「ホワイトカラー・エグゼンプション」

2007-01-13 16:02:58 | 社会
私は小さな会社を経営しており、私の報酬は私が決め、私の労働時間はある程度私の自由裁量で決まる。
今のところ、私は年に5日ほど休む。




20代の頃、上京した私が最初に就いたのは電卓を訪問販売する会社で、池袋にあった。

今でこそ電卓は数千円で買えるが、その当時ほとんどの会社はそろばんを使用し、
ちょっとハイカラな会社でも機械式計算機(昔のタイプライターみたいな形)を使い、
電子計算機(電卓)は当時の価格で十数万円から数十万円もした(貨幣価値は今の4倍ほど)。

早朝、これを数台車に積み込んで川崎など工場集積地域に向かい、
現地で私達セールスが工場に一軒一軒飛び込み、あの手この手で売りつけるわけだ。
辛い仕事だった。

計算機はそうそう売れるものではなく、売る人で3日に一台、売れない人は月間ゼロという事もある。

月末になりまだ実績を挙げていない人はそのチームのリーダー(課長)に目を付けられ、
現地での仕事を終え、夕方5:30~6:00頃皆車に乗り込み撤収する時、
車から降ろされ、計算機(大き目のノートパソコンほどの大きさ)を1台押し付けられて
『おまえよぉ、、これ今夜中に売ってよぉ、頭金貰って、その金で帰って来い。』とひとり現地に取り残される。
車が現地を離れようと走り出す時、彼が計算機を胸に抱き嗚咽を漏らす声が聞こえる。
私はそんな目に遭わなかったが、仕事とはいえ余りの残酷さにとても彼の顔を正視できなかった。

ところがどんな世界にも天才というのが居るもので、
朝から私たちが懸命に工場に飛び込んでいる時、悠然と映画館で時間を過ごし、
午後の数時間でココという工場に目を付け、毎日2,3台の計算機を販売する男が居た。

彼は自分に課した台数を売ると、夕方の帰社時間まで喫茶店でコーヒーを飲んだり路上でナンパしたりして時間を潰した。
彼は自ら昇進する(課長になる)事を嫌い、課長待遇ながら壱セールスに徹し、
報酬は部長より多いのではと噂されていた。

当時このような小さな会社には残業手当など無かったが、
タイムカードは導入されており、部長といえども午後8時前に帰る事は出来なかったように記憶する。

私は当時成績の悪い者を置いてきぼりするような事はつまらないことだとも思ったが、
上記のような天才は、朝はゆっくり自分の車で現地に赴いて、
相当の成績を上げたらさっさと帰宅しても良いのではないかとも思った。


前振りが長くなったが「ホワイトカラー・エグゼンプション」である。

対象者の条件を示しておくと、
▽重要な権限と責任を持つ
▽年収がある程度高い
▽使用者から具体的な指示を受けない――といったものである。

これを前述した事例に当てはめるとどうなるか。
成績不振なAは当然のことながら年収は低く、この制度には当てはまらないので、
会社はAに、現地に置いてきぼりした後の労働の対価を支払わなければならない。

天才Bの場合、年収は高く、権限や責任は持たないものの課長待遇であり、
社長といえども彼に具体的指示など出すことはできない、などこの制度の適用者であり、
成果さえ出せば労働時間は自由な裁量が許される。


対価というものは、基本的にはその成果に対して支払われるのが当然ではないか。

もちろん単純作業のような労働時間集約型においてはその労働時間に対して報酬は支払われなければならない。
しかし、情報集約型や知識、知能、技能集約型においてはその成果に支払われるべきである。

この「ホワイトカラー・エグゼンプション」に関しては色々な議論があり、
労組はもちろんのこと、自民党の一部および公明党、労働法学者も反対声明を出したりしており、
おおむね、反対論が多い印象がある。


しかし、『対価は成果に支払われるべきだ』という一点において、私はこの制度に対し賛成する。

過労死などに対する労災認定など、
様々なセーフティーネットを充分完備する必要がある事は言うまでもありません。





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