見える物質中心の考え方が前面に押し出された結果が今の世の中で、物は溢れ便利で充実し
幸せそうに見えますが、個人の心はその形を成していないほどずたずたになっているのが正
直なところではないかと思います。

 誰もが釈迦のように優しい思いやりのある心を持って生まれてきているのに、心を重視す
る育て方を教育の場でも家庭という根本的な育成の場でも行われてこなかったのが、大きな
問題だと思っています。

 人間の生きるよりどころを自分で見つけられるような手助けをすべきだと思います。慈悲
を通じて得られる諸々の知恵を集積し、さらに人生の生き方に昇華することを通じて得られ
るものが智慧だと思います。

 262文字で構成されているお経である般若心経は、この智慧について説いたお経とされ
ています。素晴らしい内容が詰まった正に智慧の集大成が般若心経だと思っています。毎日
1回は般若心経を読むと心が晴れやかになること間違いありません。是非とも般若心経を手
にし音読してみて下さい。  合掌

■ メルマガ発行9年目を迎えて!!

2009-05-06 16:29:41 | Weblog

 2001年5月5日にメルマガの第1号を発行して、とうとう9年目に突入しました。思
い起こすとはじめの頃はただ単に好きなことを面白く書きながら過ごしていたのですが、回
を重ねるうちにだんだんと真面目なことを書きたくなり今日に至っています。

 最近は自分の生き方を整理するために時間を要することが多くなり、以前のように毎週発
行する時間がなくなりました。書きたいテーマはどんどん増えて行くのですがそれにともな
って知らないことがさらに増え、学ぶための時間が必要になるという無限サイクルに入って
しまい、なかなか抜け出せない状況に陥っています。

 さらに歳をとった事も影響しており、気力が落ちてきていることは確かです。昔であれば
ちょっとやそっとでは諦めなかった事が、最近では簡単に諦めてしまうことが多いこの頃で
す。

 気力が落ちるということは、それだけ人生の終わりに確実に近づいていることを物語って
います。これからは今まで以上に素直に生きることを信条として過ごして行こうと思ってい
ます。

 好きなモーツァルトと仏教を2つの柱として、残りの人生を歩むためには、これから先の
残された人生設計をしっかりとしたものにしておかないと、無駄な時間を過ごすことに成り
かねません。

 愚妻は年金がもらえるようになる65歳まではなんとしても働けと言っています。確かに
生きていくためにはある程度の収入を確保しておく必要があります。そのためにも年金が支
給される前までは働く必要があります。

 60歳を超えたら今までの経験を生かして、どこかの大学で講師でもしながら暮らせれば
いいなぁと勝手に思っていますが、そろそろ60歳に近づくので、自分なりの計画を実現す
るための行動にでなければならないと思っています。

 この1年がその勝負の年となるのではないかと思います。その際に何の分野を中心として
教えるのかとなりますが、いままで経験してきたなかでもっとも興味のあるシステム運用の
体系化に関して独自の世界を構築してみたいと考えています。

 そのためには、今から準備を行い関連する論文でも発表しながら少しづつ知名度を上げ、
第二の人生の就職口を捜すことにしなければなりません。老体に鞭打って新たな世界に乗り
出す準備を進めながら、その状況や心境をこのメルマガに書き記しながら自分の最後の夢を
追い求めてみたいと思っています。

 何かをしたいと思っている心があれば、歳に関係なく何事も出来ると思っていますので謙
虚な心で対応したいと想います。

 メルマガ発行から9年目を向かえ、新たな決意でこれから先も取り組んで行きますので、
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 

http://members3.jcom.home.ne.jp/don_giovanni/

■ 継続的な人生と命!!

2009-04-11 23:55:30 | Weblog

 最近のビジネスで話題となっているものに事業の継続性がある。事業の継続性とは、天災
やシステムの不具合の発生によりビジネスに大きな影響が出た場合に、どのような対処をす
るかを予め想定し、かつ準備を行いいざという場面であわてずに対応することを指す。

 この問題は非常に難しく事業継続性には正解がないというのが個人的な見解である。なぜ
ならば、どのような場合を想定するかによって対応の内容が大きく異なるだけでなく、検討
の範囲は限りなく発散し、検討自体が意味を成さない結論に落ち着くケースも出てくる。

 所詮、完全な事業継続性を求めるならば、常時現行と同じ内容のシステムを別な場所で同
期を取りながら稼動させておく必要がある。このように現状を継続させることは非常に大き
な労力や投資を伴うものである。

 ビジネスにおける継続性は難しい問題があったが、人生の継続性はどのように考えればよ
いのだろうか。人生の継続性が途絶えるときは、その人間の死を意味している。

 しかし、その死を除けば、人生は生まれたときから死ぬまでの期間の継続性は保障される。
最低限の食べ物と休息をとれる環境があれば、誰もが人生を継続することが出来る。単純に
考えても人生は素晴らしいと思える。しかし、どれほどの人間が人生に対してこの素晴らし
さを感じているのか疑問である。

 人間の素晴らしいところは、考えることが出来ることにあると思う。考えることが出来る
ということは、昨日よりも今日、今日よりも明日を良くすることが出来るということである。

