【人を殺す事が悪い事だとは思わなかった】

2009-05-28 16:52:10 | 社会

突落とし少年 「殺人が悪い事と思わなかった」
05/27 KBSニュース


JR岡山駅のホームから男性を突き落として殺害したとされる、
当時18歳の少年の初公判が27日、岡山地方裁判所で開かれました。

被告の少年は、起訴内容を認めた上で、
「人を殺す事が悪い事だとは思わなかった」と話しました。

起訴状によると少年は去年3月25日、
JR岡山駅のホームで岡山県職員の假谷国明さん(当時38)を突き落とし
殺害したとして、殺人と銃刀法違反の罪に問われています。

きょうの初公判で、少年は「間違いないです」と小さくつぶやき、
起訴内容を認めました。

そして、被告人質問で検察官の質問に対し、
「人を殺す事が悪い事だとは思わなかった」と話しました。

検察側と弁護側は責任能力の有無については争わず、
弁護側は犯行当時の少年の不安定な精神状態について
、情状面で訴えていく姿勢を示しました。






【人を殺す事が悪い事だとは思わなかった】



うーーむ、、


『なぜ人を殺してはいけないのか?』


この少年はもちろん罰せられるのだが、

彼は何故人を殺してはいけないのかを

理論的に理解しないまま刑に処される。



もちろん『いけない事はいけないのだ』と

説諭されるのだろうが

彼はそれで納得するのだろうか?


何故いけないのかを

論理として何とか説明できないものなのだろうか?



なぜ人を殺してはいけないのか?



この命題(疑問)が出るたびに

いつももやもやした感がぬぐえない。




皆さんは、どう思いますか?






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16 コメント

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説得する必要なんかどこにありますか (やまびこ)
2009-05-28 18:38:27
Pさん、こんにちは。

いやはや、あまりのことに論理が飛んでしまうことは分かります。
しかし、PさんのとまどいはちとPさんらしくないような・・。(苦笑)

こんな「人間」に説得も必要ないし、しても無駄でしょう。
下手に説得して、当然聞き入れないでしょうから、まともな人間の方がまともな感覚を失うだけです。
「ならぬことはならぬもの!」でよろしい!
粛々として厳しい刑をかせればよろしいのです。
もしかしたら、長い年月のうちに「間違ったんだなあ」と気付けば幸い、気付かなければそれまでです。
論理的解説がこの世のすべてではありません。
本人が理解しまいが納得しまいが、粛々と刑に服させればよろしいのです。
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Unknown (翡翠)
2009-05-28 19:50:31
難しい問題ですね。私もよく考えましたが
説得力ある理屈が今ひとつ浮かびません。
自分がされて嫌なことは人にもしない、
人の命を奪う権利は誰にもない、
自分の命も大事だから、人の命も大事、よって
命を奪っては為らない・・・・・なんかどれも
陳腐です。
やはり、やまびこさんの仰るように
「ならぬことはならぬもの」、駄目なものは駄目、どうして?どうしてもだ!!と
理屈ぬきに抑圧するしかないかなあ、と
思います。
世の中、理屈じゃない、って事もありますから・・・。何故いけないかの答えは
生きていく中で自分で探してもらわないと。
でも、やっぱりこういう人間が出現するのを見ると修身や教育勅語が必要なんだと
思いますよ。
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いけない理由は (wonder)
2009-05-29 00:07:13
いつも拝見しています。興味がある話題なので久し振りにコメントします。
この手の疑問を考えるときは、「いけない」「悪い」というのがキーワードになると思います。
当然のことながら、あらゆることには前提があります。
『人を殺すのは悪いこと』というのだって、「宇宙の真理として」正しい、わけはありません
なにか基準というか、前提があるはずなのです。
この場合、こう考えてみるとわかりやすいのではないでしょうか。
「人を殺すことが」「いけない」「悪いこと」というのは、いったい、誰がいっているのか。
総理大臣か、最高裁判事か、NHKのアナウンサーか、文部大臣か、お父さん、お母さんか……
その答えとして適切なのは、社会を構成する大多数の人々、ではないでしょうか。
多くの人が(社会が)いけない、と思うからいけない、ということでしかないのです。
(いわゆる、多数決のようなものなのです)
ではなぜ、多くの人(社会)は人を殺してはいけない、と思うのか。
これについては、架空の原始社会を思い浮かべてみるといいでしょう。
すなわち、殺しても罰せられない社会です。
好き放題、殺せる社会。そんな社会は成り立つでしょうか。
人は人を殺したいと思うこともあるけれど、それ以上に、殺されたくない、というほうがずっと強い。
自分の大切な人を殺されたくない、という思いの方が、ずっと強い。
だから、好き放題殺すことができる、つまりいつ、何時、殺されかねない社会、というのを拒否するわけです。そして殺すのはよくない、という意見が形成されるわけです。
やがてそれは、道徳に変化し、もともと社会が要求しているから、という前提すら忘れ去られ、「当たり前のこと」「考えるまでもないこと」となっていくわけです。
※そもそも多数決に過ぎない、というようなことは身もふたもないことだし、真っ向から議論になると、勘違いをして正当化する奴がでてきて(たとえば少数意見も取り入れるべきだとか)面倒なので、「当たり前で考えるまでもないこと」にしてきたというのは、ある種、人間の知恵だと思います。
今回、人を殺すのがいけないと思わなかった、という男。
それはそれでいいのです。「宇宙の真理」として「悪いこと」なわけではないのですから。
ただ、社会はそういう行動や考えを拒否します。そして彼は罰せられるわけです。
大多数の人たちの思いと違う思いを抱き、行動を起こしてしまったからです。
と、以上、私はそう思うわけです。
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常に死は身近にあります… (鰤太郎)
2009-05-29 09:05:05
こんにちは、Pさん。

