『リトルボーイ』

2008-10-07 18:28:20 | 社会




【きょうされん:広島で全国大会 「障害者と被爆者の連帯を」 /広島】


 全国の共同作業所でつくる「きょうされん」(東京都)の全国大会が4、5の両日、広島市で催された。
5日は中区基町のNTTクレドホールで「障害と平和」をテーマにした市民講座が開かれ、約100人が参加した。
司会を務めた大会実行委員長の浅井基文・広島市立大広島平和研究所長の他、
「はだしのゲン」の作者・中沢啓治さんら4人がパネリストとして登壇。

 原爆小頭症患者を支援する女優・斉藤とも子さんは
「被爆者の子が障害を持って産まれても、みな障害者手帳を持っていなかった。
当時は原爆のせいだから障害者とは違うと思われていた」と発言した。
障害者の孫娘を持つ浅井委員長は
「人為的とはいえ、被爆者が障害を持っているという状況がある。
広島で障害への理解を広げるため、障害者と被爆者の相互理解が必要。
両者には差別という共通の問題がある」と指摘。
中沢さんは
「60年代に東京では、被爆者だと分かると冷たい目で見られた。
広島から差別をなくして連帯していかなければ」と応じた。

 さらに、中沢さんは
天皇や軍部はポツダム宣言を無視し、その結果、広島・長崎で多くの人が亡くなった。
なのに戦後、天皇が広島に来た時には日の丸を振るように学校で言われた。
なぜ万歳なのか。今でも腹の中が煮えくり返る思いがある。日本人は甘いと思う

と話した。
浅井委員長は「広島が平和を訴えるなら、広島は何かを根本的に見直さなければならないのでは」と応えた。【矢追健介】


毎日新聞 2008年10月6日 地方版






誰が原子爆弾を落としたんだ? 

天皇か?

軍部か?

ポツダム宣言てのは英米支による一方的な戦争終結勧告宣言だが

これに対し毎日新聞は何と書いたんだ?

「笑止!米英蒋共同宣言、自惚れを撃破せん、聖戰飽くまで完遂」

と書いたのではないのか?


しかも、米国内においては

1944年11月18日、
「ニュークレオニクス要綱」のなかで、原子力は平和利用の開発に注力すべきで、
原子爆弾の都市破壊への利用をすべきでないと提言。

1945年6月11日、
シカゴ大学のジェイムス・フランクが、7名の科学者と連名で
『社会倫理的に原爆投下に反対し、原子爆弾の威力を各国の前で
デモンストレーション(砂漠か無人島にて)で示すことにより戦争終結の目的が果たせる』
と提案。

1945年7月20日、
アイゼンハワー将軍が、対日戦の勝利にはもはや原子爆弾の実戦使用は不必要
であることをトルーマン大統領に進言。

したにもかかわらず、

トルーマン大統領は【事前警告なし】

1945年8月6日、広島に

その3日後、長崎に

原爆投下したんだぞ。


広島、長崎に原爆を落としたのは米国だぞ。

原爆の目標として広島が決定されたのは1945年6月であり、

米国は開発した新爆弾を試したいと思った。


違うというなら、

何故彼らは広島に次、即、長崎に原爆を落とす必要があったんだ?

しかも、長崎は広島とは違うタイプの原爆だったんだぞ。


天皇に戦争責任はある。

しかし、原爆投下の第一義的責任は

米国にある。


恨む相手が違うだろう。










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