五木寛之を通じて仏教の世界に足を踏み入れた私ですが、まさか自分が宗教に興味を持つ
とは思ってもみないことでした。それだけ自分としての人生の生き方が定めっていなかった
というか、曖昧な状況の中でただ単に生きていたのだと思っています。
しかし、整理はされていませんでしたが、自分なりの生き方の基本は持っていたつもりで
す。さらに昔は、宗教に興味を持つ者は自我の確立が出来ていない弱い者であると、勝手に
決め付けて生きていました。中途半端に理解するこということは本当に恐ろしいことです。
仏教の誕生の背景を釈迦の人生を通して学ぶと、その本質の偉大さに驚きを感じます。正
にその広さと深さの規模は宇宙と同じだと思います。今から2500年ほど前に釈迦が6年
間の苦行を通じて最終的に悟りを開き、その本質を弟子たちに分かりやすく教え、さらに当
時の迷える衆生を優しく救った釈迦の行動の根本にある仏教の教えは、今の時代にも何の遜
色もなく心に響くものがあります。
仏教の教えの基本は慈悲と智慧に尽きると思います。慈悲は、常に相手の立場やそのとき
の状況を判断し、優しさをもって接し想いやる心を大切にすることです。もっと極端な言い
方をするとい自分を捨てて他人のために生きるとでも言うことだと思います。正に利他のた
めに生きることだと想います。
この考えを今の時代の中で実践することは非常に難しいことです。今の世の中は個人の自
由を尊重することに重点を置きすぎている感じを受けます。教育がこの考え方で進んできた
ので、ゆとり教育を受けた若者に関しては、特に自我の成長の面で問題の多い実態が浮き彫
りになる事件や出来事が毎日のように生じています。
個性は尊重しなければなりませんが、その基本となる自我を確立させるべきことがなされ
ていないことがもっとも大きな由々しき点です。あまりにも心の問題に注意を払わずに目に
見える物質中心の考え方が前面に押し出された結果が今の世の中で、物は溢れ便利で充実し
幸せそうに見えますが、個人の心はその形を成していないほどずたずたになっているのが正
直なところではないかと思います。
誰もが釈迦のように優しい思いやりのある心を持って生まれてきているのに、心を重視す
る育て方を教育の場でも家庭という根本的な育成の場でも行われてこなかったのが、大きな
問題だと思っています。
人間の生きるよりどころを自分で見つけられるような手助けをすべきだと思います。慈悲
を通じて得られる諸々の知恵を集積し、さらに人生の生き方に昇華することを通じて得られ
るものが智慧だと思います。
262文字で構成されているお経である般若心経は、この智慧について説いたお経とされ
ています。素晴らしい内容が詰まった正に智慧の集大成が般若心経だと思っています。毎日
1回は般若心経を読むと心が晴れやかになること間違いありません。是非とも般若心経を手
にし音読してみて下さい。 合掌
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