>なぜ人を殺しては、だめなのか?

このことに私は正確に答えることは、
出来ないでしょうね。

前にPさんが私におっしゃていましたね。
優しい人間ですって、
きっと私は優しい人間ではないと思います…

私ただの臆病な人間ですよ。
私は死が怖いんです…私にとって、死は恐怖、そのものです。

私は子供の頃ね、
父親が火事で全身火傷を負い、
病院で何日も苦しみながら亡くなりました。

私の父親は、かなり乱暴な人間でした、
子供の頃は父親は嫌いでしたし、
恐怖の対象でしたね。

その父親が目の前で死んだんです。
普通なら悲しいむのが当たり前ですよね…

しかし私は悲しいという感情よりも、死に対し、
恐怖という感情の方が大きかったです。
本当に怖かったです…自分自身もいつかは死ぬんだという、
死の恐怖に。

だから私は死は恐怖の対象でしかないんですよ。
自分も含め人はみんな死にたくないはずですよね?

私が思うに、
この少年は家族から愛情を受けずに育っていると思います、
子供の頃に愛情を受けて育った人は、
もし自分に愛情を向けてくれる人がね、
いなくなった時のことを考えるんですよ。
それはすごく悲しく怖いものですよね。

私には少年がその事、
知らず育てしまったんじゃないかと思います。

すみません、
私にはこれしか、
答えられないです。
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矯正 (P@RAGAZZO)
2009-05-29 11:47:37
やまびこ大兄、こんにちは。

『ならぬものはならぬもの』。
常に大兄がおっしゃられている事であり、
私もその通りだと思います。

しかし、この少年は
『いけない事をした』という自覚と反省が全く無いままに
服役する事になります。

懲役の目的のひとつに
【矯正】
(強制労働という苦痛を与えることによって再犯防止を図るとともに、
 生活習慣などの健全化や職業訓練ともなるため社会復帰に役立つとされている。)
ということ事が挙げられていますが、

この少年は『悪い事をした』という自覚と反省がないままに
はたして【矯正】が成されるものなのだろうか?
やはりなぜそれはいけない事なのかを
教えなければならないのではないだろうか?
、、、、と、思った次第です。
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修身 (P@RAGAZZO)
2009-05-29 11:58:24
翡翠さん、こんにちは。

そうですよね、、難しい問題だと思います。

>>自分の命も大事だから、人の命も大事、よって
命を奪っては為らない

というのは重大なポイントであり
説得力を持っていると思います。

つまりこの少年は
『自分は殺されたいのか?』を自問自答することにより
『自分は殺されたくない』
よって
『人を殺してよい社会は回避しなければならない』
だから
『あなたも人を殺してはならない』
という構成が成り立つのかも知れません。

ただ、、『自分は殺されてもよい』と彼が思っているのであれば
この前提は崩れます。

修身や教育勅語は非常に賛成です。
『ならぬものはならぬ』を理屈抜きに染み込ませる事が可能です。

私も復活を望むひとりです。
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『常識』の要因 (P@RAGAZZO)
2009-05-29 12:13:52
wonderさん、こんにちは。

いつもお読みくださり、ありがとうございます。

>>多くの人が(社会が)いけない、と思うからいけない

なるほど、
つまり『常識』の要因を示唆するという事ですね。

翡翠さんも指摘しておられましたが、
wonderさんがおっしゃられるように、
自分が殺されたくないのであれば
人が殺しあう社会を拒否しなければならない。
であればあなたも人を殺してはならない。
と言うことですよね。