 一日一日の小さな行動の積み重ねが、あるレベルに達したときに大きな飛躍に繋がる。普
段見ることの出来なかった新たな景色が見えてくるものである。そしてそこまで到達するま
での道のりに、ささやかな満足感がとても残るのだと思う。

 その気持ちの安らぎは、ちょうどモーツァルトのピアノ協奏曲の第二楽章の楽想を聴くと
きに感じるものと同じだと思う。何かゆったりとした心の動きの中に、ささやかな喜びと希
望と優しさを感じるのである。

 しかし、命には限りがあり、いつかは現世からあの世へ行かなければならない。その際に
個人を基準に考えると、命の継続性はその時点で途切れるものであるが、その人間が生きた
その様は、周りの人の心の中に残ることから、形を変えて継続することが出来る。

 さらにその人の心を通じて、他の人へ伝承されるとすると、確実な継続性に変化する。命
が心へ変化し、継続されるのである。反対に今生きている自分の心の中には、いままで他人
から影響を受け、何らかの形で感動した事象の記録が残っている。すなわち他人が自分の中
で継続していることにもなる。

 このように人生を考えると、他人と自分を比べることに意味がなく、個人にとっていかに
充実した人生を送るかが大きな意味をもつのだと思う。

 最近、仏教を中心とした柔軟で素直な心を持ち続けることの重要性を感じながら、日々少
しですが反省と改善を行っているのです。人生は継続が基本です。

■ 第1643回NHK交響楽団定期演奏会を聴いて(Aプロ初日)♪♪

2009-04-11 23:53:26 | Weblog
 昨日N響の定期演奏会に出かけました。いつも原宿の駅で降り、代々木公園の横を歩いて
NHKホールに行っていますが、ちょうど桜の開花の時期と重なったことから、駅は超満員
で歩くのがやっと状態でした。

 さらに代々木公園の横はいつものように屋台が軒を連ねていて、多くの人が屋台の前で、
たこ焼き、お好み焼き、フランクフルトなどを求めて並んでいる状況でした。世の中不景気
と騒がれていますが、あの状態だけで判断すると全くそのようなことは感じられない状況で
した。

 さて、当日の演奏内容ですが、R.シュトラウス/ 4つの最後の歌とワーグナー(ヘンク
・デ・フリーハー編)/ 楽劇「ニーベルングの指環」―オーケストラル/アドベンチャー
(1991)という演目でした。後者の演目は初めての曲で興味津々でした。

 R.シュトラウスの管弦楽曲は好きですが、どうも歌が入ったR.シュトラウスの曲はち
ょっと苦手意識があります。曲目にあるように4つの歌曲で構成されるもので、個人的には
3曲目「眠りの前に」と4曲目「夕映えにて」が良かったと思います。特に4曲目はR.シ
ュトラウスの特徴が良く現されたものだと思いました。

 休憩後の曲目はワーグナー(ヘンク・デ・フリーハー編)/ 楽劇「ニーベルングの指環」―
オーケストラル/アドベンチャー(1991)で、ワーグナーの「ニーべリングの指輪」を
構成する「ラインの黄金」「ワルキューレ」「ジークフリート」「神々の黄昏」の4つの楽
劇からの抜粋版であるのが通常のようですが、今回は「ラインの黄金」をカットし3楽劇の
中から追加の曲を含め抜粋した構成になっていました。

 もともと、ワーグナーの曲は大規模で音が多すぎる感じがすることから、うるさく聴こえ
る音楽との個人的な認識でいます。ワーグナーファンからクレームが来そうですが、モーツ
ァルトばかりを聴いている者からすると、ワーグナーはシンプルでなく複雑に聴こえるだけ
でなく、素直に心に音楽が入ってくる感じを受けず、極端な言い方をすると強制的に心に飛
び込んで来る感覚を受けます。

 しかし、今回は意外とスムースに聴くことが出来ました。また変な言い方ですが、退屈せ
ずに1時間弱の曲を切れ目無く聴くことが出来ました。ただし、金管楽器のバリバリと吹く
圧倒的な力に驚きを感じました。もっと優しく吹いて欲しいと思うのはワーグナーの音楽を
理解していない事を証明しているのかも知れません。

 指揮はオランダのアムステルダム生まれのエド・デ・ワールトで今年68歳になるマエス
トロでした。日本のオーケストラとの競演が数回あるようですが、N響とは今回が初共演と
のことです。実際に指揮をしている様子から、派手な指揮者ではなく忠実に進めるタイプの
指揮者でした。

 また、ソプラノは、イギリス生まれのスーザン・バロックでした。1曲目の出だしを聴い
たとき声量があるのかなぁと心配になりましたが、2曲目以降はエンジンがかかったのか、
そこそこのレベルでR.シュトラウスとワーグナーを歌っていました。

 今回は、とにかく苦手のワーグナーを少し楽しく聴くことが出来たのは収穫でした。レベ
ルの低い言い方だと、映画音楽を聴いているような感覚といった言い方が素直な印象でした。