群衆と事件

2007-04-22 13:05:55 | 社会
大阪府警淀川署は21日、
JR北陸線の富山発大阪行きの特急「サンダーバード」の車内で昨年8月、
大阪市内の会社員の女性(当時21歳)に暴行したとして、
滋賀県湖南市石部南、解体工、植園貴光被告(36)を強姦(ごうかん)容疑で再逮捕した。

当時、同じ車両には約40人の乗客がおり、一部の乗客は異変に気付いたものの、
植園容疑者にすごまれ、制止できなかったという。

植園容疑者は、昨年12月にも同様に車内や駅構内で女性に暴行したとして今年1月、滋賀県警に逮捕され、
強姦罪などで現在公判中。

 調べでは、植園容疑者は、昨年8月3日午後9時20分ごろ、
福井駅を出発した直後に、6両目の前方から2、3列目にいた女性の隣に座り、
「逃げると殺す」「ストーカーして一生付きまとってやる」などと脅し、繰り返し女性の下半身を触るなどしたという。

さらに、京都駅出発後の午後10時半ごろから約30分間にわたり、車内のトイレに連れ込み、暴行した疑い。

女性は車両前方のトイレに連れて行かれる途中、声を上げられず泣いていたが、
付近の乗客は植園容疑者に「何をジロジロ見ているんだ」などと怒鳴られ、
車掌に通報もできなかったという。


毎日新聞 4/21

===========


これね、、随分酷い事件だが、同車両には40名もの人がいてピクとも動けなかった訳だよね。

一方、長崎で市長が撃たれた時は、この犯人は素人が取り押さえてる。

この違いは何だろうね?



私がいつも思うのは、
「群衆」というのは強いリーダーがいない限りその一人ひとりは、
それが「群衆」であるが故に、
もう情けないくらいに「弱虫」で「怯え震えている」存在でしかないという事だ。

皆「誰かがやってくれるだろう」と思っているんだね。
そしてそれは決して「自分」ではない。

私だってこの場面に遭遇すればそうだろう。
私は何にもできなかっただろう。


「群れ」というものはそういうものだと思うね。
「群れ」などは、当てにならない卑怯者の集まりだと諦観していれば過剰な期待をすることもないだろう。



では、長崎の事件では何故犯人は素人の手によって取り押さえられたか?


これはご存知の方も多いと思うが、
旦那さんがが撃たれたのを目前で見た市長の奥さん十四子さんが、
半狂乱のようになって犯人を追いむしゃぶりついて離さなかったからだ。
http://www.nagasaki-np.co.jp/kiji2/2007041804.shtml


つまり奥さんは、拳銃を持った男に自分が撃たれるかも知れない事を省みず(一時的に狂ったのだろう)、
犯人に向かっていった。

彼女の犠牲的勇気が無かったならば、
市長の支持者たちはこの凶悪な犯人を取り押さえる事ができただろうか?


この場面では、奥さんが(無論意識してはいないと思うが)強いリーダーの役割を果たしたのだ。


そしてそれは「家族の絆」こそが彼女をしてそうさせたのだ。




もしこのふたつの場面に遭遇したとしたら、私はどのような行動を取るのか?

私は自問自答せねばならない。


最新の画像もっと見る