その事が永い人間の歴史の中で
説明されなくても
『いけないことはいけない』という
大多数の人間のコンセンサスを得る事によって『常識』として定着してきた。

それが人間の知恵である。
という訳ですね。

いや、私が少年ならばかなり説得力を感じますね。

ありがとうございます。



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自分自身の命 (P@RAGAZZO)
2009-05-29 12:30:34
鰤太郎さん、、、、
感銘を受けました。
月並みで申し訳ないが、、
心から、感銘を受けました。


おっしゃる通りだと思います。
この少年は両親から愛情を受けずに育ってきたのだろうと思います。

彼は、ですから、、
自分自身の命もきっと粗末な物だと考えているのかも知れません。

その少年が
『人を殺してなぜいけないのか?』と考えるであろう事は
容易に想像できます。

彼に必要なのは
『他人の命の大切さ』を教える事ではなく
彼自身の『自分自身の命が如何にかけがえのない大切なものであるのか』
を考えさせる事なのかも知れません。

彼には彼自身が死んだ時に
泣いてくれる人は居るのでしょうか、、

哀しいですね。

鰤太郎さん、
つらく悲しいことを思い出させてしまいましたね、、、

すみません、ごめんなさいね。

返信する
盲点 (桃太郎)
2009-05-29 13:40:22
おじゃまします。

今回の場合、基本的人権にある「誰もが幸せに暮らせる(生きる)」という権利を犯したと
いうものだと思いますが、憲法では明確に「殺人はいけない」とあるわけではありません。

つまり犯した犯罪行為についてその罰則を規程しただけのものだということになりますから、
歪曲した見方をすればその罰を受け入れることを承知で犯罪に及ぶことも可能なわけで、
そうしないための世論英知の集約が憲法であったりwonderさんのいう道徳(教育)というこ
とになるかと思います。

しかし今回の場合は、犯した行為に殺意があってもその行為が悪いことだと思わなかった
ということで、司法・立法ともに想定外だと思います。 盲点であったかもしれません。

仮に、「殺人が悪いことだと知らなかったからやったことで、知っていたらやらなかった」と
言ったとしても、18年間通常の暮し(生活)をしていたということを前提に考えれば、虚言で
あるか精神異常としか思えず、むしろ今まで犯罪を起こさなかったことが奇跡に近いという
ことにもなります。

そういう意味では、この発言すら真意であるか罪のがれの虚言であるのか理解する立場に
ありませんが、少なくとも犯した行為は犯罪行為である以上、本人が納得するしないに関わ
らず、司法によって犯罪に対する対価の罰を与えることを避けてはならないと思います。
この発言により情状酌量などあっては、今後の犯罪者に逃げ道を作ってしまうことにもなる
わけですから厳罰に処すべきだと思います。

「この国の憲法の規程においては、君の行った行為は違法で罰せられますよ」という説明
以外にいらないと思います。 あとは服役中に・やって良いこと悪いこと・の道徳を身につけ
させることになるのでしょうが、この容疑者、殺人が悪いことだと知ったら「死刑も悪いので
はないか」と言い出すのではないかと危惧します。

難しい問題で、うまくコメントできないことを承知で投稿します。 失礼。
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『女王の教室』 (ボチボチかめ)
2009-05-29 14:00:03
皆さんのヒンシュクをかうでしょうが、私はこう思います。

大抵の者が、自然に身につける道徳規範を
18歳になるまでこの男子はつけることが出来なかった。
 
そんな少年に「彼はそれで納得するのだろうか?」と斟酌する必要があるでしょうか?

名前は忘れましたが、日本の有名な学者か哲学をやっている人で
「世の中には駄目な人間と言うのは本当にダメで、どんなに諭しても分からないように生まれついてる」
と、昔、話を聞いたことがあります。

妙に納得してそれ以来、駄目人間の心など斟酌しないことにしています。

下記はドラマ『女王の教室』の阿久津真矢が 
自分にカッターで切りつけたその生徒に「なぜ殺しちゃいけないんだ!」と質問されて答えた言葉です。

「教えてあげる。なんで人を殺しちゃいけないか。死ぬ時は痛いからよ。苦しいからよ。死にたくないって叫びたくなるからよ。これが痛みなの。あなたが今まで他の人に与えてきたものなの。人は死んだら、もう家族にも逢えないの。友達にも逢えないの。その人の大切な夢や希望や思い出まで全部消えて無くなってしまうの。この世に生きてる人の未来を奪う権利なんて誰にもないの。だから人を殺しちゃいけないの。」

説得力のある言葉で、印象に残っています。

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