5閣僚が国旗に一礼なし 初の省庁会見で 蓮舫、千葉両氏ら
2010.6.10 22:07
、官邸での会見後に、担当省庁などで開催された「省庁会見」では、千葉法相と蓮舫行政刷新担当相、玄葉光一郎公務員制度改革担当相、直嶋正行経産相、国民新党代表の亀井静香郵政改革・金融相の5閣僚が会見室に設置された国旗に頭を下げなかった。
8日深夜、法務省会議室での記者会見に臨んだ千葉法相は会見場に設置された国旗に頭を下げることなく会見をスタート。
夫婦別姓実現に意欲を見せるなど、再任への抱負を30分にわたって口にしたが、会見終了後も国旗に目をやることなく、そのまま退出した。
9日午後、内閣府での会見に臨んだ蓮舫行政刷新担当相も国旗に一礼はなし。
亀井、玄葉、直嶋の3閣僚も会場に掲揚された国旗におじぎなどはしなかった。
ふ~~ん、さすがは左翼政権だな。
千葉の極左ぶりは織り込み済みだが
レンホウや玄葉、直島もそういうことか。
石原都知事が『菅は極左だ』と喝破し、
麻生が『左翼政権が日本に出現した』と述べたが、
まんざら嘘ではないという事だ。
『愛国心は自然と育まれるもので強要すべきでない』
とサヨクは言うが、
そうであるなら、
レンホウらは自然に
国旗に不敬である事になる。
つまり、愛国心など
端から持ちあわせていない。
我が国はずいぶん立派な国務大臣を
生み出したものだ。
中国紙が大喜びしたはずである。
こんなのもありますよ・・・
あんさんの過去の投稿だす。
実にけしからん!実にけしからん!
街の与太者じゃなくてお粗末といえども一応国務大臣じゃにですか!
形式と見過ごすわけにはいきません!
国を思う心の問題です!
さて、親分の菅ですが、これが最も問題です!
それは親任式の模様を伝えるニュースで見ました。
菅は陛下の御前に進み出て、一件恭しく頭を下げたかのように見えましたが、その実きゃつの両手は腿をなぞって下がり、膝頭で停止し、つっかえ棒のように体幹を支えました。
一瞬でしたが、私は見逃しませんでしたよ。
あの動作は商人がお客様当りに丁寧に挨拶する際の所作であり、貴人中の貴人、日本国の象徴であるである天皇陛下に対しての所作では絶対ありません。
正しくは、両手を体側に添え、静かに体躯を前傾させながら頭を深く下げ、両手は指をそろえてまっすぐ自然に伸ばしたまま体側をなぞり、両掌が自然に膝の下まで至るのです。
やってみればこの両者の違いはすぐわかります。
心を込めた最敬礼と、どこか舐めた勘定を含んでやってみただけの最敬礼の違いです。
この男には天皇陛下への畏敬の念は全くないと見ました。
この態度は日本国へのそれにも通じるだろうと思います。
”菅内閣とは極左内閣に他ならず”言い当たっていると思います。
なにせ、中国の某が来日したら、あの汚沢が慣例も何もあったもんじゃないとばかりに天皇陛下への謁見を強要したのはついこの前のことでしたから無べなるかなではありますけど・・。
、、、で、何が言いたい?
あちゃぁ、、菅はそんな不躾な態を
晒していたのですか。
なにせ菅は市民運動家あがり、
他の閣僚を見ても
ジェンダーやら労組やら日教組あがりばかりで
とても愛国心など持ち合わせているような内閣とは言えません。
菅は今はまだなにもやっておりませんが、
奴の車は左折専用、
そのうち驚くような事をやらかすでしょう。
さすが国旗を半分に切って
党の集会のときに掲げる政党ですね。
自分の国を敬う心がなく
なぜ、国を治めることができるのでしょうか。
日の丸は確かに国威発揚に
利用された時期もあります。
それは、その当時に意義づけされたもので
日の丸古来太陽を崇拝することを起源とし、
長く日本人に愛されてきたと記憶しています。
国歌も、「君が代」の「君」が天皇という
意味があると言われたこともありましたが、
君が代の起源は古今和歌集の賀歌で
本来は、互いの長寿を願う歌で、
武家社会のみならず、庶民の間でも
各地で詠まれた歌ということを
本で読んだことがあります。
日の丸や君が代が戦争を
起こしたわけではありません。
国旗を燃やしたり踏みつけたりする、
そういうことをする輩と
この人たちは同じだということだと思います。
「愛国心は自然と育まれるもので強要されるものではない」、私はそう考えています。私は競馬や野球を観戦しますが、君が代が流れれば、何万の大観衆は自然と起立します。誰かに強要されるわけでもなく、君が代や日の丸に誇りのようなものを抱いているわけです。むしろ、君が代や日の丸を否定することを強要しているのは、彼らではないでしょうか?
「愛国心は自然と育まれるで強要されるものではない」、彼らのような「サヨク」が軽々しく口にする言葉ではありませんね。
>>日の丸や君が代が戦争を
起こしたわけではありません。
その通りです。
世界中で国旗国歌に敬意を表さない民族は
民族紛争のあったスペインのバスクくらいのもので、
その国の閣僚が愛国心を持たないなどというのは
世界で日本だけだと思います。
国歌にしても
革命や戦争を想起させる歌詞が数多の中で
君が代くらい気高く温和な国歌はないでしょう。
佐藤優は
菅がかってラジオ番組で『君が代』を歌わなかったことを挙げ、
そのうちに法律を変え『インターナショナル』が日本国歌になるかもしれない。
と述べています。
恐ろしい事ですね。
>>「愛国心は自然と育まれるもので強要されるものではない」
私もできればそうあってもらいたいと思います。
ところが我が国では、国旗国歌を敬う事が
あたかも軍国主義であるかのような教育をする教員が現実におり、
子供たちに自然な涵養が生まれることを
恣意的に阻止しようとする勢力があるのです。
国民に自然な愛国心が生まれるためにも、
国のリーダーたる閣僚は範を示すべきですね。
彼らの国旗国歌に対する態度は
それが彼らの常態であり、
非常に不自然であると思います。
というとても身近な気持ちであることに気が付くはずなのですが、
そのあたりの神経がブチギレて回路がつながらないのか……洗脳なのか勉強不足なのか…
俺様1人でピャーと世に起った気でいるのか‥‥
何事も「お陰様です」という気持ちがないというか‥
戦後の日本を評して‥
「‥‥私は立つ鳥、波に聞け‥‥と‥‥人のことなんか構うておられるかという気分‥‥個人主義のあらわれやね。
自由主義は利己主義になる‥‥自分の利益が中心になって、思うように事が運ばなかったら人を憎む。
日本の国が一つになって、国のために尽くすという空気がなくなる‥‥」
と、
故大西良慶清水寺貫主様も、おっしゃってます。
まったくおっしゃるとおりですね。
国家を否定しようとするサヨクは
地域や親兄弟との絆も認めず、
世界はブルジョワとプロレタリアに分かれ
支配と被支配階級、搾取と被搾取だけがあると、
極端に言えば思っています。
しかし私たちの世の中は
そうではありません。
はなさんがおっしゃるように、
親があり兄弟が居り、家族がいて、
ご近所様があって、会社の上司部下が居る。
そのような有機的なまじわりの中で
私たちはどうにか生きているのですね。
国を想う気持ちは
そのような中で醸し出されるものなのでしょうが、
悲しいかなサヨクの人々には理解できないのでしょう。